ともみ@ピクニック

いばやシェア

わたしはひとりの人間で、これを読んでくれているひとがいるならば、ここにはふたりの人間がいる。 と、いばやの坂爪さんはブログのなかで仰っている。

えっと、ではでは、ここにも、わたしと
これを読んでくれているお人がいるならば
少なくとも、二人の人がいるのだな。

*以下、坂爪圭吾さんのブログ「いばや通信」http://ibaya.hatenablog.com/
2016年9月4日付に書かれていた言葉です*

自分の中にある「愛」と呼ばれる部分に照らし合わせた時に、何もうしろめたさを感じることがないのであれば、これがいまの自分にとっての精一杯なのだと思えるのならば、何を恐れることがあるだろうか。何を躊躇うことがあるだろうか。ひとに理解を求めるのではなく、天に恥じない生き方をすること。ひとを咎めることをせず、ただ、自分が思う誠実さのど真ん中を生きること。他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になること。大事なことは、他人ではなく「自分」なのだと私は思う。

それが「悲しみ」や「不幸」と呼ばれるものであろうとも、慣れ親しんだものの中には居心地の良さが宿る。不幸だ、不幸だと言いながら、不幸でいることのメリットを吸い続けながら生きることだってできる。変わりたい、変わりたいと言いながら、変わらないでいることのメリットを吸い続けながら生きることだってできる。でも、と私は思う。でも、こころの深いところでは、これまでの自分とは違う何かに涙が出るほど焦がれている。不安、憎しみ、惨めさ、悲しみ、恐れ、罪悪感や被害者意識などの不幸をふるさとにしてはいけないのだと、それよりも『よろこびを、光を、幸福をふるさとにしていきたいのだ』と、焦がれているのではないだろうか。


坂爪さん、生きていてありがとう。
心の声を分けてくれてありがとう。

お礼の方法が分からないから
ひとまずここで坂爪さんの言葉を
シェアいたします。

植物の種のように、知らず知らずに運ばれて
またどこかで芽がでるといいな(と夢想して)。

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