ともみ@ピクニック

歯医者へGo

6月27日(火) その一

土曜の夜の、のたうちまわるような
激痛以来、ほぼほぼ痛みは治まっている
ものの、(それでも食事の際、ちょこっと
痛みがあったりすること有)

いつまたあの痛みがぶり返すか!の恐怖と

「ブリッジの中の歯が割れているのでは?
(だってあんなに痛かったんだもの)」という心配があり

やっとこさ、歯医者に連絡する。



当面ずっと予約がつまっている、そうだけど
「一時間くらい待ってもいいなら、今日でも明日でもどうぞ。
合間の時間に診ますから」ということで
16時半の仮予約。

いやぁ、こっちに移住して驚いたのだけど
歯医者さんって、ぴったり時間通りに診療されるの。

都会で暮らしていた頃は、予約をしても
一時間待つのなんて当たり前だったので
「そのペース」でいたら、たいへん! ということに
当初は面食らったっけ。

(待たされることがないどころか、受付を済ませておくと
予約よりも少々早い時間に呼ばれることも。なので
遅刻できないのである)

そんなわけで、夕方、歯医者。

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一.グチはじめ

実家の「汚屋敷」問題につき
このごろ気づいたことがある。

わたしが「汚い」「不潔」「目障り」などなどと
思っていることを

老母はまったく想像できないどころか
そういった認識が根本にないので
彼女には「娘がなにを怒っているのか」
さっぱり理解できていないようなのだ。

(なので、わたしが長年、ガミガミ言ったり
モノを捨てたりしてきたバトルも、彼女には
「なんのこっちゃ」だったのね。

そんなことにも気づかず、わたしは長年
不毛の戦いをしてきたのだ)



先日、あまりにアタマに来たので
口に出して言ってしまった。

あなたには元気で長生きしてもらいたい
とは思っているけれど、この汚い家にいる
息苦しさのあまり

「ああ、あなたが死んでくれたら
この家をすっきりできるのになぁぁぁと
夢想することが月に数回はある×この何年か」
とホントウのことを。

(実際にわたしは、母がいなくなったら
この汚屋敷ともおさらばできるなぁ、と、しばしば
アタマをよぎらせているのである。

人の命と、物質的なことを、秤にかけるなんて
常軌を逸している。悪魔のような娘だと思う)



このようなことだけを話すと、人様は
「親の認知能力、大丈夫?」と思うかもしれないが

彼女は昔から、いわゆる片付けられないオンナ
(料理はできるが、片付け系は一切ダメ)で

おまけに「片付けとか掃除の基準」が
一般的な水準よりも著しく低いという自覚の
おおいなる欠如があるようなのだ。

もうほとんど記憶はないけれど
幼いときからそのことでわたしは随分と
恥ずかしい思いをしてきたんだな。

父も、よく離婚しなかったと、今になっても思うほど。
(別の見方をしたら、それをカバーするに足るものが
母にはあったのかもしれないが)



モノを減らさない限り、根本的には片付かない
のはもちろん、積年のモノがあると、その周りの
ホコリが他の場所へも影響して、「家中ホコリ
充満サイクル」から抜け出せないのよね。

あと、汚れた壁とか、汚れた襖とか
ほんとうに憂鬱。

(数年前に、襖を何枚か張り替えてもらったのだが
すぐに謎の汚れがついた)

そういう汚れの数々を目にしているだけで
ホントウに絶望的な気分になるのだ。



わたしが自分で、壁をリフォームしたり
襖を張り替えたりすればいいのだよなぁぁぁ。

(なので、絶望気分から抜け出せないのは
自分が一歩を踏み出せていないことにも
原因がある)

ボロボロの敷物とか、「来期には」と思いつつ
新旧交代できずにいるのは、わたし自身の
怠惰であるものなぁ。

(ボロボロの家具類、しかり)



言い訳をひとつするなら、「どうせまた汚れる」
という心配があるのだよな。

たとえば、母が元気なうちに、すっきりリフォームした
きれいな台所で気持ちよく料理をする生活をして
みたいものだが
・・・現在は地獄のような台所で、極力目を配らず
モノを触らず、のストレスフルの状態で料理している・・・・

母が台所を使うと、尋常ではない汚れが
すぐに溜まるのが目に見えているので

・・・台所だけではない。なぜか彼女の行動範囲は
ことごとく汚くなるのだ。冗談でなく。居間の彼女の
いつも横になる足元なんて、毎晩彼女が寝てから
掃除機かけるのに、翌日の晩にはまたゴミだらけ
という不思議な現象。キレイに家を保とうとしたら
トイレをはじめ、彼女の動く場所、すべて後をついて
行き、せっせと掃き掃除拭き掃除していなければ
ならない・・・

・・・またモノを捨てず、リフォームだけしても
そうとうリフォームの意味が軽減するだろう・・・

その一歩が踏み出せずにいる。

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二.部屋とココロ

あと、他にもやっと気づいたことがある。

「わたし、傷ついているのか!」と。

今まで「この状態は不快だ」という認識はあったけど
Uターンして十年以上経ち、やっと、気づいた。

こういうのを目にするたびに
もしや、精神的な虐待を受けている
に等しい気持ちになっているのでは?

前はいちいち、実家の汚屋敷状態を
ウツ状態のこじらせにももっていって
いたのだが

ある時期から、「気にしない」ふりを訓練する
ようになった。

(もがいても、もがいても、解決しない。
どうすればいいのだと、もがいた年月があったなぁ。
そののち、「どうにもならないことに苦しんでも、自分がしんどいだけだ。
ええ~い、シャットアウトしちゃえ」となったんだな)

しかし、やっぱり、その間も、わたしは傷ついていたのだ。
(自覚のないところで、じくじくと)

あー、精神的な虐待かぁ、と考えると
おおいに納得するのだ。


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三.老母と、ぐちゃぐちゃのモノ

親は80代となり
彼女に片付け・掃除能力はない。

わたしが「する」しかない。

だけど「する」ことが、思うように叶わなくて
絶望的な気分にしばしば犯される。

(ここまで壊れたモノ・汚れたモノに囲まれると
やはり「捨てる」しか、根本解決はないのだと思う。
が、なかなかそれが許されない状況)

このエンドレスのように見える状態は
わたしが自分で作り出している
脳内フィクションなのだろうか?

(どんな精神的葛藤の代償として
「汚い実家」が表出しているのだろう?)



先に書いた
「彼女に片付け・掃除能力はない」
というのは、わたしの見立てである。

彼女自身は、まったくそう思っていないようで
(ぐっちゃぐっちゃの)寝室の片付け手伝おうか?
一緒に衣替えしようよ? などと、たまに申し出るのだが
返ってくるのは「自分でやる」の一点張り。

その他、家のあっちこっちの
(例えば、何十年と触られたことのない階段の下とか
居間の彼女の定位置の後ろのごちゃごちゃの和棚とか)
スペースをわたしが片付けようとすると
「そのうち自分でやるから」と、まあ、拒絶されるのだ。

「触られるのがイヤ」というよりも、本人は
自分でやれる、とホントウに思っている様子。
(でも実際には全然なされていないんだけど)。

なので、ときどき、わたしはこっそりと
寝室の掃除機かけ(モノ、特に洋服が散乱している
ので、ちゃんと掃除機をかけられるわけではないが)
(テレビの後ろなど、すぐにホコリの巣窟となる。
どこかから出してきたホコリまみれの飾りものなどを
近くに飾ったりするから、よけいにホコリはエンドレス)
などをするしかない。

こっそりと、こっそりと掃除をして

こっそりと、こっそりとモノを処分してきて
(ここ十年でいえば、相当な量は処分した)

それでも片付く気配がない。

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四.実家の片付け

実家の片付けで、親子関係がこじれ
絶縁状態になった家庭もあると聞く。

うちは、ストレスをためながらも
究極の片付けをしないまま、ずるずる
来たので、絶縁状態にはなっていないけど。

どんな家庭にも、その家ごとの問題がある
とは言われるけれど、まあまあレベルの
片付け&掃除のできている家が、わたしは
すこぶる羨ましい。

(その道のプロは、親が嫌がるなら
「片付けはすべきでない」と仰る。

しかし、それは親が親のみで住んでいる
ケースであって、親子同居となった場合
どうすればいいだろうね)



「使わないものを、とっておいても仕方ないじゃない」
の理屈は通用しない、(だって、これまで何十年使わなかったけど
この先いつか使うかもしれない、と思っていそうだから)

「こんな汚いモノ捨てたら?」というのも通用しない
(だって、汚いとは感じてないらしいから)

などなどなど、実家の片付けバトルで
展開されがちな、たいがいの修羅場は
体験してきたつもり。

(繰り返しになるが、実家の汚れっぷりは
ただの「ごちゃごちゃ」レベルを超えるのだ。

彼女の五十数年の主婦生活で買ったもの
趣味の作品、はるか昔の景品や土産物
家族の暮らしてきた手垢のついたモノ
父の勤め人時代にいただいた品々
親戚からももらったお古の服や家電などなど)



最近は、「モノを整理したって、あなたの生きてきた
誇りや思い出が損なわれるわけじゃないんだよ。

あなたの尊厳はなにも変わらない。むしろ

モノを整理して、より心地のいい時間を
これからの未来に呼び寄せればいいじゃない」

「人生、まだまだこれからだよ」

「全部捨てろって話じゃないの。要るものは要るもので
きれいに整理しようよ」

というようなことを、もっと砕けた口調で
母に言ってみるのだけど

どこか「とってつけた」ような話ぶりなのだろうな
・・・自分でも、しらじらしい印象が拭えない・・・
まったく彼女の心には届かないようである。

(そして、たまには、「もしわたしが先に死んだら
あんたどうやってこの家を片付けるの?」という変化球や

「あー、死に逃げする人はいいよね~」などのイヤミも言ってしまう)



ひとつひとつ手にとって、子が
モノの思い出話を聞くことで、親の心が休まり
気持ちの踏ん切りもついて、親が自主的に
モノの処分をするようになる・・・

という話をよく特集番組などで見るのだけれど
そこに至るまでの道のりも、たいへんだろうなぁ。



母もまったく整理していないわけじゃなくて
わたしがガミガミ言った後、何年かに一度くらいは
局所的に「整理の手を入れる」ことはあるようなのだけど

それが実質、未遂に等しいレベルなのだよなぁ。

ほんと、片付ける力がないのだろうなぁ。

モノは種類別に一箇所に集めて、「要る・要らない」の
整理をすればいい、というけれど

(先日も、押入れ一間分ほどの布団を出して
八畳間を埋め尽くした。布団、他にもまだまだ
あるんだけど)

仮に母の服を集めたら、何百枚になって
それだけで「力尽きる」のではないか、と思う。
(整理の前に卒倒しそうだ、わたしが)

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五.隠れた共依存

実家と縁遠い態度をとれば

わたしの、目に見えたイライラは減るのだろうなぁ。
(代わりに別のイライラが生じる可能性はある)

けれども、完全に離れて暮らしていた時代とは違い
親の老いをもろに知ってしまった身としては
もはや放置はできんだろう。
(「感情的に」だけではなく、ネグレクトになりますので)

周囲は、母の話を聞いて、(わたしがやっている
家事などなどを、母は自分のやったことのようにして
いつもヒトに話しているので)、母の能力が今
どんななのか知らないのよね。家族も親戚も
近所のヒトも、彼女が一人で頑張っている、と思っている。

(わたしは完全に黒子で、我々親子は隠れた
共依存関係なんですの)。



余談だが、彼女は一人のときはお風呂も入らんし
(真夏はさすがに自主シャワーをするが、その他の
季節は放っておけば、何週間も入浴しない)

これはわたしもヒトのことを言えぬのだが、一人だと
食事の栄養バランスが多いにあやしく、わたしは
彼女の食事のサポートをすることで
(用意するだけでは足りず
一緒に食べる人がいることが肝心のよう)

また寝具などの洗濯をする習慣もいつの間にやら
失くしてしまったようなので、せっせとサポートするなど

そのほか生活全般、もろもろを通して
彼女の健康寿命に貢献している、という自負心を
わたしはもらっている。

(ここに究極の・・・わたし側の・・・依存があるのね。
「誰かの・何かの役に立っている」という貴重な体験)



余談の余談だけれど、昔から
容貌(格好)にすこぶる無頓着な母であったが
(これまた、幼いとき、わたしはたいそう恥ずかしく傷ついた)

老齢となり、その傾向がますます顕著だ。

人様の家に行くとき、「穴の開いた靴下は履かないで」と
再三注意しても、わざとのように、ほとんど必ずといっていいくらい
穴の開いた靴下を履く。

(穴の開いてないのを、もっていないのでは? と思うなかれ。
あまりにも古びた靴下ばかり履くので、せっせと新品を
買ってきてプレゼントしていた時期もあるのだ。なのに、なのに・・・)

(あまりに繰り返すので、たまに穴の開いている靴下を
わたしはこっそり捨てる。だって一度履いた靴下を、彼女は
何ヶ月も居間や廊下などに放置してるんだもん。
またそのうち履くからといって)

洋服にしても、わざと選んでいるのかと思うほど
(これまた、穴の開いたのは着ないで下さい。
シミのついたのは着ないで下さい。といつもお願いしているのに)
穴が開いたり、シミのついた服を着て、お出かけするのだ。

近所の魚屋とか郵便局に行くくらいなら
ぜんぜんいいのだが、なにかの会合のような場に
そんな格好で行くのだから・・・。

他人格なのである、母は母だ、と放っておこう
と、割り切ればいいのだが

一応娘としての立場(家族がどう見られるかの執着)が
あるので、いつも、うんざり、憂鬱になる。

(出かける前に気づいて注意すると、着替えることも
あるのだが、着替えてもまた同様の結果ということも
珍しくない。

あるいは、「見えないから、だいじょーぶ」とか
言い返されちゃう)

今のわたし自身も、かなり格好に無頓着だけど
老いたらますます、彼女のようになるのかしら? 

母と同年代の人々、また母の妹たちはみな
キレイに身だしなみを普段から整えているので
わたしの惨め感たるや。。。(繰り返しになるが
母自身は、自分に惨めさを感じている様子は
みじんもない。それなりに身だしなみを整えている
つもりのようなので)

(昔から、母はこうで、わたしはいつも惨めだった)



また、歳をとり、生活をサイズダウンする
女性たちがいる一方で、(前に母の下の妹の家に
行ったときも、重い鍋は処分して、小さくて軽い鍋に
買い換えた台所を見せてもらって感心したな)

そういう発想のカケラも見られない
・・・畠であれ、家事であれ、自分は昔どおりに
やれると思っているフシあり。時々、わたしのサポートが
なければどうするつもりだ、と怒りたくなる・・・
・・・しかし、この怒り方って、亭主が専業主婦の妻に向かって
「誰のおかげで食ってんだよ」と怒鳴りちらす間抜けさと
変わらんのであろうなぁ。つまりわたしは間抜け・・・

母に、あーあ、と思う。

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六.高齢親子

父が亡くなって数年のうちは
「なぜ自分だけが一人なんだ」と
激しい孤独感を募らせていたようだが

その後、身近な範囲にも寡婦が増え
「さびしいのは自分だけじゃない」と知るようになって
また、なによりも時間薬が効いたのだろう

近年の母は
「さびしい。さびしい」と口にすることは
すこぶる減った。

しかし、今でも、一人で生活するのは
一週間程が限界のようだ。

なんか、もう、離れられないのだなぁ。

(家族優先の思考は昔から変わらずなので
「こういう用事があるから」と言えば
無理を言わず送り出してくれるし、留守もして
くれるのは、けなげだな、とは思うけれど。

こういう相手の都合を第一にすることを厭わぬ
無償の愛的な態度はすごい)



いつまでこんな人生なんだ、と思うことは
しばしばある。

うちは介護というほどではないけれど
閉じた家族関係のなかで様々な事件が起こるのも
まったく想像がつかないわけではない。

すごーく酷い話なんだけど、母ちゃんが
じっとしていてくれたら、どんなにラクかと
思うことは、わりとよくある。

(実際、そうなったら、思いもしなかった
大変なことが山積みで、母ちゃんが元気な今を
反省し感謝することになるだろう)

ふーう。

でもでも、「あんたには一人宅もあるから
息抜きがあっていいじゃない」というのは
ごもっとも。

(で、息抜きして帰ると、また玄関や仏壇の
花瓶から異臭が放たれているなどの、毎度の
展開が待っているのですな)



母がいなくなったら汚屋敷とサヨナラできる
なんて思いつつ生きるのはイヤだなぁ。

と思いつつ、どうしたらいいのか
分からない。

そんな年月が流れてゆく。



精神的な虐待を受けているに等しい
というのは、たぶんその通りで

でも、その虐待主は誰かといえば

もはや老母のせいには出来んだろう。

被害者はわたしで、加害者もわたし。


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若者の批判アレルギー

最近、若者の自民党支持率の高さを
指摘する話を(ラジオなどで)耳にする
機会が続いたが・・・

その理由として
「若者の批判アレルギー」がある
と、本日聞いて、ふーむと思った。

(小さい頃から、ネット環境になじんできた
若者たちは、SNSなどにあふれる批判と接し
育ってきて、“考える”以前、批判モードの言語に
“拒絶”するクセがついているのかしら)

批判うんざり、の時代の申し子なんだね。



「安倍政権になってから、頻繁に
政権が変わることなく、社会が安定した」と
いう見方をする若者の姿を伝える報道を
チラ見して、「え?」と驚いたことがある。

確かに、ころころと政権交代することはないけれど
社会が安定した? ですって??

(雇用率の高さとか、株価の高さとかいっても
実質賃金は下がっているそうだし、株価だって
お上が買い支えているわけで・・・、うむ? と思う
のだけど、そう信じている若者は多いのかもな)

そもそも、第二次A内閣ができたのは
5年近くも前なわけで

・・・随分「年寄り臭い」言い分だが・・・

十代や二十代の人たちに、それ以前との
比較がどれだけできるのやら、とは思う。

(しかも、それ以前には、リーマンショックやら
東北の大震災があり、逃げようのない打撃が
日本をおそっていたわけで)



久米宏さんは、ご自身のラジオ(土曜の午後1時~)で
「東京オリンピック反対」を掲げておられ

たびたびその弁を述べるのはもちろん

賛成派、反対派、それぞれの意見を紹介したり

先週は、年代別のアンケート調査を報告していた。

で、十代の「オリンピック開催賛成」が
すこぶる高いのよね。

そして年代が上がるごとに、賛成派が減る
結果だったと記憶。

(久米さんは「(オリンピックを開催したら、大きな
借金が残るのは目に見えているので)高齢者は
若い人たちに少しでも借金を背負わせないように
との思いで反対されているのかしら」と仰っていた)



気になるタイトルのネット記事を読んだ。
「やっぱり安倍政権しか選べない」東大生はなぜ自民党を支持するのか
https://www.businessinsider.jp/post-34482

これを読んで、もやもやするのは
わたしが中年だからだろうか?

(素直に共感する若い子は多いの?)



「体制に反対するのは若者」という見方は
いまや、たいがい、おとぎ話なのかな。

先に、若者の批判アレルギーと書いたが
それに加え、彼らは、他者と共感することに
ものすごく敏感であると伝え聞く。

少数派のポジションをとることを
異様におそれるらしいのだな。

明るさの見えにくい将来、個人がつつがなく
生活できていければ、多少のことはどうでもいい
っという防衛系の生き方にも見える。

(大人は、若者から「反抗する」気力・機会を
奪ってしまったのかもしれないと思いつつ)

若者たちの堅実ぶりが、わたしには
ちょっとした恐怖でもある。

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だるさの神様

6月26日(月)

この頃、へばりついたようなだるさ
にカラダがおかされている。

(あれこれ用事がたまっていて
外出せねばなのだけど、力が湧かず
家に篭るなら、溜まった日記でも書けばいいものの
パソコンに向かう気力も続かない。

ああ、そうだ、歯医者に電話しなきゃ
っと思いつつ、なかなかそれもムズカシイ)

今日は天気がよろしく、なおさら
気持ちが凹凹凹み・・・。

この頃、(睡眠時間はしっかりとっているのに)
夜になると、だるだるのあまり、ソファで仮眠を
とってしまう。

今日も凹んでいるうちに、いつしか夜の仮眠。

昨日買ったお惣菜が残っているので
・・・鯖の塩焼きとか、甘エビ唐揚とか・・・
運動がてらの、スーパーお出かけもなし。

あー、六月下旬は、だるさの神様に
愛されてしまったようです。

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リラックスの雨

6月25日(日)

しとしと、雨のなかの睡眠。

歯の痛みはどこかへ消えて
「マイナスイオンが潤っているなぁ」
と、しあわせな、布団タイム。

昼に起きて、ぼーー。

霧のかかった山を見て
ふと台湾の景色を思い出す。

毎日がこんな天気だったら、そのうち
気持ちが滅入ってきそうだけれど

たまにはいいよなー、こういう雨。

「休んでいいよ」と、誰かに言って
もらっているようでもあり
メンタルも助かる。

(前に、『ホンマでっかTV』で植木先生が言っていた。
「梅雨時はウツ症状が軽くなりやすい」のだと。
春とか夏って、まわりがわ~っと明るい話題で
元気に盛りあがりがちで、メンタル弱っている人間には
つらさが増しやすいのよね)

低気圧は、体の不調をもらたしやすい面も
あるとは思うけれど、ほどよい雨は人間を
リラックスさせる効果もあるのだろうな。が実感)

夕方、おまもり代わりに、鎮痛剤を買いに行く。

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歯痛

昨夜は、歯痛でのたうちまわった。

(コメダの帰り、歯の痛みが気になって
舌の先っぽで触りながら歩いていたのが
刺激を誘ったのだろうか・・・)

(前々から、咀嚼の折、「痛い」ことはあり
「ああ、前夜の嚙みしめが強かったのかな」
(マウスピースをして就寝しているが)
とは思うものの、こんなに痛みが長引くこと
今までなかったのだけどな・・・)

(しかもこの痛さの度合いといったら
いつもの比じゃない。どーしたの?)

(そういえば、ここ数日、えっ!というような
柔らかいモノでも歯が痛くなることあったなぁ)

痛みはやがて、偏頭痛を呼び起こし
リンパが腫れているような感じもし・・・

あまりの痛さに、夜中の一時をまわって

24時間営業の某店に電話をしてしまったぞ。

「薬局で鎮痛剤を買えますか?」と。

(もし買えるなら、這ってでも出向こうかと思ったが)
「夜間は絆創膏のようなものしか扱えない。
医薬品は売れません」のお返事。

仕方なく、ふだんリラックス用に使っている
エッセンシャルオイルをこめかみとかリンパに
塗りまくり、自家製のローズマリー水で
シュッシュっと顔にスプレーしたり・・・

してみるものの、気休めにしかならん。

痛い。痛い。

痛さのあまり、ごめんなさい

睡眠導入の薬を、規定以上飲み、うっ

ただしく言うと、処方を超える二粒目を

正露丸の代わりのように痛いところに押しつけ
(舌で抑えつづけるの技)

・・・正露丸って、虫歯に効くのよね。
びっくりするくらいの効果・・・

「薬局が開くまで、あと△時間の辛抱」と
闇のなか数えつつ、痛みをこらえているうちに

朝方、いつのまにか入眠。

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コメダの日

6月24日(土)

うー、だるい。だるだる。

しかし今日こそ街に行かねば。

コメダ珈琲の電子マネーが
つるんと全額失効しちゃうのよね
今日で。

なんとかカラダを動かして
名越先生の新刊を購入のち
やっとこさ、コメダの武蔵店に到着。

注文するものはだいたい決めており
(そのために昼食を抜いてきた)

よし、と、メニューを開くと
え~、食事のプレートが武蔵店では
やっていない! とな。

(ヒレカツプレートを食べるつもりで
頭のなかはヒレカツ・モードだったのに)

仕方ない。

冷珈琲(大)と、ホットサンドを注文。

お腹いっぱい、おまけにまた歯痛があったのだけど
僅かに残るポイントが惜しく、シロノワール(小)で
〆る。

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じとーーっ日

6月23日(金)

今日こそは、街に、と思ったのに
出かけることができなかった。

うーん、自分。

「多少ムリをしてもエンジンかけて
活動を始めれば、そのうちカラダが動く」の

ハッパをかけることすら、億劫。

じとーーっと、ひきこもり。

労働しない日に明るいうちから飲む
ということは近年とんとなかったのだけど

今日は、じとーーっ気分にのみ込まれ
夕酒をしてしまった。

夜食のカップ麺をすすって
歯痛(すぐ治まる)。

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半額チャーシュー&メンマ

6月22日(木)

今日は街に行こう、と予定して
いたのに、体調すぐれず、気力もわかず
ぐずぐず過ごす。

せめて食料の調達を(運動になるし)と
夜、スーパーへ。

期待せずに惣菜売り場をのぞくと
お値引きシールのものがあり、餃子とか
太巻きとか、チャーシュー&メンマとか
購入とあいなった。

(信じられんことだが、今の家では
自炊デビューをしないまま二年近く経つ。
・・・換気扇の問題がいまだ未解決!・・・
レンジで作る饂飩くらいなら、ミニ技を身に
つけたのだけど・・・。卓上 I H は一度も
使わぬまま、棚に鎮座しているのである)

(そのうち、そのうちと思いつつ・・・、いつ
わたしは自炊デビューするのだろう)

はふんっ。

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「心の防衛」という魔物

ジロウさんという方の
https://twitter.com/jiro6663?lang=ja
「オタクだから、お金がないから、モテない」系の語彙って、自分の中の大切なものが傷つかないように末端部を切り捨てながら退却していく自尊心防衛術なので、良かれと思って「オタクでも、お金なくても、彼女いる人いるよ?」などと慰めようとすると、うっかりとどめを刺してしまうので注意しようね。

という言葉を受けて

ニー仏さんが
https://twitter.com/neetbuddhist?lang=ja
「お金がないから、オタクだから、顔が悪いから」というのは、卑下の言葉というよりも、むしろ本人が最低限の自己肯定感を保つための最後の砦なのであって、そういう「モテなくても仕方ないと認められる理由」まで奪われてしまったら、本当に本人にとっては救いがないんですよね。

と仰っており(6月21日のツイッター)
むふむふと頷く。


オタクとかモテないとか、もろもろの言葉は
他の人生の、色んな言葉に言い換わる。

(卑下のポーズで、無意識に自己防衛する
仕組みなのですなー)

わたしの場合なら、近年はとくに
「田舎」とか「老母」の防衛パンチが顕著か。

(容姿がどうの、という呪いは、とっくに飽きたので
今は周囲環境に自尊心防衛の事由を求める・・・?)

生きづらさの理由を、削ぎ落としてゆくのが
こわいから、いろんな理由を
無意識につけているというのは

あるのだろうな。


しかし、自尊心防衛をしているあいだは

どこか「違う人生」を生きていることに
(実りの人生を生きていないことに)
なりはしないか?

(過去や現在)こんな困ったことがあって
あんな不自由なことがあって・・・、だから人生が上手くいかない
ってのを、自分の人生の看板に掲げてしまうと

実はそんなこと大したことじゃないかもしれないのに
それに、自分自身がとらわれてしまう~ という。


あの世に旅立たれたばかりの、女性KMさんは
「病気であることを、自分の人生の中心にしない」
と、進行するガンを患うなかで選択したことで

より大きく、ご自身の命の幅を広げたように想像される。

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