ともみ@ピクニック

尊厳という謎

ひとつ下、思いつくまま「尊厳死の庵」を書いたあと
ん? と、いくつも疑問が生まれた。


◎餓死と、尊厳死の違いは?

今のところのわたしの定義づけなのだけど
「食べたいのに食べられない状況に無理やり人生をエンドさせられる」
のが前者であり
「食べるに困らない環境のもと、ある種の覚悟をもって
死を選び、自らの意思で食事を断ち、衰弱死する」のが後者かな。

んー。

人生にあきらめて、その気になれば食べられるかもしれないが
食べる気力が起こらないとか、食べるためのこれ以上の努力をするならば
いっそ死んでしまったほうがいいと思うに至るケースなどは
どうなるのだろう?

◎わたしのイメージする尊厳死が
「蟄居して、どんどん食事を減らし
坐禅や寝禅をして体が衰弱するのを待つ」なので

ここではそれに特化した話を書いているけれど

世の中では、入院しつつあえての延命治療をしないとか
体が元気なうちに薬物をつかって(肉体の苦痛なく)死なせてもらう
などの方法も、尊厳死と呼ぶのですよねー。

◎わたしが尊厳死について考える際、根底に流れるのは
「この世が嫌で逃げるのではなく、この世とはそれなりの和解をし
だからこそ、この世という執着から素直に手を放せる」
まったく気張らないイメージだ。

◎わたしは「食べない=衰弱死」にばかり意識がいっており
食事以外の、身体性をまるごと忘れていた。

たとえば、お風呂はどうするの?

尊厳死の準備に入ったら、まったく入らない?

衰弱する体であっても、できるだけ気持ちよくいたいので
体が動くうちは、ちゃんとお風呂に入る?

もしお風呂に入らないとしても、着替えはするの?
清潔具合はいかほどを保つ? 一切絶つの?

蟄居の部屋は、陽の射す部屋? それとも薄暗い部屋?

庭に出るくらいのことはして、風に撫でられ
光を浴びて、この世の最期を楽しむ?

いや、執着を絶つために、外の空気はもう吸わぬ?

などなどなどなど、疑問は尽きぬ。


そもそもねぇ、尊厳ってナニ?

(全体の立場でいえば)
個人を尊び、個人の意思を邪魔しないこと?
(おのれの立場でいえば)
自分を尊び、妥協しないこと?

だとしたら、万人共通の尊厳などなく
ひとりひとりの尊厳を探すしかないのかー。


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