ともみ@ピクニック

13.「民族」が安らぎを与えるのではない

ドイツの移民事情にふれた一節

(かつてドイツの社会学者たちが、移民二世につき
「トルコの村の伝統文化とドイツの都市文化のあいだで折り合いを
つけることができていない、アイデンティティーの喪失の問題」
と、移民問題を片付けようとしてきたことに、著者は反論する ↓ )

アイデンティティの問題とは、個人が確立していくプロセスで、自分は何者として生きているのか、という問いと向き合うことです。しかし、トルコ人の若者たちの多くは、「個」というものが何なのかを知りませんでした。彼らの母国で支配的であった人間観は、個人主義を嫌っていましたし、多くの人が、それこそ家族の崩壊をまねくものだと思っていました。

若者たちは、それがドイツの若者とはひどく違っていることに気づいていました。だから、学校や外の社会にいるときは「個人」が重視され、家に帰ると「家族」が重視されることに苛々していたことは確かです。

〔中略〕

そのなかで、ドイツが性に合わなかった若者たちは、結局、伝統的なトルコ文化ではなく、イスラムに接近します。そのイスラムは、肌で知っているようなものではありません。ドイツに来てから本で学んだり、先生から習ったものです。それでも、イスラムに従って生きる道を選ぶようになったのです。

移民の若者たちがトルコという「民族」を掲げたって、彼らはヨーロッパで生まれ、育っているのですから実感がありません。それに、民族というのは、他の民族と競ったり、争ったりするときには俄然、強さを発揮するものですが、日常の生活に安らぎを与えてくれるものではありません。

それより、正しく生きるための方法や生きることの幸せをイスラムは与えてくれましたから、そちらを選ぶようになっていったのです。〔略〕


(38~39頁)


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