状況は変わらないのに、気持ちは軽くなった
書きかけになっていた話
記録として、アップしておこう。
(10月下旬の記)
。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。
このところをふりかえりマス。
度を越える、夜食の食べっぷり・・・
(母の就寝後、連日気持ちわるくなるくらい
食べないと、おちつかない)
ひさしぶりに寝込む日々・・・
あとで考えると、自分の気づかぬレベルで
ストレスが溜まり、それを自覚なく
発散しようとしていたのかな。
そうこうしているうち、叔母たちやCちゃんに
少し母の現状を知ってもらう機会があり
わたしの内面はまちがいなく軽くなった。
考えてみれば、何年も前から要支援の
対象レベルに母はなっていたのだけど
それをわたしは黙ってケアすべきこと
と受け止めてきたし、また
彼女の取り繕いは相当上手なので
あれやこれやをほとんど
周囲からは気づかれずにやってきた。
(例えば、会話のなかみが間違っていても
頻繁に本人を見てないと、なかなかそのことに
気づかれない。文章としては成立しているから)
母とだれかのいる場面で
いちいち指摘していたら、母の自尊心を傷つけるだろうし
会話のムードもこわしてしまう…幾度も経験
だれかに母の様子を話せば、「うっそー」
「それくらい誰でもありそう」「たいしたことない」
等々の反応が返ってきて、それはそれで
じんわりと自分が傷ついてきたんだよな。
(と、今になって分かる)
そしてそういう時間があると
あとから自己嫌悪にさいなまれるので
最近は母に関するあれこれをヒトに
言わなくなっていた。
(このブログでのみ、ときどきこぼしていた)
*
でも、このところ、叔母やCちゃんのみならず
病院の先生などとも話し、もしかしてわたしは
大手をふって、母の相談をしてもいいのでは?
という気持ちになっている。
(自分の)起きているあいだずっと感情労働をし
そのときどきに応じた物理的な手助けをし
(物理的な世話はそのときだけで済むが
感情労働には休みがない)
入れ歯の世話から下の心配までし・・・
もしかしてもしかして、わたしはすでに
介護をしているという範疇に入るの?
(そして、ときにはわたしもヒトに甘えていいの?)
と、初めて思えて
母の状況はなんら変わらないのに
わたし自身の気持ちはすごく軽くなった。
*
でもね、同時にやっぱり
「こんなのたいしたことじゃない」
(これでヘバっているのは、自分の器が小さいから)
と、自分を責める気持ちもある。
そうだよ、「こんなのたいしたことじゃない」
は、社会的に見れば、たぶん正論だ。
だけど、自分のなかでは
(人生初のことだもの!)やっぱり
「たいした」ことであり、ちょっとは自分を
がんばっているぞ、と思いやっても、いいのかも。
記録として、アップしておこう。
(10月下旬の記)
。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。
このところをふりかえりマス。
度を越える、夜食の食べっぷり・・・
(母の就寝後、連日気持ちわるくなるくらい
食べないと、おちつかない)
ひさしぶりに寝込む日々・・・
あとで考えると、自分の気づかぬレベルで
ストレスが溜まり、それを自覚なく
発散しようとしていたのかな。
そうこうしているうち、叔母たちやCちゃんに
少し母の現状を知ってもらう機会があり
わたしの内面はまちがいなく軽くなった。
考えてみれば、何年も前から要支援の
対象レベルに母はなっていたのだけど
それをわたしは黙ってケアすべきこと
と受け止めてきたし、また
彼女の取り繕いは相当上手なので
あれやこれやをほとんど
周囲からは気づかれずにやってきた。
(例えば、会話のなかみが間違っていても
頻繁に本人を見てないと、なかなかそのことに
気づかれない。文章としては成立しているから)
母とだれかのいる場面で
いちいち指摘していたら、母の自尊心を傷つけるだろうし
会話のムードもこわしてしまう…幾度も経験
だれかに母の様子を話せば、「うっそー」
「それくらい誰でもありそう」「たいしたことない」
等々の反応が返ってきて、それはそれで
じんわりと自分が傷ついてきたんだよな。
(と、今になって分かる)
そしてそういう時間があると
あとから自己嫌悪にさいなまれるので
最近は母に関するあれこれをヒトに
言わなくなっていた。
(このブログでのみ、ときどきこぼしていた)
*
でも、このところ、叔母やCちゃんのみならず
病院の先生などとも話し、もしかしてわたしは
大手をふって、母の相談をしてもいいのでは?
という気持ちになっている。
(自分の)起きているあいだずっと感情労働をし
そのときどきに応じた物理的な手助けをし
(物理的な世話はそのときだけで済むが
感情労働には休みがない)
入れ歯の世話から下の心配までし・・・
もしかしてもしかして、わたしはすでに
介護をしているという範疇に入るの?
(そして、ときにはわたしもヒトに甘えていいの?)
と、初めて思えて
母の状況はなんら変わらないのに
わたし自身の気持ちはすごく軽くなった。
*
でもね、同時にやっぱり
「こんなのたいしたことじゃない」
(これでヘバっているのは、自分の器が小さいから)
と、自分を責める気持ちもある。
そうだよ、「こんなのたいしたことじゃない」
は、社会的に見れば、たぶん正論だ。
だけど、自分のなかでは
(人生初のことだもの!)やっぱり
「たいした」ことであり、ちょっとは自分を
がんばっているぞ、と思いやっても、いいのかも。