ともみ@ピクニック

社会とつながってこそ、本当の元気といえるのだろう

わたしの「元気さん」はまだまだ発展途上だと
ひとつ下に書いたとおり自覚するのだけれど

だからこそ、生きている意味があるのかな~
と考えてしまうこともある。

(いや、「生きてる意味」なんて、問わないほうがいいのか)

世間さまでは、あれをして、これをしてと、社会的な貢献に
励んでいる方もいっぱいいるけれど

今生のわたしにはあまりそういうハードルは似合わないような気がして
もっと違った方面でがんばるのがいいのかなぁと思う。


どんな人でも「常に元気」なんてことはあり得なく
多くの人が「元気を生み出す」努力をし、ときに「元気なふり」をしていよう。

わたしの場合、元気の基礎が低いというか
幼少の頃からウツ的な性質があったというか
自分はポジ感覚を得やすいとは言い難い
体質に生まれていると感じているので

まずは元気の基礎を上げるのが、わたしの
人生のやるべきことの上位なのかなーと思ったり。

「閉じた」ときの元気はほぼ獲得しつつも
「開いた」ときの元気は、ひとつ下に書いた通り、まだまだなわけで

もう一段階上に行くには、社会とかかわりをもって生きなければ
いけないのかもなー。

それは、「社会とつながることが大事」という、すりこみの
脅迫観念から来るのではなく、しぜんと湧いてくる感覚。

人は、ひとりでは成長が難しいというか・・・。

(本当の意味で元気になるには、社会的な貢献が近道なのかもね。
・・・・・・趣味に没頭して、どこかの誰かに影響を与えるのも、社会貢献。
社会のなかで労働するのはもちろん、家庭を営むのも社会貢献の要素はある。
もちろん「生きているだけ」で、その存在が社会に貢献している人もいる。
広くいえば、笑顔も、お喋りがおもしろいのも、花を上手に咲かせて
道行く人の目を楽しませるのも、みんな社会貢献だ)

わたしは、目標としての社会貢献ではなく
(自分が元気になるための)手段としての社会貢献を考えてみる
時期に来ているのかもしれない。


**余談**

目には見えやすい社会的な貢献度の低いわたしだけど
だからこそ、その隙間のことごとが(わたしなりに)できている
・・・父の晩年、叔父の短い入院生活、祖母の晩年に寄り添えた・・・
のではないかと、自分で自分に価値を与えてもいる。

つまり、わたしは自分なりの貢献を
自分の生きる世界において少しはしているつもりなので
世間的な「社会貢献」を自身にあまり期待しなくてもいい
という境地にはあるのだ。


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コメントコメント


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生み育ててくれた親を看取り墓を守り親の側にいるんだから十分存在価値があると思いますよ

エゾリス | URL | 2015年11月15日(Sun)20:57 [EDIT]


エゾリスさま

いつも励ましの言葉
ありがとうございます。

仰るような価値は私自身も感じるのですが
「それに縛られたり」「依存したり」するのは危険だと
自分を戒める必要もあると思っています。

ぼちぼちやっていきます。

はえともみ | URL | 2015年11月15日(Sun)23:58 [EDIT]