ともみ@ピクニック

被害者モード(反省会)

ただいま、1月9日の深夜であるが

新年早々「己のもろさ」の痛感もしたし
お正月のアタマのなかを総括しておこう。

(いずれと思っていたら日が過ぎていくし
明日からまた実家なので、なんとか今夜中に)

思いつくまま書く。


●北陸にUターンして十年が過ぎた。
(実際は実家に助けられているくせに)
「実家のために尽くしてきた」という
愚かな根性が抜けなくて、「ここらで
自由なお正月を過ごしたい!」と思った
昨年だったのに、しかし実際は
それができなかった。

(できなかった最大の理由は
「老母を独りにできない」という
わたし自身の思い込み)

●目の前にホントに辛いコトはないのに
「傷ついた」過去の記憶に、自分が傷ついている。

(ここ数年、それがヒドくなっていないか?
もう昔ほど、わたし個人は親戚づきあいをしていない
のに、過去の記憶にひっぱられ、些細なことで
心身の調子を崩してしまう)

●被害者モードにスイッチオン。

上手くいかないことがあると(=しんどくなると)
「老母がいなくなったら自由になれるのに」
という(まったく正しくない)考えにとりつかれる。

だからといって、「いなくなってしまえ」ということでは
もちろん、ない。

現実に上手く対処できないことを
誰かに責任転換したいのだろう。

●つまり、わたしは自分で
自分の人生に責任をもてていない
というわけなのだけど・・・。

世話する人がいなくなったら
新しい土地で暮らしたいという
夢想が離れない。

それは「逃げ」でもあるのだけれど
誰かのせいにしなくていい場所で
生きたいんだ。

(この土地にいると「血縁やらなんやら
しがらみが多すぎる」という理由付から
自分が逃れられない)

●今のわたしのもっとも弱い一つは
「わたしの動向(何してるの?)」を問われる
ことなのだ。

そして、心が叫ぶ。

影に日向(ひなた)に、じゃなく
影になり影になり、していることを
誰もそれを知らないし、誰からも感謝されない。と。

要するに、幼稚なのですな。

「誰かに認めて欲しい」し、「褒めて欲しい」のだろう。

思いはイジケ方向に加速するばかりで
「この十年、家族のこと、親戚のこと、黙って
お世話をしてきた。人に尽くすばかりだった。
なんか、報われないな・・・」、と。

要するに、労(ねぎら)われたいのだ。

●でも、「労われる」って?

すでに、わたしは労われているではないか。

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