ともみ@ピクニック

「痛々しい」とな

6月28日(水) その二

はふんっ。

ケイタイ店に行くまでに、すでに
体力消耗って感じだったのだけど

このまま家に帰っても、だるーい
だるーい、と、なんもしないだろうと

思い切って、Mさまの誕生日プレゼントを
探しに行くことに。



一目惚れした、小鳥のミニノートが
頭から離れず、「それと合うもの」を探しまわり

もーーーーれつ、疲れたが

最後はコレ!っという品が見つかり
ラッキー! ラッキー!



プレゼントを買ったお店の人に

(わたしの左腕に下げている、他店での
買い物袋の数々を見てのことだろう)

「一緒にまとめましょうか? 痛々しい」
と言われたしまった。

やさしい口調で、「痛々しい」とな。



たしかに、わたしは
先に自宅用などに買った品々を
もって、あっちの店こっちの店を
うろうろし、疲れ果てた容貌で
お会計をしていたから

どっから見ても痛々しい
姿だったのかもね(納得)。

・市場内某店のレジ袋
(飴5袋。海草大袋1つ)
・デパ地下のレジ袋その一
(パウンドケーキ2つ、前田の五穀クラッカー6袋)
・デパ地下のレジ袋その二
(くるみ2カップ、麺つゆ1本、レタスまるごと1つ)
・デパ地下の紙袋
(ラッピングしたクッキー)

飴は母の必需品であり、できるだけ市場内の安い店で
買うようにしている。デパ地下商品も、おつとめ品や
セール品など、スーパーよりも廉価な品をたまたま
見つけたので、大量買いしたところだった。



店員さんの気遣いだと思うので
不快にはならなかったけれど
世代間による言語感覚のギャップは感じる。

ところで、先に寄ったデパ地下の
クッキー缶の包装をしてくれた店員さん
たいそう時間がかかった挙句、手渡すときに
「リボン結ぶの、苦手なんですよねっ」と言ってたっけな。

わたしも「やり」がちなミスだけど、こういうの
さらっと客に伝えるのってどうかしらねー、と思う。

うーん。

おいらの視線、(自身のことには甘いのに)
他人に厳しすぎるのかしら。



本日、家を出たのは午後一時半で
(途中座ったのは、ケイタイ店での一時間ほど)
帰宅は八時頃。

久々に、よく歩きましたのぉ。

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コメントコメント


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こんにちは。御ブログをほぼ毎日拝見するようになってもう数年になる読者です。
いろいろなご意見に共感するところばかりで、愛読者からしますと、「自分に甘く他に厳しい視線」なんて印象は持ったことがありませんよ。
下の記事の、めんどくさい時代だというのも、全くそのとおりですね。スマホ携帯関係しかり、ネット関係のIDやパスワードしかり。
重いところでは、老親に対する気持ちなどもわかる気がするのです。
私も母上様とほぼ同じ80代半ばの母親が健在なのですが、喜ばしい反面、高齢者の気持ちに沿いかねるようなところがあり、気持ちが通じないことに自我がざわめいたり、果ては、そういえば昔からこの人とどれほど気持ちがかよいあっていただろうか、などと沈み込んでみたりしています。

ところで、貴ブログにたどり着いたのは朽木の禅関係を検索したのがきっかけでした。私もあそこの7日間接心に参加した後でした。
その後、坐禅はお続けですか?

無記人 | URL | 2017年07月05日(Wed)12:22 [EDIT]


コメントありがとうございます。

いつも宇宙に書いているようなブログも
だれかに届いていたのだと知り、そっと
喜びをかみしめております。

朽木つながりというのも、たいへん
驚いています。

その後、一年ほどは、あちらこちらと
足を運んで(じっくり腰を落ち着けて)
坐われる場所を探したりしておりました。

のちは、地元の寺に通っていたりしていた
のですが、今はそれも遠のき、自宅でも
なかなか・・・の現状です。



ともみ | URL | 2017年07月05日(Wed)19:24 [EDIT]


こちらこそ、ありがとうございます。
コメントを送る事のない静かな共感者、ほかにも大勢いると思います。世の中に対しても自分に対しても違和感というか居心地のわるさを感じつつも何とか生きている人たち。といっても世の中では少数派なのでしょうが。

坐禅のほう、そうですか。
私も朽木へは一度行ったきりです。そのほか数箇所の坐禅会、接心にも参加したのですが、継続して参加することはありませんで、結局今は一人自宅坐禅となっています。
どうやら私が求めるものはそういうところにはなさそうで、それなら何とか自力でやれるところまでやってみようかというところです。

坐禅についてお聞きしたのは、しばらく前の、今よりも大きな難関がまっている気がする、という御趣旨の記事を拝見して気になっていたからです。
これは程度の差はありましょうが誰にもあることと思います。先送りしたり見てもみぬふり気づかぬふりをしていたものと真正面から向き合わなければならないとき。一応は自分と自分の人生というものにある解答を出さなければならないときといいましょうか。道元禅師の言葉ですと、家族珍宝が何の助けにもならないとき、ただ一人になるとき。

そのとき力になるのは坐禅しかないと思います。
何か自分は解決済みのような言い方をしていますが、むしろ真っ只中です。これで坐禅に出会ってなかったらどうして凌げるか、わからないくらいです。
それで、いったん坐禅と出会う幸運な人なのだからその後どうされているかとお尋ねしたしだいなのです。

福岡県の栄宗寺住職のブログで「空の色は何色か」というのを拝見して、私にはとても励みになりました。今までネットでいろいろ探して見ましたが、坐禅がどういうものかということがもっとも明確に書かれていると思います。気が向かれましたらお読みになってみてください。

ともみ@ピクニックを長らく拝見していまして、ああこういう方にぜひ読んでいただきたいと思いました。押し付けがましかったら本当に申し訳ありませんが。

無記人 | URL | 2017年07月06日(Thu)08:28 [EDIT]


上記の方へ

お返事は後日ブログに書きますね。

(すみません。今、PCにゆっくり向かう余力がなくて)

e-348

ともみ | URL | 2017年07月08日(Sat)00:45 [EDIT]