ともみ@ピクニック

4.言葉という自慰

えっと、話は戻る。


「ゆるされている感覚の欠乏」の穴埋めの一助として

わたしは日記を書いているのではないか

と思わぬでもない。


友情や愛情の交換や、社会的な活動などで

人は「ゆるされている感覚の欠乏」を埋めることも

できる(と思う)が

それが得意ではないわたしには

せっせと「内面人格のお喋り」という文字化作業で

自我を慰めているのかもしれない。

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