ともみ@ピクニック

〔4〕窓があること、遊ぶこと

世界が閉じると、自意識過剰になるのは
自然の法則なのだろう。


なかなか顔を出さない、わたしの願望があるとすれば
社会と関わりをもちたい、ということではないのか?
確信に近い疑問が浮かぶ。


web上の「反省会」をしているときに
やたら「遊べ!」と文字にした。

自身への分かりやすい報酬という
意味もあるけれど

遊ぶというのは「日常とは違う」世界を見る
ということを指しているのよね。

「今いる所とは違う世界を体験する」、それを
わたしのなかでは「遊ぶ」という。

つまり、「社会と関わりをもちたい」というのは
「遊びたい」と、かなり重なる面があるのだろう。


自我があふれすぎると、苦しくなるのだ。

これはたぶんわたしだけじゃなくて
誰にも共通することだと思う。

そして、「窓」がいっぱいあると、自我が窒息しないですむ。

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する