ともみ@ピクニック

二.相対化のオバケ

わたしのなかでは言語化できておらず(小説の土台となる部分なのに!)
荻上チキさんの指摘を聞きなおして気づいたのだけど

この小説の主人公には
「空気を読まないでもいい」という自己肯定が出発点にある
のだな。

なるなるなるほど~。

ただ、やはり、自分が「普通」じゃないと、まわりがザワザワして
怒られちゃうから、主人公はまわりの納得する「普通」を演じて
生きようとするのだ。

この、「普通じゃないこと自体には苦しんでいない」主人公の姿には
作者さんの村田さんも、変わっているとおっしゃっていた。

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「普通」って、相対化のオバケなんだろうな。

ほんとうは「普通」なんて図るモノサシは存在しないのに
おのおのが、自主規制的に普通のモノサシを抱えている。

荻上チキさんの言葉をお借りするなら
「平均値よりも上の、理想化したものを、普通として
しかもある特定の瞬間だけを切り取って」世界を見ているから
まわりの人と自分のギャップを感じてしまうのかもね。

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わかりやすい記号的な例でいうと

大多数が高校より先の進学をしなかった時代には
「中卒」や「高卒」のコンプレックスなんて今ほどにはなかったろう。

正規・非正規という労働者の区分の薄い世界では
世帯主の職業的身分がアルバイトであることに
もっと誇りをもって働けるであろう。

結婚が、人類の10パーセントくらいしか体験しない時代になったら
未婚という世間的な圧力も存在しなくなるだろう。

「普通」なんてものに、正体はない。

それは、結局、相対化のオバケなんだ。

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被害者妄想といってしまえばそれに尽きる
シャバの膿のような言葉を

小説『コンビニ人間』のなかで吐く男がいる。

男の言葉は、「相対化のオバケ」に苦しんでいる読者にとって
おのれの心の代弁をしてくれているようで
苦しいながらも、ひとときの解放感を与えてくれる
のではないだろうか。

よほど熟した精神をもっていないと、凡人には
相対的な尺度からはじき出される人生はつらいのだ。

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