ともみ@ピクニック

『コンビニ人間』(1)

しばらく前に読んだ本

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村田沙耶香・著 『コンビニ人間』

芥川賞をとった作品なので、おおざっぱなあらすじを
知っている方も多いかもしれない。

以下、いくらかあらすじに触れた話をするので
「コレカラ ヨモウト オモッテイル ノニ
グタイテキナ アラスジ イワナイデ」な方は
お目を通さないようにご注意ください。


まず、この本の核だと
わたしの思った文章を引用しておこう。

コンビニ店員になりたての主人公の心境である。

《そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった」(20頁)》

これは一見怪訝にも映るし、自分はそうじゃないと
たいがいの読者は思うだろうけれど、でも実は、これって
人としての自然な心境なのかもしれない。

(主人公は幼い頃からずっと普通じゃない子と言われ続け
コンビニの店員になることで、やっと「世界の部品」になれたのだ。

大方の人は、ある程度の“普通さ”を身につけて、幼き頃から
「世界の部品」だったのだろうと、わたしは思う。
たまたま無自覚に部品でいられたから、部品であることの欲求を
自覚せずに生きてこられたのだ。

生涯ただの一度も、部品になれず、世界の部外者で居続けるのは
苦しいんじゃないかなー?)

大学一年からコンビニ店員となった主人公は
天職のように同じ店で働き続け、処世術を身につけて

(例えば結婚も就職もせずバイトの身分でいることの
「友人向け」と「同僚向け」二種の言い訳を用意する。
周囲の人から、喋り方やファッションを、真似る。
怒りに同調してあげると相手が喜ぶから演技する。などなど)

やがて36歳となるのだが

少しずつその処世術も綻びはじめる。

《「でも、変な人って思われると、変じゃないって自分のことを思っている人から、根掘り葉掘り聞かれるでしょう? その面倒を回避するには、言い訳があると便利だよ」 皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。私にはそれが迷惑だったし、傲慢で鬱陶しかった。(54頁)》

主人公には、新しい処世術が必要だった。

そんなとき、ある人物の登場で、物語が急転換するのだが

そこで浮きぼり出てくる、「普通の人」たちの「普通の感覚」が
ものすごい凶器で、作者の村田さん、すごい~、と思った。

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