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あたふた活動した日

9月10日(火)

朝から掃除など。坊さん(読経と茶飲み話一時間少々)
タイムのち、ささっとお茶漬けを食べ、すぐに炎天下
自転車漕いで(最近また30度超えの日々。汗だらだら)
12時15分予約の歯医者へ。帰宅したら、母より
「シルバーさん15時頃来るって電話あった」と聞き
あわててざっくり窓掃除などして待っていたが
16時になっても来ず、そうこうしているうちにケアマネさんが
定期訪問にやってきて、話しているところに、シルバーさん来。
(二階の網戸や襖や障子を、ドタドタ、バタバタ運び入れ)。

夜になるまで、落ち着く時間のない日でした。

でも今日は、朝と昼、簡単ながら母の食事の用意ができ
夕飯は、歯医者帰りに見繕った出来合い惣菜
…サラダやヒレカツ…で、三日ぶりくらいに一緒に
ご飯を食べられたので、よかった。



ここ数日、喰いしばりがひどかったなぁ
(精神状態と喰いしばりが直結するカラダ)
。。。の自覚と口腔内症状あり。

しかし、もはや悩んでいては危険水域
なので、悩むのは止めました。

満月近し。

ノイローゼこうじてイライラ募った日

9月9日(月)

15時くらいだったかいったん起床後
一時間余りカラダを縦にしていても、とても
(意識があることに耐えられないかんじ)
起きていられず、また布団に入り、じきに
眠りに落ちる。いく度も覚醒を繰り返し
21時まわり本格起床。

えーっと、今日は一度も母の食事を
用意できなかった。



ひとまず、昨日の晩に用意した「カレー&サラダ&佃煮」セットを
(食べない様子なので、ぷいっと冷蔵庫に片してしまった、昨晩は。
そんな彼女は仕舞わないでおいたスライスチーズとヨーグルトと
お菓子を昨日の夕飯としたようだ)

今朝は自分で冷蔵庫から出してきた様子なので
・・・めずらしい。よほどお腹空いてたんだな・・・

「ま、それを食べてくれ」と、朝、瞬間的に目視
確認しただけで、また眠りに入ったんだが

結局、母は朝もそれを食べなかったようで
昼を過ぎてもちゃぶ台に出しっぱなし
・・・気温30度超え。冷房もかけず・・・

13時半頃、トイレのついでに様子を見に行ったとき
催促して、ひとりご飯を(しかも長時間気温の高いところに
出しっぱなしだったそのカレーを)食べてもらう。



メンタルはもちこたえて体調が悪いだけのときなら
這ってでも親の世話をできるのだが

メンタルの調子がひどくなると
食事のことのみならず、デイリーにこなしている
もろもろのサポートができなくなる。
(ネグレクトである)

ノイローゼこうじて、イライラ募る。

16.素直であること、開くこと

「風」が吹いていると、感じる。

Fちゃんは、神様からの
たまたまのお遣いで

今回のあれこれは
自分が試されているような。

(大げさ? 以下 説明端折る…)

過去・現在・未来
総じての自分が問われている。



彼女にわたしの今の暮らしを見てもらいたい
母にも会ってもらいたい

取り繕わないで、できるだけありのまま
(ありのままでいいなんて思える相手は
貴重だよ!)でいよう

の気持ちが勝ったのだろう

結局は、Fちゃんに実家まで来てもらうことに。



素直であることと、開くこと

これが自分の生きる道!

(これでしか自分は救われない、というか
このふたつがあれば、あとはなんとかなるか)

そこに行き着きました。

15.どちらも自分

「人と集うの、実はとても好き」なんだけど
「人と会うのを想像するだけで、具合悪くなる」

矛盾しているけれど
どちらも自分なのだよなぁ。

(わたしは矛盾で成り立っている!)



そういえば、先に

劣等感に関することを長々書いた。

で、気づいたんだけど

劣等感とは馴染み深い、一方で

優越感とは、潜在意識では超親しくしていても
おもてだってはよそよそしくしていたから

優越感については書きにくいのだな。

14.「自分が過剰」

かかえる本音の
グラデーションはヒトそれぞれで
そこに触れるのは、今、止そう。

別の角度から書く。



本音スイッチの性能。タイミングや頻度・・・
いったんスイッチが入っても、切り替えが早いかどうか・・・

生まれ持ってスイッチの扱い上手なタイプもいれば
ド下手なタイプもいるだろう。

(わたしはスイッチが入り過ぎ、メンテナンスも
上手くいかない → 「自分が過剰」なんだね!)



うつっぽ気質な人間は
(本音に忠実でありたいという暴走=)
「自分に過剰」な傾向があるのだと思う。

(その逆で「自分を省みなさ過ぎて」
うつになることはあるだろうが、そういう場合のうつと
元来うつっぽ気質なヒトのうつとは、非なるもの)



わたしは「今、ここにある問題」に
困っているのではなく

(だって、ほんとーのほんとーに
ここには問題なんてないんだもーん)

「経験の蓄積」→「パターン化した記憶」
→「自分を制限」ループに陥っているだけ

なんだ。

ストレスは身をまもるために獲得したと
聞くけれど

現代人は必要な度合いを超えて
ストレスを抱いてしまうんだねぇ。


13.同居下手?

では、本音を押し留め、対人に
ちゃんと「気遣いできる」人間なのか?
といえば、全然できてないのだよ。

本音を言えない、とグチる一方で

失言は得意なのである。

(どこからこんな物言いが出てきたの?
っと自分で驚くこと、しばしば。本音の奥の
自ら知らなかった本音が出るような)



先ほども書いたけれど

本音のすべてを話せる人間はいないだろうし
人付き合いになんらかの負担が伴うのは
世の常なのだ。

本音バランスで悩んでないように見えるヒトは
おのれの内で上手に「本音」と同居していたり
人前で「本音を眠らせる」のが比較的平気なのかな。



(本音といっても、おどろおどろしい話だけじゃないよ。
何かを請け負い難儀な目に遭っても、「大丈夫だった」と
さらっと答えたり、体調わるいときの会合でも「元気なふり」したり
とか、そういうレベルが大半だ。

わたしの場合、本音を出すと、常に不平不満を
言っているヒトのようになってしまうので、それを
…たぶん本能的に…自主規制している面がある。

う~ん、根っからネガティブ人間だから
わたしは「負の本音」を抱えやすいのか?)

12.対人のココロ負担度

「相手との交流に関すること」に限らず
本音を漏らすと、高い確率で
相手にぎょっとされてしまう・・・

そこに引っかかる!? 
そんなこと案じる!?  
そんなこと考えてるの!? 

等々の蓄積から、ヒトと会うときは
自分の何割かをオフにする
癖が身に付いて。



「本音を言えず、取り繕った」自身の態度に
ヘトヘトになってしまうのだ。

(稀に本音を出したあとは、モウレツな後悔に
襲われ、それはそれで内面に嵐が吹く)

また、心配系の本音を出した結果
相手から「そんなことないよ~」とか「大丈夫」と
フォローされると、気を使わせちゃったぞ、と、これまた疲れる。

そして、そこから逃げるため
人付き合いのシュチュエーション
そのものから遠ざかるの図。

(人生への信頼が低すぎるかもね。
努力が足りん? あきらめが早い?
「ギョッとされても、説明を尽くし続けて
その先の可能性を手放さないでいる」べき?)



どんなたのしいことにも
煩わしさや疲れを伴うのは当たり前。

(いや、わたしはわたし以外の人間になったこと
ないから想像なんだけどね)

しかし、“自分可愛さ”のあまり
わたしは対人のココロ負担度が

世の人々の平均レベルが「1」としたら
自分は「50」くらいのレベルなのじゃないかと
思ってしまうの。



成長すれば、だれしも
すべての本音は言わなくなるだろう。

だから、わたしのようなストレス耐性の低さは
現代用語的に言えば、発達障がいの延長なのかも。

(まあ、うろ覚えの記憶だが、英国人の5人に1人の
割合だったかな、で、精神疾患がある、との調査があるようで
ムリクリ分類すれば、すべての人類は、病の持ち主であり
病気は忌むことではないのだよねー)







ぱお~ん。

これは日記にだから書けること。だけど
こうやって書いてしまうと、「秘密」ではなくなって
現実世界に伝染するのだろうなー。

(宇宙に「わたし」という器の狭さを宣誓する?

少なくとも、この日記を読んだ者は
「こんなメンドウな奴に近づきたくない」と
思うだろう、自己防衛のために。

今後の自分の可能性を狭める行為だね
こんな日記を書くのは)

11.オール自分の問題

自分の心のなかをそのまま伝えては
「ごめん(そんな思いさせて)」と
相手に言わせてしまう。

そういうの、これまで何度か経験してきた。

どこの角度から見ても、しかしそれは
相手に否などイチミリもなく、自分サイトの問題
なのだよねー。

オール自分の問題。

だけど、どれだけ弁明しても
(あなたのせいじゃない、わたしが勝手に
あたふたしているだけ、と伝えても)

わたしの本音が相手の心につけた跡は
消えっこないのだ。

The 後の祭り。

たとえばさ

「あなたのことが嫌いじゃない。(でも会うのはヘビー)」とか

「とても楽しかった。(でも数日寝込むくらい疲れた)」とか

「気にかけてるよ。(でも連絡すると会おうよという
ことになるから、知らんぷりしている)」とか

心のなかを、カッコのなかまで
正直に伝えるのは相手に失礼だと思う。

そして

カッコのなかの本音を
噤みつづけると

苦しさの累積で
自分が病みそうになる。

10.プレッシャー高じてドタキャンしたくなる癖

そういえば、小学生のときから
「友達と遊ぶ約束すると、日が近くづくにつれ
病的な苦しさを覚える」子なのだった。
(そしてドタンバキャンセル)

高校に入り、少しずつ症状はよくなり
大学生になると、むしろ、積極的に自宅に誘ったり
するくらい人付き合いもできるようになってきたが

社会人となり、休日は基本ひたすら休んでいたく
(当時はその症状を指す名を知らなかったが
慢性的に軽い抑うつ状態だったといえるかも)
入れた約束はできるだけ守るようにしたが、ときに
「会って遊ぶ」というプレッシャーが重過ぎて
どうしてもキャンセルしてしまうことがあったなぁ。

いつしか人付き合いを避ける習慣が身について
(ヒトに迷惑かけないし、自分も苦しめない、処世術)

三十代の後半には、人から誘われることも
ほとんどなくなって・・・

今に至る、なのだった。



かつては、Fちゃんにも
ドタキャンしたこと何度もあったなぁ。

(他にも失礼なこと恥ずかしいことを
いっぱいしてしまった)

などと記憶がよみがえり

ますます落ち込みの坂を下り

会うハードルは上が一方。



そして、ついには
会う約束したこと自体を
後悔しそうになる。

ましてや、最初、北陸まで足を伸ばすと
声をかけてくれた彼女に、自分から
「実家に来ない?」と誘ったくせに

こんどは「実家以外にしない?」などと
二転三転の申し出をしてしまい

Fちゃんに心配かけました。

(場所変更の理由を述べぬのもなんだし
ウソつくのもイヤだったので
「実家だと、食事をする処もないし・・・。
掃除もしてないし~」と、本音の一部を
伝えたら、あああああ、Fちゃんに

「負担かけてごめんね」と言わせてしまった。

愚かなわたし。プレッシャー募りすぎて
自分のことしか考えられなくなっていたね)


9.なんのこっちゃ話

う、うそつき~。

寄り道話を終るつもりだったのに
日中色々活動して夜になったら
大きな過ちに気づいてしまった。

脳内おしゃべり補足を。

あたかも、劣等感と優越感が一直線上に
あるかのような発想をしていたが

これは常にじゃなーーい。

両者は、単純な直線上には、な~い。



ヒトより劣ることすべて劣等感につながるの?
→ おのれを省みるとそんなことはないのだな。

泳げないけど、それは劣等感じゃない。
歌をうまくうたえないけど、それは劣等感じゃない。
意思よわいけど、それは劣等感じゃない。

では、なにが自分にとっての劣等感かといえば
一般社会で当たり前だとされがちなコトだったり
周囲から長年言われてきて叶えられなかったコトなんだなぁ。

泳ぐとか、うたうとか、意思をつよくもつとか
社会は一般人にヘビーに要求しないでしょ。
周りもそんなこと要求しなかったし。

だからわたしはそれが出来なくても
プレッシャーにならなかった。

純粋に自分が「できるようになりたい」とか「叶えたい」と
思ったかどうかよりも、外からのプレッシャーのような
圧をずっと感じてきたもののうち、歯も立たなかったことや
小さい頃から恥ずかしい思いをしてきた分野などに
劣等感を覚える傾向があるのだなー。わたしの場合は。

→→→劣等感と優越感は表裏一体だとの仮説は
まだ自分のなかで有効だけど、それは絶対じゃないんだな。
完全に切り離したところにも両者(劣等感と優越感)は存在する。
両者はつながっているし、独立してもいる。

(何を言いたいのじゃ、自分は。書いてて訳が
分からないのだから、自分以外の誰かが読んだら
ますます分からんだろう)

むにゃむにゃ。

考えれば考えるほど、時間が経てば経つほど
別の発想が生まれそうだけど、ほんま、キリがない。

今度こそ、寄り道話は終りにしよう。

(日記がもう半月以上溜まっている。こちらを綴らねば)


現在9月25日22時頃。歯が痛くて、これ以上
文章を書く気になれん。今夜は早く眠りましょう。




8.ちょっと言い訳を

あっ、あ~、説明下手で
日記のかみさま、ごめんなさい。

要は、劣等感と優越感は
表裏一体なのじゃないか、という
仮説うんぬん書きたかったのに

あさっての方向に行ってしまった。

(一応、言い訳すると・・・。旧友との再会を控え
「劣等感がわきそうorわいてきた」自分が見えて
「じゃあ、その劣等感はどこから来たのかな」と考えると
「ふだん表立って意識しないようにしているかもしれない
優越感との関係」が気になって、そのあたりの脳内
おしゃべりをタイピングしてみたのでした)

しかし、キリがないので、寄り道話は
ここらで終ろう。

7.ますます寄り道話

ますます話はズレるのだけど
「劣等感」について考えた
流れで書きます。



上手くいっているときは
実はどうでもよくて

上手くいっていないときこその
心の動きや行動が肝心なんだ

(順調なときは、その人の真価が見えない)

っぽい話、あるよね。



調子のいいときは、やさしくなれるし
寛容になれるし、けっこうイイヒトである
ハードルは下がる。

だけどさ

自分が上手くいかない立場になったとき
逃げないで冷静な判断ができるかとか

カッコつけすぎないで、必要ならば
「助けて」の声があげられるかとか

まわりを怨まないでいられるかとか

上手くいっているときと同じように
他人と接することができるかとか

そういうの肝! だと思う。



(極端な例をあげると、億万長者になったとしても
ホームレスになったとしても、どれだけ
「心の動きや行動の差」なくいられるか
という問いは、わたし個人のなかで意味がある。

まあ、人間だから「差」があって当然なんだけど
その差が大きすぎると、自分に対しても
他人に対しても、信頼が弱まるというか・・・。

立場に甘んじて「しょうがないじゃない」と
開き直る生き方は、~現に我が人生で
しまくっているのをタナに上げるけど~
好きじゃないのだろうな)



「支援」という言葉は胡散臭いが
便利なので、あえて使おう。

一般的には支援するほうの人間が
評価を受けやすいかもしれないけれど

ほんとうは

「支援を受け入れる」能力も
注目されるべきなんだろうねぇ。



与えることよりも
素直に受け取るほうがむずかしい。

そして

(他者になにかしてあげたい、というのも
広義の優越感だとすると)
優越感を享受する機会を増やすより

おのれのなかの
劣等感を溶かすほうが、はるかに重要。

6.寄り道話・劣等感

一時、本題から離れます。



劣等感を抱きやすい

というのは

他者と比較する傾向が強くって

自覚の大小は別として、ヒトを見下すことを
さりげなく内面に習慣化している可能性
大なんだろうなぁ。

だってそうでないと辻褄合わないもんね。

劣等感があるということは、どこかで
自分もヒトを見下しているんじゃなぁい?

自分はある軸のことで劣等感をもっているけれど
他方、同じ軸で、ほかのヒトビトのことを
(=劣等感とは逆に位置するヒトビトを)
まったく差別してませんよ、と言い難いでしょ。

認めたくないけれど。



優越感は劣等感ほどには表面化しにくいだけ。

だって、いちいち意識にのぼって、確認していたら
自分のことを軽蔑して疲れるでしょ。

(劣等感は、一種の自己陶酔であり
安易に得られる自己満足だ。・・・自分内では
けっこう味わいやすいのじゃないかな? 
苦しいと言いつつね、それを味わうこと自体の
罪悪感は薄い。

劣等感に首を絞められても
劣等感を抱く自分を責めるものは、そうそうない。

しかし、優越感には「あまり堪能してはマズイぞ」意識が
付きまとうような。・・・優越感と出会っても、薄っすら
アタマのななめ上くらいで味わうにとどめよ、できれば
「知らん振りする」ポーズをもてと、内面が指示?

だって、優越感って、中毒性ありそうだもん。
継続摂取に依存すると、禁断症状がこわいよね)



ふだん、薄い皮の下では優越感への快を
気にしないようにしているだけなのだと思う。

「劣っていない」状態に安堵を覚え
それがもてないとき、特にウィークポイントにおいて
心の負担が増すのだろうなぁ。(→劣等感)

と、やや遠回りな言い方したが

要は、劣等感があるということは
(無意識であるにせよ)、優劣の「優」を
無心している自分もいるということ。

それは否定できない。

5.馴染んだ経験のフラッシュバック

ひとり相撲、もとい、来客の準備
…相手に不快を与えないよう、というよりは
「自分を取り繕いたい」気持ちが大きいのだろう…

を想像するだけで、へとへと

という話は先に書いたね。



アホやなぁ。誰もそんな命令してないし
期待もしてないだろうに

自分のなかの身勝手な「ねば」病が
暴走しちゃってさ。



んで、色んな心配が重なって

ついには

うつっぽな自分が、それを隠して
人に会うときのヘビーさが
フラッシュバックしまくり

どんどんどんどんどん、しんどく。

(「元気じゃないのに、元気なふりして会う」ツラサが
馴染んだ経験として蓄積されているんだね。

そして同パターンがまた自分のなかで繰り返される
のではないか、という恐怖)

4.劣等感

イヤな言葉ではあるが

オンナの格差というのは歴然で

それプラス

娘ちゃんの友人が、われの住む市町村の
「村おこし」ボランティアをしていると聞き

・・・都会の若者の意見を求めたり、都会の若者に
“関係人口”になってもらう動きは、当地で近年活発だ・・・

なーんか、不必要な劣等感が

わきあがりそうにもなっていた。



こんな感覚があるということは

わたしは「支援される」立場というのを
日頃、心の底で、差別しているの!?と

あらたな発見にもつながるのだが

(いや、薄々知っていたね、支援する側の気持ちよさは。
「支援される側」を想像したことがなかっただけだ)

まあ、まあ、まあ

三十年程前には机を並べた者同士が、今

片や、「支援する」グループにいて
片や、「支援される」グループにいる

という事実をつきつけられて、心に

さざ波が立たぬわけではない。

(最初は、へーっ、そんなつながりあったんだ
と思うくらいだったのに、時間が経つと、ちょっと
ネガティブっぽいほうにとらえてしまって)



アタマでは「支援する側が偉くて
される側は劣っている。なんて発想は
危険だよ」と分かっていても

劣等感につながる何かが
自分のなかでくすぶる感覚。

(そもそも「支援」という仕切りでとらえるのが
間違っているのだろう。ボランティアの若者は
「地方の現状を知る」体験を得られるのだから
どちらが上下なんてのは、ない)



人生は一面的に見られるようなものではないし

暮らしている土地や、属するもの、経済的裕福度で
比較するのはナンセンス、と

理性は知っているはずなのだけど

(第一、そんなことを気にしていては、わたしは
友人知人と交流できなくなる。とことんドン詰るぞ。
・・・みんなも、多かれ少なかれ、「比べない」訓練を
積みながら生きているんでしょう?)

なんだろうねぇ、しみついた「比べ癖」は
時に、フタを開けてしまうのだねぇ。

(そして、劣等感がもくもく出てくるの巻!)

背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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