ともみ@ピクニック

意外なところに

はしたないことを続けて書いてしまった。

ごーくたまに親族にグチることはあっても
(あと母本人にも云うが、聞き流される)、基本的には
ひとり慢性抱えているストレスであって
むー、むーむー、修行が足りませんのぉ
ときどきこうやって発散したくなるのだ。

(しかし、餃子の話からはじまって、ここまで
書きまくるなんて、人間としてどうなんでしょ…)

世界には食べたくても食べられない人たちがいるらしい
いや世界まで行かずとも、同じ国でもひもじい状況にいる
人たちがいるだろうに、まこと、罪深い。

わたしの、この「実家食べ物ありすぎる」と
「実家のゴミ屋敷に極めて近い(部屋によっては完全にそうなっている)」は
はたからしたら、贅沢でのんきな悩みなのであろうが
わたし本人にとっては、しばしば
「母が寝たきりにでもなったら、ずいぶん解決するだろうなぁ」
と、悪魔な思考をもたらすほどの、根の深い問題なのである。


でもね、長年、この問題と戦ってきて分かったのは
まともな戦法では解決しないということ。

例えば、「ひきこもりの子をもつ親が、子を外に出そうと
どんなに頑張ってもダメ。親自身が人生を愉しみ謳歌する
ようになると、不思議や不思議、子は自然とひきこもりを脱する」
という話を聞いたことがあるけれど

(問題に焦点をあてようとすると、余計そこはエネルギーを
もつようになり、問題が膨らむのですね)

(=不平不満のエネルギーを募らせると、ますます
不平不満の原因が肥大するのです)

ヒントは、意外なところにあるのだろうと思う。

「なんとなしなきゃ」とか、「母ちゃんが・・・」などと
云っているうちは、同様の問題がくるくるくるくる
わたしの周りをまわるのである。

まだ知らない、わたしのなかの鍵を開けたとき
事態は改善するのだと思う。

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