ともみ@ピクニック

(放電したい)

どーでもいい話ばかり書いて
アップしている(本日6月23日)。

放電したい、のだろう。
ぐちゃぐちゃしたナニカを。

「書いて、気持ちが整理される」ことも
あるけれど、今日書いているのは
そーゆーのとまったく別種の

書きながら、どーでもいいよなー

と、ツッコミを入れてしまうほど
日々の記録の意味もなければ
感情の整理や浄化にもならぬ
くだらぬ内容だ。

(基本、「役に立つため」にブログを
書いているのではないので、自分が楽しめれば
それでいい、楽しむために日記を書いている
わけなんだけど、今日はそういうのとも違う)

ああ、放電したい。

(もやもやした色んなものや、最近
自分のなかで比率の高くなっている
悪魔感を、放電したーい!

が、まだそこまでたどり着かず
どうでもいいこと書いて、もがいているわけだ)

・・・・・日記時間を飛んで、6月23日夜の記


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今に残る、地域共同体

おまけ(3)

また、現金出費ではない、労働という
強制もわりと頻繁だ。

先月は排水溝掃除だったが、来月は
土手の草むしりがあり

それ以外にも、例えば(ある程度の年齢になったら
ほぼ強制的に入会させられる)老人会のご奉仕労働など
(青年なら青年団。既婚女性なら婦人会。その他村の役職
ごとの労働は多々)がある。

ゴミ収集の日は、当番が立っていなきゃならんし。
(有料ゴミ袋には、出す者の名前を書いて出す。
それをさらに「監視」する役目なんですの。
雨の日も、風の日も、雪の日もね)



まあ、しかし、こういうルールがあって
日本の田舎はまわってきたのだろうし

基本的に「地域奉仕」をなくしたら
色々と立ち行かなくなることもあるのだろう。

(文句を言っている我は、恩恵を受ける一方で。
先月は庭木の消毒をしていただいたし…)

わが実家のあるような田舎は、日本全国に
どれくらい残っているのだろうか。

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田舎の出費

おまけ(2)

都会人がびっくりするほど、田舎では
ほぼ強制の「出費」が多いですぞ。

お寺さんへのお金(毎月のお布施以外にも
年一回の高額寄付、数年に一回の十万単位の高額寄付)
春秋の祭り(神社に奉納するのとは別に、地域ごとに集金する分)
冠婚葬祭は大見得を張り、親戚の様々な祝い事、およびその返礼。
それからいわゆる町内会費のようなものも、信じられんほどの額。
(懇親旅行の積み立てとか、新年会の飲み食い代とか
そういうのを「参加しなくても払わなくてはならない」ので
すごく高い。実家エリアでは今年からやっと旅行がなくなった)

そして最近知ったんだが、その町内会費のようなものも
狭小エリアと、地域エリアと、二重立てになっていて
・・・総額年何万円払っているのやら・・・、おそろしや。

あと、先の交通安全とか、緑の羽などの寄付のほか

たぶん、これは日本全国の田舎津々浦々で
見られることだと思うのだけど、毎朝一番に
新聞のお悔やみ欄をチェックするのは、田舎人の常識で
ことあるごとに香典を包んで、葬儀に出向く。

(田舎の弔問は通常二百人くらいか。昔は
助け合いの一環として機能していたのだろう。
今では家同士の礼儀を欠かさないよう
お悔やみ欄を日々チェックなのである)

(おそらく、亡くなった家族の名前を新聞掲載しない
家はめったにないのでは。当地では載せるのが当たり前で
稀に「葬儀は済みました」式に載せる家があるが
「あれはあれで、またあとで、香典を持っていかねばならんので
めいわくな話である」と言っている人もいたっけ)

(ちなみに、新聞に載せるほか、村のなかで数箇所
葬儀場へ向かうマイクロバスの経由地に
葬儀の内容を書いた巨大な看板が立てられるので
翌朝の新聞を待たずとも、その看板で訃報を知ることもある)

あっ、話がおおいにズレまくった。

話を戻す。

思いつくまま、田舎の出費を書いてみたが
ほかにも考えればありそうだ・・・。

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寄付と村八分

おまけ(1)

下記と関係ないが、交通安全の寄付の
話を(田舎グチのついでに)書いておこう。

一世帯あたり、千数百円だった寄付金を
「今年は千円にします」という紙が先日来ていた。

寄付っていったって、実際は強制徴収なんだよね。
(払わないと、村八分的な)

毎年毎年、市の交通安全のために
世帯あたり千円以上を集め・・・

カーブミラーの修理とか、交通安全集会とか
交通安全グッズの作成配布とか、に
使用するらしいのだが。

ちなみに、グッズといっても、光るステッカーとか
「鍵かけましょう」のシールとか、・・・なんだよね。
(はっきりいって、ゴミになるもの)

集まる金額の多さを思うと、相当の割合が
どうでもいいことに使用されていると邪推してしまうが

慣習のもとに集まる、おいしいルート
警察は手放さないだろうし

文句を言う人もおらんのだろうなー。
(そんなことを言ったら、村八分)



わたしは小さい頃から、周囲の大人たちが
「そんなことしたらヒトが笑う」という言葉を
日常のモノサシにしているのを見てきた。

良いか・悪いか、好きか・嫌いか、じゃなくて
「ヒトと違わないように」「ヒトからズレないように」
という、疑いのない、大人たちの規範のようだった。

(ある意味、見栄のなかで生きているのよね。

「田舎の人間は飾らない」というのは都会人の妄想である。

家を出て百メートルもすれば、知らないヒトだらけになる
都会と違って、田舎人は、常に顔見知りのなかで自分を
はかっている)

「そんなことしたらヒトが笑う」という価値感に
疑問をもたないヒトが、このド田舎で生き残れるのだろう
と、今になっては思う。

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朝8時から「戸」屋

6月18日(日) その1

朝8時、「戸」屋さんの来訪で
目が覚める。

網戸の張替えを、過日、村の
「戸」屋さんに依頼してあり

手のあいた後日、来て下さる
・・・という話だったのだけど

電話もなく、いきなり、とはなー。

朝の8時から、とはなー。

わはは、ザ・田舎である。

(余談。早朝の農作業する人の大きな声が、寝入りばなの
耳に届くのは珍しくないし、朝の7時頃には急用でもない
電話があるし、訪問の約束の何十分も前にやってくるのも
けっこうある。ザ・田舎タイム、いまだに我は慣れません)

(せめて、前の晩に、「あした8時にね」と連絡があれば
物理的な準備も、心の準備も、しておけるのに・・・)



今の今まで眠っていたのじゃ
寝巻きの格好だし、頭ボーっ

すぐに人間界に適応するエネルギーを
搾り出す気にはなれず

(一日のなかでも寝起きが一番弱い)

予定していた網戸すべてを
張り直してもらうのはやめて

母でも対応できる、「居間の東側」と「台所」
の網戸だけにしてもらう。

あーあっ。

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トビウオ期到来

6月17日(土) その3

シーズン初のトビウオを二尾
姿焼きにしようと買ったので

帰宅早々、「塩をしておいたら
あとは焼くだけでラクだな・・・」と
ご対面したら

「ヒレだけとっておこうかしら・・・」
という気になって、気が付いたら
二枚おろしにしていた。

(で、予想外に、一尾にけっこう大きな
卵があって、放ってはおけず、醤油煮)

むー、メニュー変更じゃ。



お夕飯は

トビウオに塩コショウして
粉をはたいて、油焼き。
(フライパンの空きスペースで茄子も焼く)

きゅうり・ずっきーに・かぶを軽く塩もみして
(「緑・黄・白」で見た目も美しい)
市販の味付けもずくと和える。

あとは残り物祭り。



トビウオは、お刺身が一番
身の特徴を味わえると思うのだけど

上手くさばける気がしなかったので
焼き物にしたのであった。

わたしは身をおろすのが好きなだけで
そこから先の処理が苦手なのだ・・・と
自覚してから、とんと、お刺身に挑戦しなくなった。

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