ともみ@ピクニック

「余命を知って」(2)

コツコツと老後資金を貯めてきた洋子さんは
余命を知って、ぱーんと高級車を買ったそうだ。

愉快だろうな。

(ここで、死への恐怖が勝って、あるいは悟りが降りてきて
物欲のゼロになる人もいるだろうが、洋子さんの場合は
「残された期間を積極的に生きる」肯定スイッチが押されたのだろう)

「余命を知って、自由を獲得する」というのは
たぶん、あるのだろうと、わたしは想像する。

わたしは、数年前から、ときどき
自分が病気になって余命を知ったらどうするか?
という発想をするのだが、答えはいつも同じだな。

外国にゆっくり滞在して…余命の長さによって期間も変わる…
そして、身辺整理である。おそらく前者が「したい」ことで
後者が「しなければいけないと感じる」ことなんだろう。

思い出の場所に行きたいとか、誰かに逢いたいとか
そういう発想にはならない。

(悔いがある人生の穴埋めをするというよりも
未知の世界に触れてみたい気持ちが大きいのだろう)

余命に余裕があるのなら(←へんな表現だけど)
今までに暮らしたことのない土地で
気ままに暮らしてみたい。

(そんなこと考えてるなら、今すぐ行動せよ! なのだよね。
色々と言い訳をして、現実、それに踏み出していないのは
自分が自分の人生を100%生きていないからなのだ。

社会的にも、おのれの内面に対しても
都合のいい理由があるとしても、ほんとうのところは
一歩を踏み出す勇気がないだけなのである。

だってさあ、責任とか立場とかを隠れミノにして
「やりたいことをやらないでいる」のは楽だからね)

まあ、案外

老後の心配もせず、様々な縛りから解放されて

( ↑ 先の心配をせず、「今」を100%愉しむ。
こんなことは物心ついて以来ほぼ経験ないなあ)

心身ともに贅沢で気ままな生活をしたら
「あ~、夢想していた暮らしって、大したことないのね」
と学ぶのかもね。

それはそれで、その学びが冥土の土産になるな…。

もしも今、残り少ない余命を知ったら

「身辺整理して、帰国後のホスピスを探して
それからぶらっと外国に行ってしまいたい」と
頭では考えるけれど

案外、身辺整理をしつつも、今の暮らしを淡々と続け
「今ある日常を大切にする」方向に行くかもしれないなぁ
という思いもゼロではない。

こればかりは、そのときにならないと
自分の心が見えない話だな。

(死への恐怖もあるだろうけれど、それに乗っ取られず
残された期間を可能な限り肯定的に生きるのが理想だな)


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