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ドロップ(ス)の味

                         1.
ドロップスを手のひらにころがし、そのときたまたま気に入った色の粒を舐めてみるように、先日からちょっとずつ頁をめくっていた、江國香織の短編集『号泣する準備はできていた』を読み終える。
小説を書く人の頭のなかはどうなっているのだろう。ほんと不思議。なかでも江國さんの発想の泉は女性心理を描くことにかけては天才の部類にはいるのではないか、と、責任のない発言をわたしはしたくなる。ところで。昔読んだ山本文緒のエッセイに「いじわるな心情を描く小説を書いていたら、友人知人から『あなたはそんなに、いじのわるいことを考えている人間だったのか』とおそれられるようになり困った」という話があった。はて。文章にしたことが必ずしも書き手の心にあることではないと、たいがいの人間は理解したふうの顔をしながらも、その実、「文章にする限りは、少なくともその知識・発想が、その書き手のなかにあるのだから」という事実が強すぎて、「そこに書いてある」ことと、作者の心情や人格のようなものを混同してしまう構図は、書き手と読み手がいかように注意を払っても避けられない宿命なのかもしれない。また、感情を移入して作品に触れた読み手ほど「作者にも登場人物と重なる部分をもっていてほしい」という願望を抱いてしまうのも無理からぬことなのか。そしてまた、作品を生み出す苦労のみならず、小説家は、未来の読み手が読書によって心の井戸からくみ上げてくる感情をも(もちろん直截にではないにしろ)引き受ける覚悟がなければ、小説など発表する意義がない、そんな考え方だって存在するだろう。はぁ。小説家とは、文字通り「身を削る」うえに成り立つ職業なのだろうなぁ。

                         2.
12の小説からなっている本書を、あとがきで、江國さんはこのようにおっしゃっている。

 短編集、といっても様々なお菓子の詰め合わされた箱のようなものではなく、ひと袋のドロップという感じです。色や味は違っていても、成分はおなじで、大きさもまるさもだいたいおなじ、という風なつもりです。
(中略)
 たとえば悲しみを通過するとき、それがどんなにふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備ができていた。喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。
 そして、それは確かにそこにあったのだと思う。
 かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短編集になっているといいです。


100人いれば100の人生がある。100の瞬間あれば100の道がある。のだから、この世には無限の人生があるともいえるのだけど、一歩立ち位置を変えてみれば、どの人の人生も、人生のどの時間も、さほど変わりはない。せいぜい、ドロップスのなかの、どの色の粒を舐めるか程度のものだ。と、わたしはときどき思う。ただ、舐めている最中はその味覚しかわからなくなって、人は傲慢になったり、ひとりよがりになったり、悲観したり・・・、してしまうんだろうな。そして、ひとたび、舌にころがすドロップが変われば、また違う人生を生きているように錯覚してしまう。そんなふうにも思う。

                         3.
たぶん、(たぶんというのは、わたしがいちじるしく記憶喪失気味人間だから)、本書を読んだのは初めてなんだけど、このなかの作品のいくつかは、「どこか懐かしい断片」ある話だなぁという気がした。うすい記憶をたどっていくと、以前、ラジオの朗読番組で聴いたのだろうとの結論に。そして、『じゃこじゃこのビスケット』など、作品によっては目で読むよりも、耳で読んだほうが、いっそう身体にしみるのだなぁと、遠い記憶を交差させもした。

下記に、読みながら頁のあいだにティッシュペーパーのコヨリ(!)をはさんでいた部分を転記しておく(改行は略)。ふりかえると、特におもしろかった作品(『溝』や『そこなう』など)にはコヨリをはさんでいないのだから、作品全体のおもしろさと、パーツパーツの気になるところ(コヨリ部分)は必ずしも重ならないのだということがわかる。

でも、齟齬はおそらくもっと前から生じていたのだ。いくつもの口論と、そのあとの和解。物事は何一つ解決されない。かなしいのは口論ではなく和解だと、いまでは弥生も知ってしまった。
――『前進、もしくは前進のように思われるもの』より

デパートで、自分以外の誰かのための買い物をすることくらい幸福なことはない。 
――『こまつま』より

もうおしまいにしましょう、とルイに告げたのはなつめの方だった。あのまま関係を続けていたら、自分が完全に分裂してしまうと思った。ああするのがいちばん分別のある振る舞いだと思えたし、あのころのなつめは、情事を止めさえすれば家に帰れるのだと漠然と思ってもいた。しかし、無論、恋におちるということは、帰る場所を失うということなのだった。
――『洋一も来られればよかったのにね』より

(前略)「宙ぶらりんの死神」の話(後略)。それは、死神をすももの木の上にとどまらせ、長生きをしたおばあさんの話だ。おかげで、死にそうな病人や死にたい人々が、死ねずにいつまでも苦しんでしまう。 
――『号泣する準備はできていた』より

「どうして入籍しないの?」隆志を紹介したとき、姉は不思議そうに訊いた。「しなくても大丈夫だから」私は誇らしさで胸をいっぱいにして、そうこたえたものだ。(中略)。私たちは、一切の策を弄さずに愛し合いたかった。また、もしいつかどちらかが気持ちを変えたら、無条件に赦して手を離せると信じたかった。
――『号泣する準備はできていた』

この一年、ほんとうはいろいろなことがあった。でもそれは指で砂をすくうみたいに、すくうそばからこぼれていき、あってもなくても同じことに思える。日常というのはそういうものなのかもしれない、と、最近は考えるようになった。 
――『どこでもない場所』より

(前略)この場だけの、奇妙な仲間意識で親しげに言葉を交わす。決して個人の領域に立ち入ることのない礼儀正しさと、領域など存在しないかのような率直さをもって。(中略)。もちろん元気よ、とこたえたのは龍子だったが、もちろん元気よ、としかこたえようのない場所だから私たちはここが好きなのだ、ということに、私はふいに気づいた。(中略)。三人は礼儀正しくひやかしてくれる。どうしてー、とか、けちー、とか。語尾をのばす大人は、ばかか優しいかのどちらかだ。 
――『どこでもない場所』より

私は思うのだけれど、注意深くするのは愚かなことだ。当然だ。誰かを好きになったら注意など怠り、浮かれて、永遠とか運命とか、その他ありとあらゆるこの世にないものを信じて、さっさと同居でも結婚でも妊娠でもしてしまう方がいいのだろう。
――『手』より

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はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
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徒然な日々も、留まることはない。
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