ともみ@ピクニック

「セコイ」は損

わたしには、セコイ選択を常にしている
クセがある。

たとえば、用事の場所にはぎりぎりに到着すればいい
(時間にセコイ)、どうせ買うなら安売りの日に行きたい
(お金にセコイ)、体力的に可能ならアノ用とコノ用を一つの
外出で済ませたい(労力にセコイ)・・・

しかし、長年生きてきて、そういう生き方は
果たして得か?といえば、そうともいえないのだ。

理由一. セコイ態度で一見得をしたように見えても
広い目で見れば、それは損をしている行為であることが
往々にしてある。

(例えば、新幹線でなく、安い高速バスに乗る
→ 結局体力を奪い、時間的に損をしている)

理由二. セコイ思考は染み付きやすい。

セコイ生活をしていると、セコイことを考えるのが
クセになり、選択の場面ですぐに損得をはかりがち。

そして、「得をしなかった→損をした」というような
不確かな根拠の、ネガティブ感におそわれる。

情けない話だが、Aという手段なら5百円で
済んだところを、別のBという手段を使い7百円かかって
しまったというとき、単純に「損をした」と後悔が走りがちになる。
(その2百円の差で利便等を得たことを重視しにくい)

最悪なのは、「損をした」という思いこみが
自分にダメージを与えるようになることである。

これは自覚している以上に自分を疲れさせて
いるのだと思うし、行動を狭めてしまう。

(例えば、もっと実家と一人宅をこまめに往復
すればいいとは考えつつも、交通費を考えて
なかなかこまめな行き来ができない。それにより
色々と自分に弊害が起こってもいる)

つまり

その瞬間は「得した」ように思えることも
実は自分に損を招いているのかもしれない
のである。

「塵も積もれば山となる」という諺があるけれど

わたしの日々のセコさからくるお得感というものを
全人生分、ひと匙もらさず積み上げてみたとしても
それを死ぬ直前に見たとき
「あ~、お得、がんばったな」と感激するとは
とても思えない。

むしろ、なんてバカなことをやっていたのだろう、と
(楽しいお得はいいかもしれぬが)、「お得のために
人生を制限していた数々」を走馬灯の中で見て
悔いることになるやもしれぬ。

ぶひ~ん。

セコイお得を積み重ねようと日々奮闘しているわたくし
今日は、「自分の身体」と「映画料金」を天秤にかける
というセコサを発揮して、しかもそのセコ道の先には
落とし穴があったという話でした。

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