ともみ@ピクニック

ザ・迷惑。そして民主主義。

7月3日(月)おまけの2

今夜の荻上チキ君は

ストライキやデモは「あえて立ち止まさせる装置」
「認知のきっかけ」という話の流れから

「迷惑と民主主義はけっこう深い関係があって
民主主義を実現するということはある程度の迷惑は
受け入れましょうと。で、ただ全面的に受け入れるのは
たいへんだから、一部は、権力に迷惑をかける部分を
あずけて」云々

と、番組冒頭、仰っていた。

            *

なるほど。

わたしを含め、現代日本人の多くは
「迷惑をかける」ことに過敏になっている印象だが

民主的に、近代的に生きましょうと
合意した社会では

もっと「迷惑をかける」敷居を低くし
「積極的にそれを受け入れる」前向きさも
必要なのかもしれんよなぁ、と思った。

(権力に迷惑をかける部分をあずけ、とは
すなわち社会福祉のことだと思うけれど
福祉が人間界のすべての受け皿になるのは
不可能だものね)

なんとなく、「互いに助け合う」コミィニティは
一昔前のようなイメージもあるけれど

いやいや、ほんまの民主主義って

「迷惑かけたり、かけられたり」の、お互いさまに
寛容になることなのかもしれん。

自己責任論がはびこるのは、社会として
退化の現象なのだろう。

            *

かつて見られた助け合いって、そうせざるを得ない
環境的なものが大きかったのだと思う。

これからは、そこからさらに進んで

個人主義でありながら

「助け合い」精神をもっと自覚して

積極的に行動にも移していく、のが
大切なのかなー。

えっと、ホスピタリティ、ちゅうのですか?

(群れのなかで親切を発揮するだけでなく
もっとフラットな助け合い精神というか・・・)

少なくとも、日本では民主主義は成熟してなくて
まだまだ成長過程なのだろう。(なので、しばしば
後退しているように見えることもある)

自由に生きたい、と思ったら
ルールの下にある無言の助け合いに
可能な限り参加する

個を大事にしたい、と思ったら
ほかの人のことも大切にする

それに尽きるのかもな。

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