ともみ@ピクニック

後・つらつら思うこと

たしか、昔、バシャールさんは

「おおいなる命が、色んなことを体験して
みようと、個々の生命体にわかれて
地球人をやっている」

と言ったのではなかったっけ?

(なので、わたしは、突き放した言い方すると
この世の苦楽はすべて「体験」のためにある
とも思っている)

(生老病死は、決して忌み嫌うものではない)

( ↑ こんなことを言うと、各界のまじめな方々から
怒られそうなので、普段はお口にチャック)



で、「体験」をすると、なにが起こるかというと

すぐに顕在意識にのぼるか否かは別として
「認知のゆがみ」を知ることができるんだよね。

(その場では分からなくても、死の床で気づくかも
しれないし、あの世に行って理解できるかもしれん)

誰もが、その人なりの「認知のゆがみ」をもっていて
生きる(=体験する)ことでしか、それを知れない。



バシャールの「おおいなる命が、色んなことを体験して
みようと」には、前置きがあって、

(えっと、たぶんバシャールの弁だとは思うのですが
記憶違いで、冒頭の話を含め、別の人の弁なら
それはそれでご了承下さい。ごめんなさい)

たしか「退屈だから、色んなことを体験してみよう」
なんだよね。


ワシら、退屈だから、いくつもの生命体(個体)に別れ
地球人として、日々、生きているのね。


滑稽な話と思われるかもしれないが
わたしは上記の考え方、好きである。

(生きるのがラクになるしね)


あっち、ふらふら、こっち、ふらふら、している
人のことを、好ましく感じない方たちもいるが

それは、一箇所で一つのことをずっと続ける
人とは、ストーリー色が違うだけで

「体験している」という点では、どちらに
優劣があるということではないのだと思う。


残忍な事件をおかした隣人は
自分と別の種類の人間なのではなく

過去の自分も同類のことをしているかもしれないし
あるいは未来の自分が同類のことをするかもしれない

時空を越えたところでいえば
それは「自分自身」と紙一重の存在、の可能性が大。

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