ともみ@ピクニック

語ってもいい。

ふたつ下と、ひとつ下の続き

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だいぶ前、このブログにも書いたけれど

昔は「人類が誕生して以来、戦争は常にあったのだから
“戦争をなくせ”なんて、戯言だ。戦争はなくならない」
という意見に対して、そうかなぁー、そうなのかもなぁー
と、あいまい、あるいは賛同するしかなかったのだが

今ではこう思うのだ。「戦争はなくならない」と言っている
人たちの世界では地球が破滅するまで、たしかに戦争は
なくならないだろう。でも、「戦争はいらない」と感じ、それを
信じる人たちの住む世界では、戦争は招かれないのでは?
きっとそうに違いない、と。

(思考的には「なくせる」「なくせない」のレベルにある限り
戦争は存在するのだよね。そこにあるものとして。
しかし、はなから、その存在を認めなければ、それは
消えうるのではないか・・・。という仮説は、スピリチュアル的
かしら? でも、集合意識の観点からいうと、そうなるよね)

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「政治的な正しさ」を語ることに酔うのは問題だと思う。
(語っている自分が好き、みたいな態度は毒)

だけど、政治的な正しさを考え、語り、そこに一歩近づけるよう
努力していかない限り、そこには近づけないんだよ。

             *

自分がつらい状態にあるとき、(腹を空かせた者が
お腹いっぱい食べている人の意見に耳を貸したくないように)

政治的な正しい発言をしている者に対して
ナニ余裕こいてんだよ! 恵まれた状況のお前が憎らしい!
オイラはつらくて、しんどいんだよ。この苦しさどうしてくれるんだ・・・
・・・ああ、ナニカに当たり散らしたい! そうだ、オイラより
もっとつらい思いをしている奴をいじめてやろう。そうすれば
オイラの自尊心が少しは保たれるかもしれないぞっ!

という心境になってしまうこともあるだろう。

そういう己の思考回路に気づかずに、単純に
資本主義ピラミッドの上部を叩くことを正義と思い込んだり
様々なマイノリティをいじめることが世のためになると信じたり
することも、なかにはあるのだろう。

だけどね、そういうことをしている限りは
本当に自分の空腹は満たされないのだよね。

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わたしは、プライベートな話をよく書く。

なかには「理想(こうなりたいな~)」というか
「自分に言い聞かせる」ための文章もあると思う。

書くだけでは意味はないし、書くことで満足するのも危険だ。

しかし、理想の方向に(政治的正しさならぬ、おのれ道の正しさ)
アンテナを張らないことには始まらないのだよ。

また理性を脳内体験し、言葉にすることは、自分への
まじないのような意味もあろうと思う。

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要するに、社会的なことも、個人的なことも
わたしの答えは同じなんだ。

「責任をもって語れ。ただし、理想に溺れるな」
(語ることだけに安住するな)

もしくは
「語る前に、行動を始めよう」なのだ。
( ↑ あっ、また理想を・・・

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