ともみ@ピクニック

「世間にファック!」

「発する言葉は自分のリトマス紙」ということを
普段はすっからかんと忘れている。

坂爪圭吾さんのブログ『いばや通信』を読んで
久しぶりにそのことを思い出した。

誤解を恐れずに言うと、いま、混乱しているひとが大量にいる。このひとは混乱しているなあと思うひとの話を注意深く聞いていると、特定の単語を頻繁に口にしていることに気がつく。どのような単語を口にするのかはひとによって様々だけれど、先日会った女性は「母」という単語を何回も口にしていた。母は私を愛してはくれませんでした。母親みたいにはなりたくないのです。私は母親に見捨てられたのです。また、前に話した男性は「自由」という言葉を頻繁に口にしていた。自由になりたい。みんな、もっと自由に生きた方がいい。自由でなければいけないのです。

(略)

多分、自分に足りていないものを、自分が受けた傷を象徴しているものを、当人も無意識のうちに繰り返し言葉にしているのだろう。その姿は、まるで自分の正当性を主張しているように見えた。自分の正当性を主張すればするほどに「自分は被害者である」ということを自分で強化しているように見えた。


『いばや通信』10月29日付
~期待は自分自身に寄せるものであって、他人に寄せた瞬間に甘えになる~ より引用
http://ibaya.hatenablog.com/

うー、痛っ。

わたしは、ついつい、「世間は…ブーブー」「社会は…ブーブー」と
心がお喋りしていることがあって、わが身が恥ずかしくなる。

「人は人」とか「同調圧力に負けることはない」とか「すりこみの価値観」とか
そういうフレーズが、頻繁に、わたしの心の声の上位にいるのだけれど

それって、わたし自身が、ものすごぉぉぉ~く「他者」や「世間」を意識している証拠。

無意識で、「他者」や「世間」に苦しんでいる自分を“正当化”しようとしているんだね。

本当に、自分の価値観に自信をもって生きていたら
いちいち「世間にファック!」的な意識を上らせることなくいられるんだよな。

言葉は、足りない自分を補おうという、欲求の現れだ。


**おまけ**

坂爪さんの文章は、このブログでも何度か紹介した。

やりたくないことをやりながらでも生きることができるのならば、やりたいことをやりながら生きることは、実は、物凄い余裕なことなのではないだろうか。

なんて話を、日々、さらっと書かれているお人。
(一般的には「家をもたない生活を2年も続けているヒト」と認知されているのかな。
もはや「統合失調症」とか「躁鬱病」とかの彼の経歴はどうでもいいよね)

現代人は、もっと、ビタミン坂爪を摂取するといいと思う。

『いばや通信』はこちら → http://ibaya.hatenablog.com/ 


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