睡眠と薬とわたし
よく、生活リズムを整える大切さが唱えられるけれど
これは体にいいだけでなく、心にも関係してくるんだね。
わたしは、世間の多数派から見れば
不摂生極まりない生活だけど、不摂生なりのリズムが
整っているときは、心の調子がわりと安定しているのだ。
(たとえば、「朝方就寝し、昼過ぎに起床」というリズムを
自然に繰り返すことのできる日々は、とてもカラダがラクだし
心もあまり疲れない)
おととし来、わりと調子のいい日の多かったのは
このリズムが割と身についていたのと関係があろう。
(心の調子がいいから、こういうリズムが作れるのだし
こういうリズムがあるから、心も助けられる。
大きな相関関係があるように思う)
* * *
毎日夜中に睡眠の薬を飲んで、無理にでも眠りに入れば
またそれなりのリズムが作れるのでは? という考え方も
あろう。
「前日の起床が何時であろう」と、「前日にどれだけ仮眠を
とっていよう」と、所定の時間になったら、身体にみじんも
眠気を誘う気配がなかろうと、薬を服用する。
そういう方法で、毎日をコントロールしている人もいるだろう。
しばらく前に、ネレコプシーの人を紹介するTV番組を見たが
まさに、日中は「覚醒するための薬」を飲んで、それでも不意の
睡眠に落ちてはしまうのだが、夜になったら夜になったで
今度は「睡眠を導入するための薬」を飲んで休むという暮らしぶりだった。
あと、うつ病の患者が、主治医の指導のもと
“夜眠るために、毎日、睡眠導入を助ける薬を飲む”
“効かなければ、薬を増やすという方法をとる”
ケースは主流なのだろうな。
もちろん、社会的な活動を維持するためとか
家族の生活を守るためなど、やむを得ずの事情から
毎日の服用を自分に義務付けている人も
いっぱいいると思う。
(夜中や早朝の仕事のために
睡眠導入剤を使って日中に眠るという人も
現代では多そうだ)
* * *
<夜は眠るもの、日中は起きているもの>という
世間さまの暗黙の約束を守ろうとすれば
どうしても薬の服用に頼らざるを得ない人がいる。
(そのほうが、カラダのためなのですよ、との囁きを聞きながら)
でも、わたし、そこまで
暗黙の約束事を守らないといけないのか?
いまだに分からないし
(ちなみにここ数年来、労働に出る生活のときは
たいがい睡眠薬のお世話になっていました。
日中へてへとに疲れる労働であっても
夜ちゃんと眠れないのでね。
まさに、「翌日の労働のため」に
睡眠薬を毎夜飲む生活であった)
それから、これまでの経験上
麻酔とか睡眠薬とか、そういった類のものが
効きにくいカラダであると、自分をとらえているので
毎日、薬の効果に頼り切った生活をしようとすると
相当量の薬を飲まなければならないことが予想される。
なので
「まーったく、眠気の気配がないけれど、時間になったから
薬を服用する」という生活を、選ぶ気にはなれない。
わたしが、睡眠の薬を服用するのは、ほとんど
「前日の起床からそれなりの時間が経っている」
「身体がほどなく疲労感をもっている」と感じられてからである。
生活リズムの悪循環は、自業自得。
わたしは「わたしになにを経験させたくて」
「なにを教えたくて」この循環を続けているんだろ。
これは体にいいだけでなく、心にも関係してくるんだね。
わたしは、世間の多数派から見れば
不摂生極まりない生活だけど、不摂生なりのリズムが
整っているときは、心の調子がわりと安定しているのだ。
(たとえば、「朝方就寝し、昼過ぎに起床」というリズムを
自然に繰り返すことのできる日々は、とてもカラダがラクだし
心もあまり疲れない)
おととし来、わりと調子のいい日の多かったのは
このリズムが割と身についていたのと関係があろう。
(心の調子がいいから、こういうリズムが作れるのだし
こういうリズムがあるから、心も助けられる。
大きな相関関係があるように思う)
* * *
毎日夜中に睡眠の薬を飲んで、無理にでも眠りに入れば
またそれなりのリズムが作れるのでは? という考え方も
あろう。
「前日の起床が何時であろう」と、「前日にどれだけ仮眠を
とっていよう」と、所定の時間になったら、身体にみじんも
眠気を誘う気配がなかろうと、薬を服用する。
そういう方法で、毎日をコントロールしている人もいるだろう。
しばらく前に、ネレコプシーの人を紹介するTV番組を見たが
まさに、日中は「覚醒するための薬」を飲んで、それでも不意の
睡眠に落ちてはしまうのだが、夜になったら夜になったで
今度は「睡眠を導入するための薬」を飲んで休むという暮らしぶりだった。
あと、うつ病の患者が、主治医の指導のもと
“夜眠るために、毎日、睡眠導入を助ける薬を飲む”
“効かなければ、薬を増やすという方法をとる”
ケースは主流なのだろうな。
もちろん、社会的な活動を維持するためとか
家族の生活を守るためなど、やむを得ずの事情から
毎日の服用を自分に義務付けている人も
いっぱいいると思う。
(夜中や早朝の仕事のために
睡眠導入剤を使って日中に眠るという人も
現代では多そうだ)
* * *
<夜は眠るもの、日中は起きているもの>という
世間さまの暗黙の約束を守ろうとすれば
どうしても薬の服用に頼らざるを得ない人がいる。
(そのほうが、カラダのためなのですよ、との囁きを聞きながら)
でも、わたし、そこまで
暗黙の約束事を守らないといけないのか?
いまだに分からないし
(ちなみにここ数年来、労働に出る生活のときは
たいがい睡眠薬のお世話になっていました。
日中へてへとに疲れる労働であっても
夜ちゃんと眠れないのでね。
まさに、「翌日の労働のため」に
睡眠薬を毎夜飲む生活であった)
それから、これまでの経験上
麻酔とか睡眠薬とか、そういった類のものが
効きにくいカラダであると、自分をとらえているので
毎日、薬の効果に頼り切った生活をしようとすると
相当量の薬を飲まなければならないことが予想される。
なので
「まーったく、眠気の気配がないけれど、時間になったから
薬を服用する」という生活を、選ぶ気にはなれない。
わたしが、睡眠の薬を服用するのは、ほとんど
「前日の起床からそれなりの時間が経っている」
「身体がほどなく疲労感をもっている」と感じられてからである。
生活リズムの悪循環は、自業自得。
わたしは「わたしになにを経験させたくて」
「なにを教えたくて」この循環を続けているんだろ。