ともみ@ピクニック

折込み苦手なたち

困難な状態に陥ったとき
「人に頼る」という方法を
すっかり忘れてしまったわたしは

ピンチのときは
心を閉ざす方向にどんどん逃げて
自分を慰めるのだった。

普段は、「人は人と触れ合うことで活力を得る」とか
「人は一人で生きられない」とか、「人と生きてこそ自分が生かされる」
などなどの教訓に、できるだけ冷静に向き合っているつもりだが

こうも自分の心が荒れると

「心を閉ざすことで、安らぎを得る」方向に全力疾走してしまい

それはそれは恐ろしい。

しまいには一巡して

人の縁を大事にできない自分はなんてダメな人間なのだ
とも、頭の遠くのほうで感知して、イジケてしまうなぁー。

              *

寂しくなって人を頼るとか、苦しくなって人に甘える・・・という
人間らしい手法を、昔はわたしももっていたはずなのだけど

いつのまにか、「人に期待したってイイことはない」
(過去にはイイこと…慰められたり、励まされたり…もあったのに)
と、固い結びができてしまった。

(先に「独り好きだから人に期待しない」書き方をしてしまったが
これは半分本当で、半分誤解のある文章だな。うーん。
「人に関わっても疲れるだけだから、独り好きがますます加速」
が一番しっくりくるのかな)

              *

どうしてこんな大人になってしまったのだろうー?と考えると
(これまでもこのブログにしばしば書いてきたように)
「生まれもっての気質」という答えに飛びつきたくなってしまう。

人(他者)は自分じゃないのだから

人と関われば気を遣って疲れたり
思い通りの反応がないのは当たり前だし
(誰だって自分の価値観で動いている。と、すると、
相手と自分の望む方向が合致せず、ときに不愉快な目にあうのは
人生折込済みの要素のはずなのに)
・・・そんなことでイチイチ傷ついている自分が、甘ちゃんなのだろう。

「違うから楽しい」とか、「思うようにいかないところに魅力がある」とか
「ぶつかることで、より絆が深まる」とか、人付き合いの醍醐味につき
世の中の少なくない方々がひょぇぇ~の弁を仰っているけれど
わたしはひょぇぇ~山脈を見上げて、ため息をつくばかりだ。

「人と会って元気をもらう」というのは、ちょっぴり分かるけれど
純粋に元気をもらうだけというのは滅多になくて
たいがいは同時にクタクタ疲れを伴ったりするんだよなぁ。

(世の多くの方は、「クタクタ疲れ<元気をもらう」だから
「わーいわーい、人と会って元気になった」と喜んでいるのかな?
わたしはわたし以外になったことがないから、分からないのだ)

人間社会で生きる限りは、他者という抵抗力は避けようのない存在なのだから
どうせなら、抵抗力のおいしい部分だけを気にするようになればいいのに

わたしは、抵抗力の痛い部分ばかりをチョイスして取り入れる
癖がついているのかなー。

              *

先の「人に期待したってイイことはない」という固い結びであるが
普段、わたしはそれをより固めようとする意思はもっていないつもりである。

むしろ、あわよければ、それを解(ほど)きたいと、薄ーく、広ーく
願っているフシさえある。

けれど、実際に解こうと行動すると
「あれっ、イ、イタタタタ・・・・」という展開になることが
多いんだよね。

ん? 本当に多いのかな。

行動サンプル数が、そもそも極端に少なくて
「イ、イタタタタ・・・・」展開が目立っているだけなのかもな。

負の自己洗脳(=人と関わろうとすると痛い目にあう)はいけませんな。

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する