ともみ@ピクニック

孤独な尊厳死

わたしは、基本的には
「自分の都合が悪くなったからといって
現実から死に逃避する」というあり方は
生の本質からズレるよなぁ・・・の立場に
いつしか立つようになっており

(辛いなら、「辛いなりの生」を生きるのが
生まれてしまった者の役割であろう、と)

たとえば
バリバリ人生を楽しんでいるあいだは
生に執着しているくせに

老いて、それまでとは違う自分に対峙せねば
ならなくなったときに

尊厳死じゃー、死なせろーー、と、いうのは
人としての覚悟に欠けると、思考上では思う。

しかし、しかし、壮絶な病や老いを
「自分ごと」としてとらえたときに

ひょっとして、わたしもころっと方向転換して
「尊厳死じゃー」と叫ぶかもしれないよなぁ
とは思う。

矛盾しているのだけどね。

人様の日常的な世話にならないと生きていけないほど
身体が衰え、その世話を受けることが苦痛であるならば
死にたくなるだろうな、とは前々から思っている。

今のところは想像もつかないけれど
もう十分に生きた、この世に未練はない、的な
満足感をおのずと感じる日々になったなら
そういう心境のうちにあの世に旅たちたいな、とも思っている。
(そういう心境って、我の人生であり得るのか?)

そして、死に向かう方法としては・・・

静かな所に蟄居して

少ーしずつ、食事の量を減らしていき
やがては重湯だけ、さいごは白湯だけ・・・

というふうにして、肉体的には自然な終わり方
といえるかもしれない道のりが理想。

(病になって食べられないのではなく
自らの意志で食べないことを選ぶのだ)

ま、食いしん坊のわたしには今のところ
ほとんど不可能にも思える方法だけど。

できれば、意識ははっきりとしたままの
孤独な尊厳死がいいような気もするけれど

物理的に、それは、むずかしいかもな。

(しかし、わたしのいう方法はむずかしくても
「孤独死という尊厳死」は存在すると思います)


わたしは百歳くらいまで生きるつもりなので
あと半世紀ほどの宿題だ。(と、おごっている)

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