ともみ@ピクニック

「利己に走る」

ひとつ上のおまけ


「利己に走る」と、いずれ、人はどん詰まる。

だが、利己がこの世のお荷物にしかならないのか? といえば
いやいやまわりまわってそれも必要なのだと、わたしは言いたい。

「利己に走る」ことにより、学ぶことはある。

それは魂の成長過程の一環なのだと思う。

「皆が自分の身の回りのことばかりを考えていたら、社会が腐る」
という理論は、短期的には合っている時期もあるかもしれないが
長期的に見れば間違いなのだ。

ひとりひとりが自分の世界を大切にして
理想を現実化していたら、それは共存するのだろう。

(人と人がぶつかるのは、真の意味で自分を大切にしていないから)

ふふふ、「オツム、花畑ちゃん」と言われるかもしれないが
わたしはそう思うのである。

ちなみに、まだまだ魂の成長過程であるわたしは
「利己に走りっぱなし」のまま、この人生を終えそうな気がする。

でも、そのなかで「自分をホントウに大切にするとはどういうことか」
とか、「利己にとらわれると最終的には自分が苦しむんだよ」とか
一歩一歩の学びの種をまいているような、希望的思いはある。


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