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ずうずうしく生きていく

6月17日(日)その一

あれからさー、なんとかやってるよ。

重いものは変わらないのだけれど
(それでも、それをかかえ)
生きていくしかないんだなー

と思う日々。



落ち込む?

落ち込みそうだよ。

だけど、それを忘れたふりして
ずうずうしく生きていくのだ、という。

(近い肉親のときには、そんな魔法は
かけられなかった。

経験を重ねたから? それなりの
学びを得たから? もしかして
身内ではないから? それとも
あまりにつらすぎて、こうしていなければ
生きていけない、という悟りが舞い降りて
いるの?

すべてが答えなのかもね)


炭酸アルコール中毒とワイン

6月16日(土)

のーんびりday。

三度目の夏を迎えようとする
郊外の部屋で、空を眺めながら
(涼しいなーと、思ったら、5月並の気温だって)
たまっていた(でも偶々メモのはかどっていた)
日記を、せっせと更新。



この何週間か、毎晩のように、炭酸アルコールを飲み続け
(数回、ワインの日もあったが、ほぼ炭酸を飲み続け)

アル中ならぬ、炭酸アルコール中毒のように
なっていた身であるが

…余談。近年の、チューハイには
目を見張るものがある。おいらが
特に愛飲しているのは9%のチューハイ。

昔は、安ワインを炭酸で割ったり
なんちゃってビールをよく飲んでいたが
このごろはチューハイで十分満足…

ううーむ、今日は炭酸アルコールを
切らしてしまった。

(蒸留酒のボトルも、ない)



お酒を飲まない、という選択肢は
今夜のわたしにできそうにない、と
気づいた夕方。

買い物に出かけるべきか、否か、否か、否か・・・
相当悩んだ末、そーっと保管してあった

Kさんの働く畠のぶどうからつくった
ワインをあける。

去年の終わり、送ってもらった
甘口ワイン(2016年赤)。

(白はお正月に飲み、この一本は春に
友人と飲む計画があったのだけど、結局
わたしの意気地のなさというか、体調凹で
計画をパーにしてしまい、出番を待っていた)

実は、数年前にいただいた2014年のメルローも
なにか特別なときに飲もうと、とってあったのだが
一昨日の晩、開けたのだ。(そして昨夜、飲み干した)。



(Kさんからは、「どんだけケチなんだ。
美味しい時期を逃がさずに、飲みなさいよ」と
叱られそうだけど、これで全て開栓じゃ)

人生は刹那だ、という(先週からの)体験を
なかなか気持ちだけでは噛み砕けないので
ここで、大事にしていたワインを飲むのも
ひとつの手であろう。とね。


パン屋とか肉屋とか

6月15日(金)その四

冬なら、とうに暗くなっているのに
六月の18時台は昼のように明るい。

久しぶりに街に出たし
まだぶらぶらしたいなー の気分。

自宅でときどき使っている
リラックス用のオイルが少なくなっていたので
いくつか買い足したり

ビゴの店(パン屋)で明日の朝ごはんを
選んだついでに、小腹満たしの休憩をして

大盛りサラダと肉屋のハンバーグを手に

すっかり夜になって帰宅。

(思いがけず、気分転換の半日となりました)

ダメなの?(白髪)

6月15日(金)その三

テクテク歩いて、美容院。

「このヒトに当たればいいな」といつも密かに
思っているお兄さんが施術してくれ、ラッキー。

(カットの相性がよく、おしゃべりも適度)

前回のカットから一月半が経ち
梅雨で、クセ毛がぼわーっとなるし
今は「白髪、お試し放置」期間中なので
少しでも清潔感を保つべく
どーんと3センチほど切ってもらう。
(ショートっぽい、ボブの仕上がり)

仕上げ前、「このまま白髪で行きたいとも考えている」
と話すと、お兄さん、間髪入れず、「ダメだよー」と。

え、ダ、ダメなの?

「ボク、同年代だと思うけど、ほら、これ
ちゃんとマニュキュアで黒くしているよ」と。

(う~ん、マッシュルームっぽいカットの、黒々髪。
アゴ髭は白毛交じりなので、頭髪もそれでイイと
わたしには見えるけど、職業柄、そうもいかないの?)

それにしても、ヘアマニキュアでそんなに色がついて
見えるとは知らなかった。(昔は、よくヘアマニュキュアを
やっていたけれど、そこまで色を補えるものだっけ!?)

眼科、初体験

6月15日(金)その二

ほっとすると同時に、ほんまにほんま? 
ドライアイって、こんなに目が痛くなるものなの?
と、しつこい気味に尋ねてしまう

も、返ってくる答えは同じ。

(ドライアイ、目薬をさせば、症状はやわらぐけど
別に目薬をささなくとも、それで病気に発展するわけでは
ないですよ、と、言われたので、昔から目薬がこわくて
させないわたしは、そのまま帰ってきた)

ちなみに視力は、ともに裸眼0.7。

(せっかくだから、老眼に関する検査もしてもらえば
よかったかな、と後で気づく)

緑内障は、40代以上の、たしか1割ほど
罹っているのではなかったっけ。
(大半は自覚なしと聞く)

遺伝することもあるというので、(うちは亡父が
緑内障で、親戚一同に助けられ、危機一髪で
失明を免れた経緯がある)、わたくしも気をつけ
なけれなりません。

(医師が言うには、次の住民検診の、5年後の
緑内障検査でいいよ、とのことだけど・・・)

はふっ。

生まれて初めての眼科は
それなりに緊張したな。

(特に眼圧を測るのが恐かった。
よく分からんが、プシュっと空気砲みたい
のが出たような・・・?)



話は内科に戻る。

心電図に関し、「所見はあるけど
治療するほどではない」と言われたのだけど
どういうこと?

たまたま、内科、いつもの先生がお休みで
はじめての医師に診てもらったのもあり
つっこんで質問できなかった。

今度、忘れなかったら、聞いてみよー。

(まあ、半世紀も肉体もってれば、色々
ガタは出てくるでしょうなー)

ドライアイですよ

6月15日(金)その一

れっつごお・いつもの病院など。

定期の内科と、5月に受けようと思っていたのに
いつの間にか6月に突入していた住民検診。

今日は時間がないので、基本的なこと(身体測定、
検尿、採血、心電図、問診、触診、血圧測定)をして
あとは胃カメラの予約して、検便グッズをもらって

教えてもらった町の眼科に行って、緑内障検査
(これは住民検診に入っている)ほか、ひととおりの
基本的な検査をしてもうら。

えーっと、日記に書いているように
わたしは初夏から秋頃まで、外に出た日は
目が痛かったりしょぼしょぼしたりの症状があり
最近はサングラスをかけていても、曇の日でも
その症状があり、・・・・なにか困った事態が
隠れているのではないか? と心配していたのだけど

医師曰く、緑内障も白内障も大丈夫。
(一応、住民検診の分は、さらに別の専門医に回り
二重チェックされるそうである) あなたの症状は
ドライアイですよ。とな。


つづく

はからい

6月14日(木)

本日が取り置き期限だと思われる
郵便を受け取るため、午後、ひとり宅へ。

(が、取り置きは昨日迄であった。
おバカなことを繰り返す人生です)

いつもなら、くるくると頭のなかに
小さな後悔が渦巻くのだけれど

「まあ、ちょっとひとりになる時間を
もちましょう」というはからいなのだと
思うなり。

雨は降っていないものの
The梅雨 って感じの、空模様。

うう、空気が重い。

かーっと紅い

6月13日(水) くもり

午後から来客の予定ありで
昼食のあと、あちこち掃除。

夕方、畠。

涼しいし、人通りも少なく
「タマネギ収穫」をメインに行ったのに
あれこれ他も(マリーゴールド、去年の
こぼれ種が沢山育ち、夏野菜の近くに
移植したり。長芋も育てるつもりなかったが
こちらも自然発芽はんぱなく、棒を立てたり)
作業はかどる。

どよんと曇った空のなか、お日さまの
沈んだ辺りだけ、かーっと燃えるように
紅かった。

コミュ年齢、若っ

6月12日(火) くもり&雨

正午前後、いつもに増して
自衛隊と思われるヘリコプターの飛行が
あわただしかった。

金さんとトランプさんの握手に
「これが政治かー」と思うよりは
人間と人間の不思議な妙を
見せつけられているような気がした。

(今後、どんな展開があるのか
未知数だけど、ほんの数ケ月前まで
予想もできなかったことが、起こるという
この世の必然サプライズ)

         *

午後は、ずっと畠。

主なしごと → イチゴ畠の整理と
草むしり。(ここ数週間、さぼっていたら
勢い良く草が出ていた。今のうちに
手をうっておかねば~と)

Tさんの孫と久々会う。

(友達と、蟹を捕まえようと川の近くにいたので
・・・うちの畠でも蟹を見たばかり・・・
危ないよ、と、よそのおばさんらしく注意したり。
「あの川に魚がけっこういる」と教えてもらいました)

会話、すべて敬語なのが驚いた。
(たしか小4くらい?)

ほかにも通りがかりのチビっこたち
(ばあちゃん、といっても、みなさんお若い、も同伴)
と言葉を交わしたり

いつもジジ・ババ度の高い畠だが
今日はコミュニケーション年齢が若かった。

J‐オイルミルズ

6月11日(月)

数日ぶりの畠。

色々と様変わりしており
やや浦島太郎の気分。

(↑ 道中、よその畠を見ながら
行き来しているのだが、みなさん
しごとが早い! イチゴの畝を残して
いるのなんて、うちぐらいだわ。
早い方はすでにジャガイモの収穫を
終えているけど、おらは「もう一回、土寄せ
しようかしら」と思っているほど。
タマネギの大半は葉が倒れ…収穫合図…
梅雨の合間にせっせと収穫しなくては)

あわてても仕方ないので
甘長とうがらし、赤とうがらし、夏植えキュウリの
苗を植えたり・・・農具を持って行くのを忘れ
手で穴を掘ることに・・・

ジャンボ状態になったエンドウ豆や
ズッキーニ(二の腕くらいの太さ!)や
今シーズン最後のイチゴを収穫したり

ガレージで虫の湧いていた有機肥料
(J‐オイルミルズ)を追肥として
夏野菜に撒いて歩いたり、…こんな
使い方でいいんかな?と思いながら…

なによりなにより
枯れずにふんばっていてくれた
野菜に水遣りを。

Bちゃんクリニック

6月10日(日)

ちょっとうつらうつらして
起き、坊さんdayなので
掃除をしていたら、(いつもより
一時間早くお見えになるとは
聞いていたが、それよりさらに
早くおいでになって)、途中で
タイムアウト。

お供えする花を探し、うらへ行ったら
紫陽花がいいあんばいで咲いていた。

(咲き始めの紫陽花、一番、好き)

そのあと再びお布団へ。

即効で眠りに入り
午後半ばまで眠らせてもらう。



たまたまBちゃんからメールをもらったのを
きっかけに、夜、Bちゃんクリニック。

電話で話すの何年ぶりだろう。

少し気持ちがラクになった。

ありがとう。

(予想外にも、二人して某氏の悪口で
大々盛り上がりしてしまった!)

その(十)

この経験を通して
だから、毎日を大事に生きようとか
まわりの人を大切にしようとか
今はまだまだ片付けられない。

(ムリやり答えを見つけたふりして
ごまかしていくのは違う)



だけどね、彼女の訃報から
十日ほど経ち、書ける分を書いてみようと
思ったら、ここまで書けた。

(半日で、この一連を書きました。
現在、6月17日の夜)



自分の動揺や悲しみなんて
この世界のうごめく感情からすると
大したことないのだと、考える。

(彼女の死を、矮小するのではなく
人間の死は普遍であり、それを見送るのは
この世に生きる者の定めという意味で)

しかし、どうにもこうにも
わたしも人の子だった。

同級生の急死、自責の念
やっぱ、色々と、あるよ。



まとめるようなことを書くつもりは
なかったが・・・・。

「こんな付き合い方をしている」と
おそらく知っていたCちゃん、連絡を
くれてありがとう。

(彼女からの知らせがなかったら
新聞も見ないわたしは、知らないままだった)

(送り迎えもしてくれて、重ねてありがとうございます)

そして、まるでわたしの心のうちを
知っているかのように、ストレートな言葉でなく
やんわりと、わたしをケアするような、やさしい言葉を
かけてくれた、30年以上ぶりの、O。

(あなたが観音様のような懐の持ち主と
今更ながら気づきました)



初七日の席で、はじめて喋ったMさん。

(これまで共通の友人から、けっこう頻繁に
互いの名前は聞いていたと思うから
そうそう知らぬ仲でもなかったというか・・・)

あとから思うと不思議なのだが

わたし、Mさんに、「死んでからも
教えてくれることってあるよね」と
ぼそっと言ってしまったんだ。

なんで、自分の口からそんな言葉が出たのか
いまだにわからんが、何かを暗示しているようにも
(今では)思わないでない。

彼女は黙って頷いていたけれど
いつか、その先を語りあえる日が
あるといいな。


その(九)

寿命の長さに、優劣がないのは
もちろん

逝き様にも、優劣はないと思う。



だが、残された我は勝手な
ストーリーをつくってしまう。



五年ものあいだ闘病していたとはいえ
(いっときは、もう大丈夫そうの時期も
あったのではないかな、と推測)

さいご、抱えていた病気の末期
というよりは

感染症で、あっけなく逝ってしまった。

「急性」といえるのかもしれないし
抱えていた病のそれなりのさいご
だったのかもしれない。

まったく身勝手な見方なのだけど
重篤な状態で長期にわたって苦しむことなく
旅立ったのは

それはそれで、神様の
はからいだったのではないだろうか。



その(八)

彼女の旅立ち、それから、わたしの
超個人的な懺悔の気持ちは
ひとまずおいておき

「親」というものを、痛烈に
見せられた、二日間であった。



ほんとうに、子は
いくつになっても子なのだね
という

文字にしてしまえば、それ以上の
説明のいらない事実。



彼女は生涯未婚で、そして
遠い昔、彼女の兄上も亡くされている

老いたご両親。

ある人がご両親の悲しみを見ていられない
と口にしていたが、それはその場にいる
全員の思いだっただろう。



もし、彼女に、子がいたら
なんら彼女が居なくなったことの
慰めにはならないとしても

一筋の希望として、残されたご両親の
救いに寄与した可能性がある
という架空のストーリー。

(死んでまで、こんな価値観がまとわり
つくのだから、人間って、厄介な生き物だ)



遺影を選ぶためだろう、ご両親が
彼女のアルバムから男性と二人で映る
(どこか旅行先かしら、ともに穏やかで
たのしそうな顔をした)写真を発見したらしく

それを、会場に飾っておられた。

そして、お父上が「あんな相手がいたんだっ」と
とてもとても嬉しそうにしていたのが
印象的だった。

(相手が誰で、どんなお付き合いをしていたのかも
不明のまま、飾ったそうな。お母上は落ち着いたら
「知っているかもしれない」人に連絡をとってみる
つもりと仰っていた)

あー、親って、・・・。

(自分の身に置き換えて
これまで書いてきたこととは
まったく違った意味で、つらい)



お骨を待っているあいだ、お母上が
親戚のことなんてまったく目に入らぬ様子で

終始、我々高校時代からの友人の輪に参加して
すごくたのしそうにお喋りして、それなりに食べて

その姿が、お母上の気持ちを
モウレツに語っていた。

娘のいた時間を、娘の友人と語ることで
束の間、かなしみと距離を置けるのだろう。



(書いていて気づいたが、わたしも父を亡くしたとき
まったく同様であった。生前の父を、父が入院している
時間も含めて、「とにかく生きているときの父」を、思い出して
語るあいだ、&ひとりでいるときも「とにかく生きているときの
父を思い出しているあいだ」だけが、唯一
途方もない精神状態から、少し離れていられたのだ)



彼女の話に戻る。

病気が分かってから、月に一回
家族で食事に出かけていたこと・・・

療養中も、母が出かけているときは
父の食事などを作っていたこと・・・

入院中(亡くなる数日前か?)
留守番している老父を案じて
母に「家に帰って」と言っていたこと・・・

一人で通院していたことからしても
彼女が、年老いた両親のことを
どれだけ思いやりながら、闘病していたか
改めて知り、あたまが下がる(どころではなく
今更ながら、彼女の生き様を発見し
その尊さを知る)。



ただ、亡くなる前の日だったか
「もうだめかもしれない」と、母上に漏らしていた
という。

「がんばるんでしょ」っと母上が言ったら
「うん。だけど、こんなに、だるくて・・・」と
返事があったと・・・。

その(七)

同級生といっても、誕生日からすると
彼女はわたしよりも一歳近く若い。

これまで、少なくない数の葬儀に
参列してきたけれど

自分よりも歳若い人の葬儀は
うまれてはじめてのことだ。

肉親の死とは全く違う意味があるのは
もちろんであるが、年長の近親者の死には
なかった類のショックはある。



ニュースなどで、若い人の死を知っても
それは他人事であり

自分も、周囲も、それなりに
年老いていくのだろうという、ばくぜんとした
見立てをして、ふだんのわたしは生きていて

でも、その見立ては、100%の思い込み

なのだよ、という、突きつけ。



死と生は、目には見えにくくても
それはつながっている世界なのだ

ということを、疑いようなく、ふだんの
わたしは位置づけていても

いざ、こういうことに直面すると

断絶しか、感じられない。
(少なくとも、今は)。


背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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