ともみ@ピクニック

1-技術と宮崎駿さんの言葉

夜、見たり見なかったりしつつ、点けていたテレビ
『NHKスペシャル 終らない人 宮崎駿』のなかに
気になる場面があった。

人工知能で映像処理をするアニメーションを見せられた
ときの、宮崎さんの反応――

(それは一言でいうと、直視するに耐えない
グロテスクなアニメーションでありました)

「見せられた映像は、身体障害者の友人のことを
思い出す」と説明したうえで、宮崎さんは言う。

僕はこれを面白いと観ることができないですよ。

これを作る人たちは痛みとか
何も考えないでやっているでしょう。
極めて不愉快ですよね。

そんなに気持ち悪いものをやりたいなら
勝手にやっていればいいだけで、僕はこれを
自分たちの仕事とつなげたいとは全然思いません。

極めて、なにか生命に対する侮辱を感じます。


わたしも全く同様のことを感じていたので
しごく当然のこととしてこの言葉が響いたのだけど

しかし、CG技術を紹介した I T 企業の人たちは

宮崎さんに言われたことの意味がよく理解できて
いないように、わたしには思われた。

「これは実験なので」「世の中に見せてどうこうと
そういうものじゃないんです」って・・・・(返す弁)。

(宮崎さんは、社会的な倫理観を話していたのではなく
もっと根本的な心の感度の話をしていたのだと思うのだけど
両者は話の土台が違うというか、見ているものがかみ合っていない・・・)

もしかしたら、I T 会社の人たちは
「この爺さん、何言ってんだ? 俺たちは
CG技術のすばらしさを教えに来たんだぜ。
モラルはモラルで、俺たちだって、TPOをわきまえるぜ。
今はあくまで、CGのレベルの高さの話なんだぜ」
と思ったかもしれないと、邪推してしまう空気を
画面のなかに見た。

そのあと切り変わった画面で
地球さいごの日が近いって感じがするね
人間のほうが自信がなくなっているからだよ

と、絵を描きながら、宮崎さんは言っていた。


わたしの頭が固いのだろう。

どちらが善でどちらが悪ということでは
ないのかもしれない。

グロテスクなものを全面に出して、技術の高さを
表現することのなにがいけないのだ!? という
考え方もあろう。

だけど、わたしは宮崎さんの感じ方に寄り添いたい。

技術を見せることに注力するあまり
痛みの能力を減退させた人たちが
存在することに、わたしはまたまた
現代を生きる分断を感じてしまった。

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