ともみ@ピクニック

「~のために」という自分詐欺

人が、自分の行動を説明するとき
「~のためにやっている」という
物言いをしがち。

国会議員は(ときに首相夫人までも)、「国のために」
そして教育者は、「子どもたちのために」、と言う。

本心から「~のために」の思いがあるとしても
言い方を変えれば
「~のために」尽くし頑張る自分が気持ちいいから
なんだよね。

(わたし自身がそうだから。他の人も同じでは?と類推)

例えば、老親の介護をするのは
「親のために」であるけれど、同時に

親に恩返ししたいとか、身内として放っておけないとか
放棄したらネグレクトになるからとか、介護することで
自分自身が救われるからとか、愛憎一体となっても
愛の発露と受容になるからとか・・・、たいていは
「やらないより、やったほうが自分がラクだから
(大変なこともあるけど、トータルやったほうがラク)
というのがあるのではないだろうか。

「仕方ない」と思いつつやっている介護でも
「やる」ことで、「やらない罪悪感」が消える
という、介護者の利益もあるのだ。

「わが子のため」「親のため」「国のため」「社会のため」
「友人のため」「会社のため」、「みんなのため」、エトセトラ
そこにあるのは、隠された自分の欲であったりする。

(「~のために」っていうのは、自分詐欺?)

以上、今更なのだけど
最近の政治家まわりの発言を聞いて
あらためて感じたので書いておく。


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