ともみ@ピクニック

ドラマ『白夜行』

真夜中の実家の居間では、録画しておいたドラマ
『白夜行』(東野圭吾・原作。森下佳子・脚本。2006年)を観ている。

わたしは東野圭吾さんの小説を読んだことがないけれど
これは、すごく面白い。

ただ、ウィキペディアの「ストーリー考察」の欄には
「原作ではほとんど描かれていなかった亮司と雪穂の関係を映像化し、2人の葛藤や成長などの心理的部分を中心に描いている」
「亮司と雪穂をモンスターにしたくなかった」
とのテレビ向けの演出が明かされており、わたしにとっては
“テレビ仕掛け”の『白夜行』がよかったのかもしれぬ。

ドラマは、主人公・亮司のセリフを借りるなら

「ねじれていく論理」「正当化される思考」のもと
どんどんと登場人物が追い込まれていくのである。

それは、善良な庶民の顔をして
日常の暮らしでは目をつむっているけれど
多くの人が、もちろんわたし自身も心の底で抱える
闇とつながるテーマなのだろう。

このストーリーにある、殺人などの犯罪に直結することは
ないとしても、大なり小なり、人が捨てきれない闇というか。

第五話だったかな
雪穂(綾瀬はるか)が、唯一心を許せる人に
叫ぶんだ。

間違っているんだよね。

不幸だなんて思っているのは
間違っているんだよね。

人の幸せを壊してやろうと思うってのは
間違っているんだよね。

笑えるようにならなきゃ、いけないんだよね。

みんなそうやって頑張っているから
わたしもそうやって頑張って生きなきゃいけなんだよね。


このセリフに、震えてしまった。
(元気なときなら、ふ~んと受け流しただろう場面だが
ここずっと気持ちが病んでいるので感応したのかも)

人生うまくいっているときは、すっかり忘れたつもりになっていて

また多少つらいことがあったとしても
「ねじれていく論理」のもと「正当化される思考」に飲み込まれないように
懸命に生きているわけだけど、たまには

「ねじれていく論理」のまま溺れてしまいたいと

潜在的に思うわたしがいるのだろう。

ところで

亮司が図書館のHP伝言板に書き込んだ遺書のなかにある

本当の罰は心と記憶に下される
飲み込んだ罪は魂をむしばむ


これがすべての答えなのだよなぁと納得。


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