ともみ@ピクニック

彼女の姿(わたしの課題)

話は変わるが、母は、わたしにはない
根っからの、大らかさのようなものがあり

あまりに人の目を気にしなさすぎというか
ときに人の影響を受けやすい面もあるのだが
基本的には、超マイペースなのである。

「世間を気にしい」のわたしからすると
母の姿は、よその人々という光線にあたり
「恥ずかしい」「みっともない」「好意に甘えすぎ」
・・・などなどと映って仕方ないのだ。

わたしは幼少の頃から
(母のその性格が反作用の種となったのだろう)
彼女の在り方に(なんでそんななんだよ、と)
否定的な感情を自分に還元していた。

はっきりいって、今現在もそうだ。
(長くなるから、詳しく書かないけれど)

         *

しかし、まあ、ねえ、もう彼女も歳だし
(そして、わたしが落ち込んだり、劣等感を抱いた
母の姿も、見方を変えれば、いい面はあるのだろう。
んー、たとえば、人の言動を深読みしないところとか)

もうちょっと、彼女のありのままを認めよう
・・・というのが、来年以降の目標のひとつか。

         *

母が自転車に乗りながら鼻歌を歌ったり
家のなかで突然昭和歌謡を歌いだしたり
なんてのは日常茶飯事なのだけど

「ああ、(彼女の)魂がたのしんでる」
と、最近は思うようにしている。

今日も夜の戸締りを確認するときに
(かぎが掛かっているのを確かめて)
「かけた~かけたぁの~ぉ、よいよい♪」と
東京音頭の替え歌を歌いつつ、もう一度
かぎを開けて庭に挨拶をして、寝室に向かった
彼女であったなぁ。

(ちなみに声を出して歌うことは、わたしの
「恥ずかしい範疇」には全く入りません。
上記は余談であります)

         *

(彼女を通して)はらはらしたり、恥ずかしい
感情を抱くだけじゃなく、世間と切り離した所で
(彼女の行動そのものに)腹が立つことも
山のようにあるけれど

それって、彼女のせいではなく
わたし自身の問題なんだ。

「彼女が彼女である」ことを、つまり
「彼女が彼女にとって必要な経験をする」ことを

わたしは邪魔しないよう、しずかに
見守るようにするのが、これからの課題。

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