ともみ@ピクニック

「罰しよう感情」は、誰も幸福にしない

夜のスーパーを出たところで、幼い子を2人も連れた若い女性
(彼女は自転車の前と後に幼児を乗せようとしていた)と一緒になり
帰りの道もたまたま同じ方向だったため
信号待ちのときなど、たのしげな親子の会話が耳に入るとともに
がんばっているなー、若いママ、と思った。

んで、そのこととは関係のない話なのだけど
「給食費の未納が続いたら、給食は停止、弁当持参してくれ」
と通知した某市の策は、その後どうなったのだろう・・・
と自転車を漕ぎながら思い出した。

                 *

「やり過ぎだ」と、相当な批判が全国から集まったようだけど
あのニュースから約半月、某市はそのまま推し進めているのかな。

わたしはねぇ、もう、給食、税金で運営してもいいのじゃないの?
と考える派だ。

(税金のムダ遣いを止めれば、余裕で出せる予算では?
それに「子供が減る」のなら、基本的には給食費も減っていくのでしょ?
オリンピックの名目で湯水のように使うお金をまわせば
いったいどれだけの給食をまかなえるのか、想像もつかん)

これだけ、少子化が叫ばれ、みなで子供を育てよう
の声が上がっている時代なんだし・・・
という動機もないわけではないが

実は、そういう「子供は宝」的な発想からだけでは、わたしの場合はなく

親の行為のために
子供が後ろ指を指されるの、どうなのよ!? という
単純な発想からだ。

あのさ、世の中には
家計を切り詰めて「給食費を捻出」している親もいると思う。
そういう人が、「お金があるのに、未納」している親を
おもしろく思わないというのは、容易に想像できる。

だけどさあ、だからといって
「未納の家庭の子供には給食出さない」のは
あまりに子供が不憫ではないだろうか。

「お金があって、未納」というバカ親の子供も大変だろうが
なによりも
「本当に払えない親の子」はどんなに肩身の狭い思いをするか・・・。

んー。

給食費を払わない家庭の子に給食を出さないのは
払っている家庭との平等を期すためという大義名分があるが
それだけが理由だろうか?

未納があると全体の給食費が上がるのはもっともで
しかも、一部の親の負担を別の親たちで負担しようという
成熟した社会で現状がないのならば、ここはもう腹を決め
小学中学の給食費は国民みんなで負担するのは、どうよ?

わたしはね、子供手当てとか、なんかそういうのって
ホントに子供のためにまわっている?と疑ってしまうのだ。
(家計に入ってしまえば、結局、生活費の感覚になってしまうのでは?)

かつて話題にあがった「独身税」という訳の分からないものよりも
「税金を給食費にまわす」ほうが、ずっと健全な社会の姿だと思う。

そしてそれは、ささやかながらも(みなで)金銭面での
子育て支援していることにつながるのじゃないかな~。

                 *

わたしが五十年近く生きてきて、はっきり言えるのは
「罰しよう感情」は、誰も幸福にしない、ということ。

給食費を払わない家庭の子に給食を出さないのは
つまり、「罰しよう感情」のたまものではないのか。

給食を食べられる子は、食べられない子に後ろ指を
指すかもしれぬ。

(「しれぬ」なんて書いたが、いや、たぶん、指すだろう。
子供は大人以上に残酷な顔をもっているともいえるもん。

そういう状況に置かれたとき、大人であれ子供であれ
心のなかですら指をささないでいられる人は、いかほどいるだろうか?

念のために書いておくが、わたしだって指をささない自信はない)

指をさしている子は、そのときは気づかないかもしれないが
それは実は自分を悪魔寄りな人間にする行為なんだよね。

そしてなにより、給食を食べられない子自身が
「自分を罰してしまう」ことにはならないか。

ハングリー精神が人を育む、なんて今も通用するのか疑わしいし
そもそも誰にでも通用する方法ではない。

たぶんね、自分を罰することで、いいことなんて
なにひとつないと思うよ。


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