ともみ@ピクニック

「愛よこんにちは」くらいがいい

『本当の大人の作法』
(内田樹さん、名越康文さん、橋口いくよさんが
わいわいわいっとお喋りしている本)は

最初、とまどい気味で読みはじめ
「挫折するかな」と思ったのだけど
いつしか勢いに乗って読みきった。

以下、気になったことの一部。

 。  。  。  。  。  。  。

「~のくせに」という言い方をしちゃいかんよ
と、内田先生。

今は、相手の立場が理解できなくても
「~のくせに」を黙って飲み込んでおくと

いつか、なにかのきっかけで
ふっと、腑に落ちるときが来る。

それまでは自分のなかで熟成させておけ、と。

相手の「揚げ足をとらない」大切さと
すぐに理解共感できるものばかりじゃなくて
今はむずかしいと思うことでも、食べておくと
そのうち栄養になるよ、という話。(と理解)。

          *

ただ、ヤンキーと不良には決定的な違いがあると思うんです。
不良は家を捨てるけれど、ヤンキーは家族信仰なの。

(141頁。名越)

自己完結しようとするとさらなる執着へつながってしまう可能性があるんです。
だから、書くことが仕事じゃない人でも、執着から離れるには物語は必要なんですよ。

(162頁。名越)

          *

「愛」の反対語は「敬意」、という話に
お三人は大いに同意されていた。

雑に説明すると
◎愛=「相手のことをわかっている」と思っている人が抱くもの。
◎敬意=「相手のことがわからない」と自覚した上で成り立つ。
となるのかな?

「わかりたい」というのは敬意だけれど「わかった」と思うのは愛だから。
(176頁。内田)

そして、179頁には、こんな会話が。

男女間だけじゃなくて仕事関係でも、友人関係でも、家族関係でも、
そこら中、その「愛」がはびこっていますよね。
で、揉めまくったり、ストレスを溜めたりしている。
ただこうなってくると「愛は悪なのか」って話になってくるんですが。
(橋口)

そう思ってくれるぐらいのほうが、僕は嬉しいんですけど。
むしろ「愛は邪悪だ」と思ってもいいぐらいです。
(名越)

僕もそう思うな。その邪悪な愛に対し
「愛よこんにちは」くらいの距離がいい。
(内田)

うーん、わたしは、かねてより
巷で云われている「愛」の
99.9999…%はエゴだと
思っているのだけれど

「愛」=相手のことを知っているんだ、分かっているんだ
という、おのれの思いから来ているとは
想像したこともなかったぞ~。

説明されれば、「ふーむ、そっか」とは思うけど
この解釈、まだわたしにはむずかしいなぁ。

それに、近年、もっぱら
「愛」の反対語は「無関心」という通説に
なじんでいたから。

やられたなぁ。

人は共感や理解の上に、関係を築いてはいけないんだよ。
共感ではなくて違和感。理解ではなくて謎。
共感できないけど「なんでこの人はこんなふうに考えるんだろう」
って思う気持ちが「敬意」だから。

(180頁。内田)

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