ともみ@ピクニック

5.殺人は刑事にあらず

ことさら、わたしが興味深かったのは、刑罰の下り

ハッド刑・・・アッラー(神)の大権。人が重くしたり軽くしたりできない。
どんな罪を犯したときにどのハッド刑が課せられるか決まっている。

ハッドというのは、「一線」のような意味で、神が定めた「一線」を越えたことに対する罰をこの世で科すもの。神が決めた「一戦」を越えたわけですから、量刑を人間が左右できないと考えるのです。何が「一線」なのかは、千四百年前に神の啓示としてムハンマドに下ってしまったのですから、後の世に変えることはできません。 (157頁)

★ハッド刑のうち、死刑になるもの
姦通
姦通の誣告〔ぶこく〕(うそを言うこと)
故意の棄教(故意にイスラムを否定した場合)

★その他のハッド刑
窃盗・・・手首(指)や足首の切断
飲酒・・・ムチ打ち

(ハッド刑が科せられるのは以上のみ)

☆殺人→ハッド刑の対象にならない。
「当事者」間の問題、民事ととらえる。

「姦通」や「窃盗」が死刑になるというのに、なぜ「殺人」にはそれに相当するようなハッド刑はないのか? 〔改行〕おそらくそれは、「殺人」は神と人との関係から起こるのではなく、人対人の関係から起こる出来事だからではないかと思います。私たちから見れば「姦通」も「窃盗」も人間どうしの間に起きることなのですが、これらの罪は『コーラン』で神が罰し方を決めたため、刑に人間が介在する余地がないのです。 (157頁)

「殺人」も大きな罪のひとつです。『コーラン』にはひとりの人間を殺すのは万人を殺すのと同じだという、非常に重要な殺人の禁止規定があります。遺族には、されたことと同じ程度の報復をしてもよいとする「同害報復」の権利があります。〔改行〕〔略〕。当事者間でなければできない。これが「同害報復」のルールです。つまり、肉親のだれかを殺された場合、その遺族には殺した相手に報復することが、権利として認められているということです。「同害報復」はあくまで権利ですから、遺族が血の代償として金銭での損害賠償を受け取るということも認められています。 (158頁)

(日本の刑事裁判を例に出し・・・・・・)
被害者の遺族がもっと重い罰を科してほしいと願っても、自分では上訴(控訴や上告)はできないということです。遺族の権利を何より優先して考えるイスラム法と大きく食い違うところと言えるでしょう。〔改行〕事故に遭って苦しんでいるのは遺族なのに、その遺族には上訴する権利がなく、被告と検察官にだけある。それははたして正当なことかどうか? 〔改行〕〔略〕。そこに、私的な復讐を禁じるという意味があるのは確かです。
〔中略〕
ひるがえってイスラムの法には、少なくとも遺族が裁判の埒外におかれるという理不尽さはありません。罰を与える権限をもっているのは、殺人の場合は遺族、窃盗の場合は「神」だけですから。そこに第三者である国家は介在しないのです。
(159~160頁)

司法機関(法)が、ともすれば民意に左右され
殺人の罰のおもさを決める社会になった日本。
(裁判員裁判は法の知識のない者も
刑罰のおもさを決めることに加担するもんね)

殺人は「当事者間」の問題というのは、目からウロコだ。
(しかし考えてみれば、かつて日本にも「敵討ち」という
制度があったわけで、なじみあるといえばあるのか)

(では遺族のいない場合、殺人者は野放しじゃないか!という
意見もあるだろうが、それはそれとして、わたしたち人間が
「社会正義」というものに酔いすぎな性質をもつ
(=ときに冤罪をも引き起こす)との観点から考えると
権力の傘を借りた正義感の発露を少しでも防ぐ策ではあるな)

(しかし、報復が「冤罪」だった場合、どうなるんだ・・・
ということを考えるとエンドレスになるから、やめておこう)

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