ともみ@ピクニック

わたしが日記を書く理由

わたしは、なぜ日記を書き続けているのか?

心の整理だとか、精神をラクにするためだとか・・・・
まあ、その方面のことばかりを自覚していたけれど
もっと他にも理由があるのかもしれない。

能ではこのような魑魅魍魎の類に対しても、その妄執の思いのたけを語らせ、それに耳を傾けることで、やはり「祝福」がほどこされる。山姥の場合などは、どうして彼女がそのような存在になってしまったのか、その起源の記憶さえ失われている。そして、語り終えたときにも何の「ソリューション」ももたらされない。この頭もしっぽもないような物語こそが「祝福」の原型だと僕は思います。なぜ彼女はここにいるのか、どうしてこのような姿になったのか、いったいいかなる社会的機能を担っているのか。誰も知らない。けれども、まさにそのような存在であるからこそ、その人のたたずまいについて、日々の暮らしぶりについて、一枚の「写生」を残しておく。そのことによって災いをなすことを防ぐ。
(内田樹著『呪いの時代』58頁)

絵を描いたり、唄ったり、踊ったり、人と話したり、セックスしたり
泳いだり、山に登ったり、動物を飼ったり、花を育てたり、えとせとら
たぶん人生を祝福する方法は無数ある。
(人の数×いくつも)

わたしが日記を書いているのは、まさに
“頭もしっぽもないような”記録の連続であり
これは「自分で自分を祝福する」行為に他ならないのかもしれない。

お能の話を、日記レベルに当てはめるのは相当な飛躍だとは思うけど
内田先生の文章を読み、わたしは「わたしの書く」という行為に
呪鎮を見つけたのだ。

だから、写生に終わりはない。人間的現実に記述しきったということは起こらない。生は汲み尽くすことができない。それゆえ、僕たちは記述すること、写生すること、列挙することを終わりなく続けるしかない。それが祝福ということの本義だろうと僕は思います。
(同上59頁)

わたしにとって、「書く」ことは
唄ったり、踊ったり、に等しい行為なのだ。


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