ともみ@ピクニック

あーあ、の同調圧力

今日美容院で読んだ雑誌のなかに

「SNSで、みなさん、個性を発揮しているように
一見見受けられるけれど、実際のところは
多くの賛同を得られるよう、周囲に受け容れられやすい
空気を読んだ、無難な投稿になりがちなんですよね」
というようなことを書いたエッセイがあった。

む~ぅ。

             *

同調系の圧力なんて、昔から
あっちこっちにあったとは思うのだけど

それに増して、最近目立っているのはなぜ?

いわずもがな、テレビ界。


特に、バラエティ系の番組は仲間うちで受け容れやすい話に
情報系の番組は「みんなで溜飲さげる」「大勢で一人を叩く」
話に、とても流れやすくなっていて、深みのない
同じところをぐるぐるぐるぐる回している感じ。

(余談。俗にいう「毒舌」はTVに出ているくらいだから、実は全然毒舌じゃない
めちゃくちゃ空気を読んだ、しっかり「許容」計算をしたうえでの弁に過ぎない)

それに異論を言う人は排除されるし、そういう空気が嫌いな人はそっと身を引くので
正直、おのれの倫理感よりもTV界に生き残ることが自分の使命という
意識の感じられる方々を、ブラウン管ではお目にかかりやすい。

そしてそれがイヤなら、TVを観るなということになる。

だから、最近は、あれの番組もこの番組も観なくなって
いたのだけれど・・・・・・、今日は観てしまった。

             *

そうしたら、過日の「大麻所持で、エコ生活者が逮捕された」事件をとりあげ
“エコ生活者なんて「自分たちがイイことしてる」と偉そうな顔しているだけで
車も使えば飛行機も使うだろう、それのどこがエコなんだ?”的な話を
その場にいた人たちが嬉しそうにしていて、とても気持ち悪かった。

なんで、そういう発想になるのかな?

(エコ生活は、科学的な資源をまったく使わないとか
環境への負荷をゼロで暮らすなんていう意味では当然なく
その人その人ができるだけ、環境にやさしい生活を心がけ
実行するってことでイイのじゃないかしら? ) 

まあ、そう思いたい人が一定数いるのは仕方ないのだろうが
そういう場で「それを、たしなめる」弁が、まったく出てこず
放送に垂れ流されるのを観ていると、これは
公共の電波を使ったイジメかい? と言いたくなった。

(自分の目に「偽善者」と映る人間を叩くことは、一種の快楽なのか?
そして、そういう快楽が場の空気を支配すると、それは圧力になる)

             *

普段はたぶんそういうことは言わないだろう人まで
「エコ生活者が逮捕された」というだけで、そういう方向に話が流れ
盛り上がっているんだもの。

おまけに、「前から、おかしいと思っていた」とか、そういう言質まで出てきて・・・。

別の番組では、「ダイビングの記録が出た」のも「ヒットした曲の作詞」も
ドラッグのおかげじゃないのか!? なんて、勝手な想像を言い出す
人まで出てきて、なんだか、なんだか・・・。

もちろん、「そんなことは絶対ない」とは、第三者は誰もいえないわけだけど
そんなことをいったら、すべての人間が同様の疑いをもたれてもおかしくない。
(「白」を証明できないなら、すべて「黒」と推定もされる、式だもんね)

あーあ。

             *

(同調圧力の防護服を少しは着られるようになったけど
このごろの、ネガティブ・バキュームが働いている自分にも
「あーあ」である。二重のあーあ。
なかなか人間って、上手くいかんもんだな)


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