ともみ@ピクニック

二.発達障害者という存在

(上記のつづき。番組メモではなく
ここからはわたしの感想)


発達障害という言葉に接するようになったのは
ほんの十数年前と記憶している。

以来、年々増加して見聞きするようになった。

ただね、わたしは

「発達障害者が増えている」わけでは
ぜんぜんなくて、それが特別視(可視化)される
ようになっただけなのでは? 

と思っている。

昔なら、「ちょっと変わったところあるね」で
おわっていたのが、今では発達障害という
障害者認定をされるというわけだ。

(本人も、親も、認定をされてホッとすることも
あるだろうし、それをきっかけに今後の生き方を
工夫して、よりよいほうに行くケースもあろう)



よく言われることだが、昔は、コミュニケーションの
ヘタな人も、その人なりの特性を活かせる職場があった。

人の顔色を伺うことはできなくても
コツコツと腕を磨き、立派な職人さんになるとか。

でもね、今の世では求められるものが
画一化され、ある型に入らないとなかなか
社会ではやっていき辛い。(という側面がある)

まわりのペースにあわせるとか、空気を読むとか
へんに目立たないとか、輪を乱さないとか、協調とか
発達障害の人たちの不得意分野こそを

皮肉にも、至上主義とするような
社会の暗黙のルールのようなものが

じわじわ閉塞感とともに、加速・拡散されて
きたような印象はある。

(昔は「お互いさま」という感覚が
もっと社会に浸透していたように思う。
今は「自己責任」音頭で・・・)

「異端が排除されやすい」というのは
昔からあったと思うのだけど、それでも
排除の網が現在よりは粗かったのでは
ないかなー、というのはノスタルジーか?

発達障害者にとって(そうでない人以上に)
生き難い世の中なのだろうなーと思う。



もともと障害者なんていなくって、社会が
日々「障害」を生み出しているだけなのだ
という視点は、忘れないほうがいい。(自戒)



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