ともみ@ピクニック

冷笑系の紳士と淑女

松本創さんのツイート( 6月18日 )をメモしておこう。
https://twitter.com/MatsumotohaJimu

昨日回ってきた髙村薫氏のインタビューも趣旨はわかるし、まあ賛同するけど、問題はそういう言葉が届かないことじゃないのかな。国民が「政権のウソを見抜けない」のではなく、ウソや不正だとわかって、「それでもいい」「そんなもんでしょ」と容認しているのだとしたら、そこに届く言葉はあるのかな。

政治的アパシーの一種だと思うんだけど、それは高村氏が言うように「難しいからお任せ」というだけじゃなく、もっと賢しらなんですよね。俺の知人が書いてたように「権力に近い人間が利益を得るのは当然だろ。何か問題でも?」と、より積極的に容認してしまう。積極的無関心というか、いわゆる冷笑系。

『反東京オリンピック宣言』で小笠原さんが指摘した「どうせやるなら派」にも似ている。五輪誘致段階の欺瞞や災害資本主義やテロ対策名目で監視が強まるとか、「正しい」反対論を述べても「そういうこともあるかもね。でもどうせやるなら、いい五輪にした方がいいよね」と消極的ポーズで現状追認する。

こういう人たちは自分が「賢い」と思っていて(実際、教育レベルは相対的に高いんだと思う)、たいていのことはわかってるという自覚の上で、「ちょっとの不正に憤ってもしょうがない」「それよりも現状に適応して利益を」と考えているから、ストレートな反対論や批判の言葉が届かないんですよね。

ただ単に「メディアが報じないから無知蒙昧な大衆が騙されているのだ」みたいなことじゃなくて、こういう積極的無関心層というか、いい言葉で言えば「深い諦めの中で生きている」人たちに届く言葉って、どこにあるのかなあ、と思いますよね。




「深い諦めの中で生きる」のは、冷笑系の遠戚なのだろうか?

ところで

外で起きていること
(社会的な事件とか、政治ごととか)に
心を動かされないように生きる、というのも

大事な生き方だとは思う。

(自分のなかにある、矛盾かな)

「関心はもっても、心を乱されない」って
高度な作法だよなー。

(これが出来ないから、矛盾なのか)

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