ともみ@ピクニック

年賀状はとっくに止めているけど・・・

12月17日(木)

わたし自身の年賀状は、とっくの昔に取りやめている。

ただ、これはいささか乱暴だったというか
メンタル的に今よりはるかに荒れていた時代だったこともあり

「長年、やりとりをしていた人からの年賀状にも
ぷいっと全く無視して返事を出さない」年とか・・・

「いただいた年賀状だけ、寒中見舞いとか
下手すると立春も過ぎてから、返事の葉書を出す」年とか・・・

一度だけ、事情を書くと長くなるのではしおるが
精神的にとても緊張の続く年があり、なぜかそのときだけは
「前年にもらった人にあらかじめ年賀状を出す」
という変化球(?)をはさんで

そこそこ長い年数を挟んで、基本、年賀状を止めた。

(非礼な方法ですね)

もともと儀礼的なものが好きじゃなかったというのもあるし

自分がうつで、からだを起こすことすらシンドイのに
「お元気ですか? わたしも元気ですよ。今年もがんばろうね」的な
まったく心にもないというか、ムリ度200%な社交をするのが
ほんとーに、イヤだったのだ。

また独身者にはありがちなことであろうが、ただでさえ
正月は親戚の集まりなどで片身の狭い思いをして
メンタルずだずだになっているのに

みなさまの、幸せそうな家族の近況や
仕事の活躍などを綴った、年賀ハガキを見るのは
ひがみ根性が発動する以前の話
ただただ自分の絶望感が増す一方という時期もあり

いただいた年賀状を見ることすら、しんどかった。

すこーん。

そういうわけで、わたしはとっくに年賀状を出すということを
基本的に止めたのではあるが

数年前から、「例外」として、わずかに復活してもいる。

こういう書き方はすごく傲慢なのだけど、上記に書いたような
非道な付き合い方をしても、それでも欠かさず毎年、年賀状を下さる
方には根負けして・・・というか・・・

その中でも特に
・ひとかたならぬお世話になった、年長の方・・・
・会えなくても、通じていたいな、と思う人・・・

ほんの数枚の話である。

それにしても、わたし、やっぱ、儀礼的なやりとりって
性に合わないのだなー。

去年は、祖母の喪中という名目で、年賀状を出さなくて
ホっとしたのを覚えているもん。

(年賀状でない、一般的な便りは好きなのに)

なんだろーな。

人さまから、ポジティブあふれる年賀状をもらうのが苦しい
という理由だけではなく、年賀状という制度が苦手なのだろうな。

ところで、今日は、過日、喪中ハガキをもらった友人に
こころばかりの品を送ったら、お礼のクリスマスカードが届いていた。

こういうのは、無条件に嬉しい。

あと、「年賀状ファック!」的に生きているわたしだが
ふと、ここ数年、音信の途切れてしまった、南の島のある方を思い出し
わざわざ連絡とるのはちょっと気が引けるし・・・
「そうだ! 年賀状を出してみよう。(引越し案内と兼用で)」と
思いついたのだった。

たぶん、年賀状は、捉え方によって、とても優れたツール。

なかなか会えなくて、どうしているか気がかりな相手・・・
旧年中の感謝の気持ちを伝えたい相手・・・
連絡をとりたく、きっかけが欲しい相手・・・

便利だし、安上がりだし、いいよねぇ。

実際は、こういう相手以外にも、長年の人間付き合いの惰性で
方々の人と「年賀状ごっこ」をし続けなければいけないのが問題なのだろう。

(今年はAさんに出したく、Bさんに出したくない気分。
翌年はBさんに出したく、Aさんに出したくないい気分。
十年に一度くらいだけ、出したい気分。

こういう気分を生かすことは、年賀状のマナーとしてまったく浸透していない)

わたしはね、不義理の多い人生を歩んでおり
それを承知でさらに不義理なことを云うけれど・・・・

年賀状をはじめとした、様々なコミュニケーションは
「もらったら、かえす」とか、「あげたら、もらう」とか
そういうのは、もっと、どーでもよくなればいいと思う。

ギブ アンド テイク で成り立つのじゃなく
もっと気ままに、やりたい人が、やりたいときに、やる。
それが容認されやすい世界が欲しい。


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