ともみ@ピクニック

寝起きの自動思考

10月12日(月) その2

うー、図書館から「本を返してね」の電話。

ごめんなさい、ごめんなさい、これは
「うっかり」でなく、期限が過ぎているのを承知しつつ
返却しそびれていたのであります。

もしも図書館にブラックリストがあるならば(ないと思うけど)
わたしは常習犯になっているかも。

本はすでに読み終えている(だったら早く返せなのだ)。

    *       *       *

ジョン・キム著『時間に支配されない人生』

「やっぱキム先生の本は難しい」の感想を抱く。
使っている言葉は優しいし、文章も分かりやすいのだが
わたしの理想の先の先を行っているようなお方なので
・・・生き方のレベルが高いというか・・・
今のわたしにはすとんと胸に落ちてこないのだな。

でも、彼の書いていることに異論はないし、特に
「選択に正しいも間違っているもないのだ。
選択をしたあと、それをどうもって行くかが肝心」
という話には、中古マンションに移り住んだ自分への
励ましになった。

今日は不幸でも、その我慢が明日の幸福をもたらすという代替的な考え方をやめよう。今日が幸福だから、明日も幸福なのだという補完関係に、自分のマインドをシフトさせよう。幸福の置き場所を未来にすえるのは、非常にリスキーである。自分が明日も生きているという保証はどこにも存在しない。この瞬間が最後かもしれないという意識をつねに持ち、いまを幸福にするために生きる方がずっと理にかなっている。(『時間に支配されない人生』(ジョン・キム)68頁)

    *       *       *

名越康文著『自分の心を支える心の技法』

心がざわざわざしている時期に読んでいたので
もったいないことに記憶がおぼろな所が多い・・・が

赤子が泣くのは、保護者をコントロールするため。
保護者は「お腹が空いたね」「オムツ濡れているね」などと
そのたびに謝り世話をして、赤子は満足を得るという

極めて普遍的な「生まれて最初に身につけるコミュニケーション」は
実は人間にとって「根本的な誤謬」なのだと指摘されていたのには
ショックであった。

しかし、言われてみれば、そうなのかもね。

「不快→怒り→泣く→保護を受ける→不快が消える」循環を
生まれてすぐに身につけたわたしたちは
「怒る」という感情に
大人になってからも無自覚で依存しているのかもしれない。

・・・よくよく観察すると、怒りはそこかしこにあふれている。
嫉妬も、不安も、疲労も、被害者意識も、怒りと地続きなのでは?・・・

それから、「自動思考」の話も印象的だった。

起きて、ぼーーーっとしている時間に
人はついついネガティブなことを考えちゃって
それが寝床にいるうちにどんどん拡大再生産されていく
という指摘である。

「起き抜けの自動思考が僕たちの心を疲れさせているということに、
僕はうつ病の患者さんをみる中で気づきました。(94頁)」

そういえば、昔、手にとった本のなかに
「朝の心の状態がその日一日を作る。だから私は
心が落ち着き晴れやかになるまでベッドを出ない」という
外国の人の話があって

「たいへんだなー。もしも我がそんなことしていたら
一日横になっていないといけないかも」なんて思ったりもしたが

そっか、そっか、寝起きの精神状態って、あなどれないのだね。

今、図書館に返却しそびれているこの本をぱらぱらしていたら
「百回のうち一回でも怒りを消せば運気が変わる」
「心を明るくするのは「一瞬」でもいい」などが目に入り
一度読んでいるはずなのに、ほほーっと興味が湧くのであった。


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