ともみ@ピクニック

つらつら(16夏備忘)

移動の電車のなかで、つらつら考えた。


庭木を、できるだけ自分で手入れしたい
と思いやってきたけれど、さっぱり考え方を変えて
プロの手に委ねるというのはどうだ・・・。

(去年は、半分ほどプロの人に任せたけど、あれは
臨時の処置という捉え方だったのだ。自分のなかでは)

ずいぶんラクになるだろう。


買い物も一部、宅配というのを利用してはどうだ・・・。

これまでは「割高だ」とか「自分の目で選びたい」とか、(あと
雨の日や雪の日や猛暑の日など、自分の外に出たくない日に
人に配達してもらうなんて、いかがなもんよ? の思いもあった)

電化製品から、洗剤やトイレットペーパーなどの生活用品
調味料や飲み物、ありとあらゆるものを、自転車で買い物に行く
・・・荷台にダンボール積んで、前カゴに荷物入れて、左右の手にも
袋をもっているという芸当を、春夏秋冬やっている・・・

片道20分ほどの田舎道、今のところ
カラダを動かすきっかけになるし、季節を感じられるし
それなりに楽しい時間であり、また、なによりも

わずかながらの達成感というか、「(家人のために)役に立つことを
できた」という満足感もあり、なんちゅうのでしょう、まことに
恥ずかしいのだが、「ちょっとした仕事をした」気分になれる
というのはある。

ただ、年に数回は「辛いな~」と感じることもあり
買い物の負担が減るとしたら、時間も気持ちも
余裕ができるだろうなぁ。

(ただし、現在無職のわたし、時間や気持ちの余裕を
今以上に欲しいだろうか? 多少の「せねばならん」ことが
今の自分を成り立たせてくれているのではないか?)


畠も、庭も、やってもやっても、草むしりが追いつかない。

(このことは日々考えている)

「ある程度」きれいにしたら、あとは、こまめなパトロールで
小さいうちの草を抜いていけば、おおむね、きれいな状態を
保てるのではないか・・・? とずっと思い目指してきたが

なかなか、その「ある程度」に追いつかない。

常に、何ケ月も(一年以上も)手をつけていない所
数ケ月前に除草してまたボーボーになっている所
数週間前に除草してややボーボーになりかけている所
数日前に除草して比較的きれいな所

畠も、庭も、それらの状態がかけ合わされている。

「父ちゃんはマメだった」と、しみじみ思う。

(もともとは商いの家に生まれ、勤め人をして
定年になってから、農を楽しむ人になった)

彼がマメに草むしりをしてくれたから、庭や畠の手入れが
こんなに大変だとはずっと知らずに来たよ。

母ちゃんだって、昔はもっと「ちゃんと」やれただろうが、今や
農作物の作り方は、わたしから見ても、かなり雑になっているし
(もともといい加減だったのが、その何乗にもなっている)
草むしりだって、誰かがフォローしないと、庭も畠も草原状態だ。

畠は、母ちゃんの老後の趣味、(畠の知人たちとも会えるし
カラダを動かすし、気持ちのハリになるし、頭も使う)、であり

なんだかんだ言いつつも、わたしは時間と体力を費やして
彼女をフォローすることになるだろう。

なぜなら、もはや、フォローしないという選択肢が
わたしには見えないからである。


などなどなど、わたしの世界は、わたしなりの意味付けのもと
どうにかこうにか成り立っているような気もするのだが

「自分がしなければ」の義務感に押されすぎるのは良くない。

(「自分がしなければ」の思い→やる→達成感→自己承認のサイクル。
一歩間違えれば、「実家のために尽くす」ことが人生の目標となってしまう。
実際にそうなりかけているのだろう。これはね、危ないことです)

今後、わたしがフォローせねばならんことは増えるだろう。

現在、自分の仕事と思っていること(剪定をはじめとした庭仕事。
畠の草むしり。日常品の買出し。家事)すら、満足にはできていないのに。

もちろん、わたしの活動時間が、世間的な平均に比べて少ないというのはあり
もっと「がんばって働け」という叱咤を自分に送ることも想像上は可能だが
わたしはそんな生き方を望んではいない。


ん~、どうしたもんかのぉ。

ひとまずは、もっと効率よく活動する! というチャレンジだ。

いずれは、力仕事を人に頼んだり、宅配を利用するなど
頑固な自分を変えていかなければならなくなる日も来るかもしれん。

だとしても、今は、もうちょっと、上手に、ものごとを進める
能力をはぐくむ時期なのかな。

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