ともみ@ピクニック

共感まわり(反省会)

共感は、ふっと誰かがもらしたものを
たまたまふっと別の誰かが触れ、受け取る
程度のものがちょうどいいのだと思う。

あからさまに共感を呼ぶことを意識したり
共感乞食のように社会をさまようのは
いかがなものか? 

         *

過日、つれづれと、「感情化する社会
特に共感まわり」のことを書いたけれど

おそらくわたしの文章に嫌悪を感じた人も
おられよう。

(受け取り方によっては、「おのれの姿勢」を
否定されたように感じるケースもあるだろう)

ま、印刷物であれ、ネット上であれ、他人の文章を
ちょろっと読んで、おのおのに都合よく解釈
(ときに悪いほうに誤解して解釈)するのは
日常茶飯事だからね。

( = わたし自身が多々実証済みだも~ん)。

それで嫌悪されたのなら、仕方ない
とは思う。

         *

人と人のつながりの、大切なものの一つは
共感だろう。

馴れ合い、情、尊敬、・・・などに負けないくらい
共感は、人と人をつなぐ接着剤。

わたしはまた(あの一連の文章を書く前も後も)
孤独の海で、ぽつーんと「共感」を眺めるさっ。

( ↑ 憐憫を漂わすため「孤独の海」と表現したのではない。
自分への決意表明のようなもの・・・・・・だろうか?)

(それにしても、すっきりした方向性が出ていない
自分のなかの葛藤がまとまっていない、一言でいえば
思考の部分露出のような文章だったので、いつの日か
もうちょっと意図がクリアになった話を書ければいいな)

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する