ともみ@ピクニック

「自己完結型の自立」は可能か?

先日、ある男性が元職場に行って
「すまんね」と元同僚に謝りつつ
数万だか、数十万だったか強盗した
というニュースがあった。

せつない話だ。

「金額の大小は関係ない。犯罪はダメ」
とか
「それくらいのお金のために、あきらかに
捕まる可能性の高い犯罪に手を出すなんて
バカ」
とか
いろいろ見方はあろうが

わたしはこの男を咎める気がせず
ただただ、せつないなーと思う。

そして
数万か数十万の借金を頼める知り合いもおらず
あと先を考える余裕のない所まで追い込まれてしまうのが
「格差社会」の一端なのだと感じた。

たぶん、彼は、「かげ薄く」生きてきたのだろう。

たくわえをもたず、周囲の人に頼れず
困りごとを相談する手段をしらず・・・、彼は
たまたま今回の事件で表に出てきたけれど
名前の違う「彼」はこの社会にたくさんいる。

そして、わたし自身が、いつ「彼」になるやもしれん。

          *

最近読んでいた本のなかに

自立するとは、依存先をたくさんもつこと

という趣旨の話があった。

たしかに、サラリーを得て、ひとまず経済的な自立ができていた
としても、それは本当の自立とはいえないのかも。

(=サラリーの出元に依存しているだけ)

人は「お金」だけで生きていけるわけではないしね。

ちょっと話は変わるけれど

誰にも迷惑をかけずに死んでゆくのは
(誰の目にもつかぬところで死ぬことはできても
その後の始末などを考えれば)
現代人には不可能だろう。

人に迷惑をかけない生き方なんて
誰にもできないわけだ。

          *

これも最近、どこかで読んだのだけど

リベラルな思考の獲得が、共同体の破壊を招き
個人個人を資本主義の食い物にした

という話があったな。

たぶん、いまだ大多数にとって
「アリとキリギリス」のキリギリスにならぬよう
また、このブログの前半に書いた「彼」にならぬよう
せっせと「自己完結型の自立」を目指して
邁進するのが「正しき道」なのだろう。

          *

今、ごく少数派であるけれど
あえて「リベラル」を維持したまま、共同体をつくる
チャレンジも生まれている印象だ。



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