ともみ@ピクニック

12.「個」とクラスター

わたしの生きてきた世界が
いかに狭いか・・・の暴露であるが

20代の後半で、わたしは
「お正月に、親族の集まりではなく
旅行に行っちゃう」人種がいることを
初めて知って、のけぞりそうになった。

日本にそんな世界があったのか~。
(ほんと視野狭ですな)

小さい頃から、盆暮れ当たり前
なにかといえば親族一同集まる機会が
母方父方ともにあり、苦しいものの
それが「当たり前」として育ってきたから。

「個」が親戚クラスターを抜けて
自由に行動してもいいのか~、と
黒船を見た気分だった。

(しかし、「黒船」は見かけたものの
実際に自分が「黒船」に乗れたわけではない。
だから、ここまで、こじらせた)



うちの場合は近年、親族の新陳代謝が
おおいに起こり、構成員の変化もあって
かつてのような何十人と集まることは
法事などを除いてなくなってきたが

その分、各、新陳代謝後の家族での
集いはあるわけで・・・・。

ま、やっと、精神不安定にならぬため
親戚づきあいをできるだけ避ける方向に
わたしは舵をとるようになってきたので

(それでも、付き合いゼロ、というわけにはいかず)

今後はね、どうなるかな。



今でも田舎では、盆や正月は当たり前
連休にも、「帰省」という人口増幅装置があり

先のGWも、スーパーの鮮魚売り場では
十人前の刺身大盛りが幅を利かせていたな。

実際、連休明けの可燃ごみは
ふだんの置き場では足りなくなるほどの
量がでる。

(田舎でも、核家族の波はあるが
都会と比べたら、その波はまだまだ弱い。
三世代四世代同居はめずらしくないし
子や孫はせっせと律儀に帰省する)



「個」と「クラスター」が、(ぴったんこ
なんてことはめったにないにしても)

大きくはずれていると、とてもツライと思う。

「個」と学校クラスター
「個」と会社クラスター
「個」と地域クラスター

両者の隔たりが、互いの努力によって
減っていくのは理想であるが

なかなかそれも容易ではないよね。

「個」が蝕ばまれ、瀕死寸前になるくらいなら
クラスターを変えたほうがいい。



常に複数のクラスターに属し
(一つだと、そこに依存してしまうから)

ときどきで自分のなかで強弱を変える
(輪郭の薄いクラスター、濃いクラスター)

ときには、ぽんと、属していたクラスターを
飛び出して、新陳代謝をはかる

生き方はどうかしら?


つづく

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