ともみ@ピクニック

無意識の偽善者

わたしが人と会いたくなくなったのは

(今とは比べようもないくらい、ウツ症状が強かった)
「疲れてないフリ。楽しいフリ。なじんでるフリ」することに
モーレツに疲れていたからだろう。

でも、その頃は、人とのつながりは大切にしなければ、の
思い込みが今以上に強かったので、ますます負のサイクルに
陥っていたのだろう。

人と会ったあとも、「あの発言をコレコレこういうふうに
誤解されてしまったのではないか」とか、「あのトーンの振る舞いは
相手に失礼に映ったのではないか」とか、はてしのない心配や後悔に
飲み込まれ、ほとほと疲れてしまったのである。


かといって、繊細な人間というわけではないのだよなー。

すごく短絡的で、その場その場の対応をしてしまい
のちにクヨクヨするというパターン。

(属する集団によっては、目立つヒトの立場を演じてしまうときもあり
わたしをそういうキャラクターだと思い込んでいる人もいるようだが
のちに大変恥ずかしい思いに包まれるのだ。

・・・そういうキャラクターを被っていないと、身の置き所がないので
鼓舞して演じているのですよぉぉぉぉ!)

友人と会うのがしんどい、と言ったって、実は友人と会いたい気持ちの
自分がゼロなわけではなく、なんちゅうか、矛盾が大きいのだよな。


とーとつに、以上の話をしてしまったのは

こちらの記事 http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/5997911.html
を読んだからである。

この世の人間のほとんどは、無意識の偽善者なのだろうか?

(無意識の偽善者とは、夏目漱石の小説のなかに出てくる言葉だそうで
「実際にはいろいろなことを考え、他人にどう見えるかを考慮して、
自分をとりつくろっているのに、あたかも自然に振舞っているように見える」人
のことだと、茂木さんは仰っている)

自分だけが「無意識の偽善者」だと感じるのはたいへん辛いことなので
もう、自分以外のヒトも全員、無意識の偽善者だと見るのがよろしいな。

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