ともみ@ピクニック

分人(四)

ボクは先ほど来、「比率」といっているのはどういうことなのかといいますと、ひとつ分かりやすいのは「時間」だと思うんですね。つまり一ヶ月のあいだに誰との分人を生きる時間が一番長いのかと。我々は自分の好きな分人を生きる時間が長ければ長いほど楽しいわけですね。じゃあ、誰との関係を大事にして、どの分人を生きる時間を長くし、自分の分人の構成というのをどういう比率にするのがいいのかというのを考えていくことが、具体的に自分たちの人生を設計していくときに、すごく重要なんじゃないかと。

人を好きになる、愛するということはですね、従来はこちらから相手のことを一方的に好きになる一方向(いちほうこう)的に考えられていました。しかし今のような分人という考え方をしますと、実は誰かのことを好きだというのは「その人といるときの自分が好きだ」という感情でもあると思うんですね。それはつまり、自分のことを好きになるというのは、いきなり他者もなにもないところで、自分のことを好きになるというのは難しいのですが、誰かのおかげで好きな自分になれるということであれば、一回、他者の存在を経由して自己愛に向かっていますから、それはナルソスティックな気持ち悪い自己愛と違って、やっぱり人と生きていくなかで自分を尊重するという感情になるんだと思うんですね。

ですから、我々は最愛の人を亡くしてしまうこということもありますが、そういうときはもちろん、その人が亡くなって悲しいという気持ちはありますが、同時にその人の前でだけ生きられていた分人をもう生きられなくなってしまうということが実は大きな悲しみなんじゃないかと。他の人の前では、こんなにだらしない格好で、こんなにバカな冗談なんかとてもいえなかったけど、奥さんの前だけではいえてたのに、その奥さんがいなくなってしまったとなると、もうそういう分人を生きることはできないと。誰かを亡くして何ヶ月か経って本当にさびしいなーという気持ちになるのは、たぶん、その日に経験してきたことを、その亡くなった人に向けてしゃべりたいと、その喋り方も、他の人に向けて喋る喋り方と違って、その人だけに通じる喋り方があったのに、そういう自分の分人を生きられないとなったときに、人は人を亡くしたことを本当に悲しいと思うんじゃないかなと思うんですね。

ですからボクたちは人間関係ということを中心に自分というのを見つめなおすときに、そういうふうに分人ということを着目することによってですね、自分の全部をざっくり好きになるとか、全部を嫌いになってしまうということではなくて、もっと具体的に自分というものを見つめ合い、そしてやっぱりあの人のことを大事にしないといけないなというふうに、他者と一緒に生きるということを納得していけるんじゃないでしょうか。



以上、『テレビ寺小屋』のなかで
平野啓一郎さんが喋られていたこと。

小説『空白を満たしなさい』は未読であるが
「分人」という考え方は、折々、ラジオやネットで
それとなく知っており、興味をもっていた。

ちょっとメモをのつもりで、文字起こしを始めたら
けっこう長くて、途中でうぃ~~となったけれど

写経ならぬ、写話(!?)のつもりで、いたしましたデス。



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