ともみ@ピクニック

五輪真弓を口ずさみ

5月22日(月)

きのうの疲れだろう、背中、いたい。

今日は養生日といたしましょう。

真夏日だったきのうに比べ
今日も30度近くはあるものの
涼しささえ感じる。

半日窓を開けて縁側にいたら寒くなり
夕方、日向ぼっこかねて、少し草むしり。

さぼっていたトイレ掃除して

明るいうちにお風呂。

冷蔵庫には隙間ないほど色々つまっているので
今夜は残りもの祭り。



風呂あがりの母、直行先の寝室から
なかなか出てこず、心配していたら

突如、「わかればなしが~
じょぅだんだよ~と~わらってほしい~」

ふしのあるようないような
なぞの言葉が聴こえてくる。

ん? 五輪真弓?

(ほんと、あの人の頭のなかでは
なにが再生されるか予測つかないので
いつもびっくりする)

直後、寝室から出てきた彼女に
歌のことを指摘すると
「最近流行っているじゃない?」だと。

(あれは、歌番組の録画を
再生しているだけで、今流行っているんじゃ
ありませんよっ!

しかも、最初にあの歌番組を見たとき
「こんな歌知らない」と言っていたクセに)

老母との暮らしはミラクルだ。


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カシの木(17年)

20170522 035 剪定前 
20170527 007 剪定後

20170522 046 剪定前
20170527 004 剪定後


カシの木は、いつも夏を終ってから切っていたのが
昨年は八月中に切ったら、この五月には早くも
もじゃもじゃさんになり、すっきりしたく散髪。

すっきり! はいいけれど、また夏の終わりには
もじゃもじゃさんになりそうだな。

今年の特記・・・

枝葉の伸び方を見て、根っこの力と、葉っぱの量
バランスが悪いのではないか? と推測されて
例年よりも「切らない」ようにした。あと将来的に
「洗濯物を干す時の即戦力」にもなる枝を育てたく
不規則なところから生えた新芽を一本だけ
残しておいたけれど、どうなるか?

ノコギリの出番が一箇所だけだったのは
ラクだった。ちょっとずつちょっとずつ
背丈を低くする作戦なのだ。

地下足袋をはいて作業したら、すごく
動きやすかった。(長靴だと重いし
サンダルだと空中で落とすことしばしば)

日々精進、それらの結果は年々の
剪定にも出るかもしれないなー。

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30度超え日曜

5月21日(日)の二

朝の勤労は二時間ほど。

シャワー浴びて、発泡酒飲みながら
「ご飯に、イクラ・鮭の麹漬けをのせ
海苔を巻いて食べる」至福の朝食。

昼寝、のち、素麺食べて
カシの木の剪定で、地下足袋デビュー。

夕方、ちょこっと畠。

その後、遅い時間になってしまったが
「泡の出る飲み物」在庫切れだったので
買出しに。

帰りは20時前になったものの
うっすらと日没の余韻のこる空。

夕飯は、スーパーの握り寿司など。

はふはふ、おつかれ様でした。



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役割「未分担」人生

あと、ひとつだけ。


普段から、なんでもかんでも自分でやってきて
それを当たり前にしていたけれど

大勢の家族がいるヒトは、力仕事する役
家事する役、買い物行く役、などなど

自然に分担をしているのかぁ~、と

今更ながら気づいたのであった。


わたし、18歳で一人暮らしして以来
そんな分担生活を体験していない・・・。

はふっ。

もしかして、「未分担」人生って、疲れる?

実は、前から、「なんでもかんでも
自分でやろうとするのは限界だ」とは
身にしみて感じていたのだ。


「できることは自分でする。人に頼らない」
そういう人生を否定するつもりはないが

(っていうか、否定しちゃったら
自分で自分の人生に落第点をつけることになる)

できるなら、人は役割を分担しあったほうが
生き易いのだろうなー、と

半世紀近く生きて来て
やっと気づくようになった、わたし。

(気づいても、すぐに実行できるわけではない。
長年の習慣というものがありまして・・・)


そして

人は人に頼ったほうが
まるい人間になりやすいのかも。


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勤労で思ったこと

「田舎時間」とか「田舎の掟」とか悪態つきながら
田舎のじゅうぶんな戦力になりえていない我よ。

オモテだっては人々のなかに紛れ込もうとしても
ココロのなかではおタカくとまっているのって

(おタカくとまっている、は言い過ぎか。
色々と違和を感じながら存在する、と言いなおそう)

じんわりと周りに伝わるものだろうなぁぁぁ。

その気になればこの故郷でも生きていけると
思っていたけれど、今のままの自分では
周囲から嫌われるタイプかもしれんなぁぁぁ。

( ↑ 普段は生じない視点。
「新型ネガティブ」の芽ばえか・・・)

と、あとで思った。

               *

母ちゃんは、「オトコの人たちが重労働はやってくれるから
(年寄りの自分は参加するだけで)いいの」というようなことを
事前に言っていたけれど

実際に、母の様子を見ていたら、ちょろちょろと顔を出し
おしゃべりし、・・・・・・の按配。

それでいいのだろうなっ。

わたしのように、「腕力の足りない、女手だけの参加で
地域の人々に申し訳ない」なんて、本当は思う必要ない
のだろうなっ。

「少しでも、お役に立たねば」と、ムリをして
側溝の重いフタを持ち上げる、わたしの意地なんて

気持ちの狭い人間のやることだ。

(わたしのような「人に迷惑をかけて申し訳ない」という
考えに走りやすい人間は、他方、ヒトに厳しく
ついつい、他者に対して不寛容なココロの動きを
してしまうのだろう)

器がちっちゃいから、まわりが気になる。

そんなことも感じた、村の勤労であった。

               *

あと、女の役割、男の役割、なーんていう

暗黙の了解も、やっぱり村にはまだまだあるようで

(ついでをいえば、青年団とか婦人会とかも、健在)

そういうのを自然に受け入れている周囲の状況に

わたしはまだ馴染めないのだな、とも思った。

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村の勤労デビュー

5月21日(日)の一

実家にて。

今日は、地域の排水溝掃除。

この数年、ああそろそろ
わたしも参加しないとなぁ・・・・・
と思いつつ、母ちゃんの
「ワタシが出るからいいよ」との弁に
甘え、村行事に不参加だった
のだけど

母ちゃんも八十代、おまけに
「村だより」的なちらしには
「一家に一人は参加のこと。
できるだけ若い人が出るように」
とあったし、な。


加えて、この一年、わたしはこの日を
ずっと待っていたのだ。

排水溝のある道とは別の、うちと隣接する道に
ずらーっと何十年分か知らない砂が体積しており
困っていたのだが ・・・草が生えるので
草むしりせねばならんし、数年前から
ぶにょぶにょのフシギな(木耳のような)
苔だかカビだかが繁殖する部分あるし
最近は犬の糞まで放置されて・・・

去年の排水溝掃除の日の夕方
この道を掃除していたら、ある人が
「今朝の排水溝の泥と一緒にもって
いってもらえばよかったのに」と
何気なくおっしゃって

「そっか! その手があったのか」と

道沿いの砂を処分することに
初めて気づいたのである。

(それまでは、これはどうしようもないもの
と思い込んでいたのだ)

ああ、待ちましたよぉ、一年。


事前の電話で、母ちゃんに開始時間を
「村だより」的なちらしで確認してもらったら
「朝八時から」というので

例年はもっと早くなかったっけ?
常識的な時間に近づいたのか!

と思いつつ、そのつもりでいたら

朝の六時半には始まったよ。

へぇ~んっ、やっぱりのぉ。

(早速作業を始めている人に聞いたら
「八時は回収車の来る時間」なんだって。

あとで確認したら、やはり「村だより」的なちらしには
「側溝掃除八時開始」となっていたのだけど・・・。

どうやら、この矛盾は毎年引き継がれているらしい。
「矛盾」すら、例年通りと引き継がれるのである。

田舎では、文字化されぬ、掟を覚えておかねば
なりません)

これ、いつもの村時間。

(村の集団勤労は、この排水溝掃除以外にも
あって、いずれも早朝から。

ま、村の老人たちには、朝六時半なんて
ぜんぜん早い時間でないだろう)


先に「道沿いの砂の処分」をするという
私的活動は叶わなくなったけれど
郷に入れば郷に従わねばならん。

まわりじゅう男性陣(平均年齢は爺さん)のなか
あまりお役には立てなかったかもしれないが
村の勤労デビューを果たしました。


そしてそのあと、というか、まだ皆さん
勤労中のなか、だらけた感じになったので
(一通り作業が終って回収車待ち?)
その隙をついて、私的活動を。

(その後、泥の回収車が来た時
大量の乾いた砂が泥の上にかぶっていて
「?????」と、訝しむ方がいたので
ごめんなさい、と、白状しておいたけど・・・)

おまけに、わたしの腕力では
泥や砂を、回収車に載せることができず
(一回チャレンジして、逆に周りに迷惑かける
と分かったので、あとはおとなしく見ていた)

まあ、色々と、みなさんに
ご迷惑をおかけしてしまいました。

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この瞬間果実

(ひとつ下のつづき)


この世のすべてが、その瞬間で終れば
どんなにラクだろう。

人と仲良くなれば、なにかしら
相手から期待されるし
(もっと仲良くなろうよ、とか)

当然、自分だって相手に
(信頼とか安心とか情とか)
なにかを期待してしまう。

ハッピー方向じゃない瞬間を
体験したあとは

ちっぽけな記憶を、いつまでも
引き摺って、うじうじ病む自分。

常に、現在と未来をセットに
現在と過去をセットにしている自分。

今この瞬間、という果実だけ
かじって生きれば、この世は
どう映るだろう。


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人と仲良くなると

(ひとつ下のつづき)


Cちゃんとお喋りするのは楽しいのだけど
これがバーベキューに参加するとなると
事情は大きく違ってくる、なんてのは
心ねじれた大人の都合というもの。

これまで、相手が大人であろうと
子供であろうと、おのれの心身都合で
どれだけ傷つけてきたことでしょう。

(おのれの心身都合を一番にふるまって、相手に
「ともちゃんは私のことを嫌いなんだ」とか「邪魔なんだ」とか
「拒絶されている」という感覚にさせたことは
山ほどある。そして現在進行形・・・)

人と仲良くなると、些細な期待に添えなかったり
約束も守れなかったりする自分と対面することになる。

それは相手も、自分自身も傷つくんだよね。

それもあって、わたしは平生から
人と距離をとるようにしているんだ。

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Cちゃんとキジ

今月上旬の暑い日のこと。

久しぶりに会ったCちゃん(小3年)が
畠でキジを見た、と話してくれたので
「つかまえて、今からやるバーベキューに
したら? 野生のお肉っておいしいらしいよ」
と、からかっていたら

「ウチの人、誰もさばけない・・・」と
まじめに答えてくれたり

なにの話の流れだったか、(その場には
80代と70代とぎりぎり40代の我と彼女がいた)

「こーんなおばあちゃんに自分がなるなんて
信じられないでしょ。うひゃひゃ、みーんな
Cちゃんの歳の頃はそう思っていたんだよ。

ここにいる人たちも、昔はね、Cちゃんみたいな
かわいい女の子だったの。

でもね、信じられないかもしれないけど
ある日、気づくと、こーんなのに、なってるの」

と、からかう我に、Cちゃんは
うふふふと笑って聞いてくれていた。


翌日、(バーベキューのお誘いを受けていたのに
はっきり断りの言葉を申し上げなかった我のことを)
Cちゃんが待っていてくれた、と、人づてに聞いて

胸が痛かったです。

ごめんね、ごめんね。


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権力の報復(の一端)

はふうっ。

日記がやっと、5月20日まで来た。

と、いっても、現実カレンダーは毎日まいにち
進むわけで、日記も着かず離れずで
あいかわらず遅れ気味。

時事ゴトについて書きたい、と思いつつ
どんどんどんどん旬の話とはズレてきて
あー、ならば、次の時事展開と一緒に
絡めて書こうと気をとり直していたら
次の展開もまた「過去の話」となって
・・・・・・の繰り返し。

なので、今日は
アップするには「ためらう」古さになる前に
時間を飛んでアップしておこう。

*長い前置きとなった。(メンドくさい性格だなー)

 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 

最近のニュースのなかで、わたしが一番
ショックだったのは

(共謀罪は、もちろん最悪の法案だが
国会無能化の末、強行採決されることは
最初から分かっていたことなので・・・勿論
それでも声を挙げなければ)

前川・前事務次官のスキャンダル報道。
(読売新聞に書かせたやつ)

文科省の「加計メモ」漏洩に対する
報復と見るのが、しごく、妥当だろう。

なんて卑劣なやり方だ。

これでは「告発」をした者が
どんな目に遭うか分からず

みな、ますます今以上に
「正直な話」をしなくなるではないか。

在職中ならば、職場での居場所がなくなり
・・・・一方で「ポチ」を貫けば
ご褒美をもらえる仕組み・・・

退職後でも、過去にさかのぼって
(公安に尾行されていた可能性が)
プライバシーが暴かれる。

(今回のことだって、出会い系のお店に行った
というだけで、そこで法に触れる行為をしたわけ
でもないのでしょ。万が一、そこで度を越えた
淫らなことをしたのだとしても、それで恫喝するのは
おかしな話だ。なんらかの意図があり、官邸が
わざわざ全国紙に書かせたとしか考えられない。

「読売新聞を熟読して下さい。byシンゾー」
なんつって。

いや、冗談言ってる場合じゃない!)

要するに、権力に逆らうな
逆らったら、どんな目に遭うかわからんぞ!

という、見せしめでもあるのだろう。

(森友で追求された財務省のダメぶりを見て
文科省は少しは男気を見せるかと期待したら
結局はお決まりの「見た記憶がない」
・・・「見たことがない」と言わず、「見た記憶がない」
というのがミソね・・・で終始して)

そういえば、官邸お抱え記者と言われている山口某氏は
婦女暴行しても事件自体がもみ消されたりして
・・・・先日は、その件に関する週刊誌からの質問メールを
山口氏が官邸サイドにSOS転送したしたつもりが、間違えて
質問元の週刊誌に送ってしまったという
一件がありましたな・・・

権力の傘のなかに入るか、否かで

天国か地獄か、対応が二分される世界が
出来上がってしまった。

なんだか、この国は

想像以上のスピードで「こわい」ことに
なっているのではないか?

(そして共謀罪の成立で、ますます加速する)

と言わざるをえない。



☆以上、5月24日の記

☆5月24日晩、『ユアタイム』を観ていたら
通称・田崎スシロー氏が、文科省の加計メモの
信憑性をおとしめる発言&前川氏の信頼を
故意に低くする発言をしまくっていた。
一方、司会者やコメンテーターは
スシローの官邸ヨイショの言いたい放題に
呆れ返っている様子であったが
時間の都合もあり、ほとんど
「スシロー・ワンマン・ショー」となっていた。

☆5月25日夕、前川氏が記者会見して
「トップの御意向」文書はホンモノ、と
はっきり明言している姿を見て
(「あったものを、なかったことにはできない」など
久しぶりにまともな(元)役人を見た気分だ)

彼の勇気に力をもらい
同日夜、これをアップいたします。

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朝焼け

20170522 014

ラジオで、久米宏さんと武田徹さんの
話していたことのメモ ――

コミュニケーションは、「誤解」から始まる。

人と人の関係は、そもそも「わからない」を土台に
しているのに、日本人は「わかりあえる」を出発点としている。

共同体幻想が日本人には強く備わっている。

日本人は会話をしているときも、語尾を上げて
質問調にしたりなど、常に「相手がどう思っているか?」
を気にしている。

日本人、特に今の若い人たちは
「相手と価値感が違う」ことにショックを受ける。

某女子学生、とても仲良しの母子関係にあったが
あることについて母親と話し合ったとき、あまりに
互いの考え方が違うことにショックを受けて
「これが親子というものか」と初めて気づいた。
(これまでは深い話をしないから、仲良し親子であった)

ふーうっ。

価値観の似ている人と仲良くするのは簡単だけど
価値観が違っている人とどう付き合うかが
人生の醍醐味なのだろう。

人間やるのって、むずかしい。

20170522 019


(写真は上下ともに、最近の朝4時半頃。
話の内容とタイトルが全然一致しないけど
まあ、いいか)

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再稼動とテロ

今週、福井県の高浜原発4号機が再稼働した
ニュースを聞いて、反射的に思ったこと。

          *

日本政府の「北朝鮮、利用」は
あまりに幼稚な手法だと思うが

(北朝鮮の動きにいちいち反応するのは
テロに屈していることに他ならない、と
誰かが言っていたが、その通りかも)

ミサイル発射で列車を止めるなら

今後、原発はどういう扱いになるのだろう?

(日本海だけど、落ちるのは排他的経済水域の外の
予定だから、原発には支障ありませんよ、と云うの?

でも、じゃあ、なんで列車を止めるの? という話には
ならないのかな)

あとさ、現実的に危機管理が急がれるのは
サイバーテロのようにも想像されるのだけど

(原発の運転プログラムに、優秀なテロリストが侵入すれば
ほんとうに予測不能のことが起こるのかしら?)

(「テロ等」の名前を無理やりくっつけて
共謀罪なんて作っているのは、ほんとーに、意味ない。

まあ、最初から、「テロ防止」のための法律だとは
たいがいの人は思ってないだろうけど)

サイバーであれ、リアルであれ
テロ撲滅なんてのは、いたちごっこのような
面があるので・・・

安心への一歩は、廃炉をすすめることなんだろう。

(しかし、現実は、廃炉どころか、再稼動が容認され
今後はあの法律により、「原発NO」と語り合うだけで
しょっ引かれる可能性がでてきた)

などなどなど。


*むやみに社会不安をあおるようなことを
書くのはよろしくないと思うけど、理屈でいえば
こーなるでしょ、(我のケース)、という
頭のなかのお喋りを書いてみた。

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甘酒と、リリーエキス

5月20日(土)

昨夜は、あまりの暑さに寝ておられなくなり
ばーーーっと裸になって

まだ衣替えしていない衣装ケースから
木綿のランニング・・・昔、台湾の
路上商人から買った。女性用のあしらいが
されており、人には見せられないが
わたしのお気に入り。下着なんだろうが
夏は家着にもしている・・・

を取り出して、着て
(さらさらの着心地~)、再寝。

ああー、夏がやってくるのぉ。



甘酒を、ペットボトルに入れて
(1.5 リットル容器。八分目ほど)
もってきたのだが

たった二、三回で、大半を飲みつくしてしまった。

(甘酒は豆乳割りが好きなのだけど、豆乳パックの
開封をする前に、小腹満たしにごっくんごっくん
飲んでしまった)

残りあと数センチ。

甘酒って、ずっと放置しておいたら
どうなるんだろう?

(かつて、市販のトマトジュースを開封し
ずーーーーっと放置していたら、冷蔵庫内で
おいしくなっていた)

ちょっと好奇心。



録画してあった、リリー・フランキーさん
ゲストの『Aスタジオ』を観る。

久しぶりにリリーエキスを注入。

精神的なセックスというか
彼の逸話を聞くだけで
なんか、満たされるものがある。

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1.日記(整理と浄化)

ふーっ、月曜の夜に
こちらに戻って以来

散歩や買い物、家事、ラジオ聞いて
ぼーのあいまに、久しぶりに

ブログをゆっくり書いた実感あり。

(&多々投稿。そして今はまだまだ
あれもこれも書きたいけど時間切れだな
と思っている。・・・と、現在5月24日なのだが
日記の時制の自分を憑依したつもりで書いている)

今更説明するまでもないが

わたしにとってweb日記は「頭の整理」の
要素が非常に大きいのだと思う。

最近では、なにかあったとき・感じたとき

その場で思いを深めたり、思考を進めたり
というよりは

一旦、ぼんやりフリーズ状態になって

のちに日記を書きながら、感情や思考を
整理する・・・ことが多いような。

(一日を復唱するように日記を書くクセがつくと
「書いたことは、書いたなり」に、「書かないことは
書かないという選択をする思考」のなかで
一種の浄化作用があるのだと思う)

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2.内面と表現

まあ、先日も書いたけれど
わたしにとって文章化は「内面の人格」のお喋りであり

(口頭での発言は「対人を意識した人格」が大きくなって
なかなか「内面の人格」を素直に表現しにくい?)

(web日記といっても、超プライベートな、自分以外に
読んでいる人がいるかどうかもわからない日記だから
「内面の人格」が出しやすいのではないの? 

という見方もできようが、それを勘定に入れても
わたしの性質は「口頭」よりも「文字化」のほうが
ラクなのだと思う)

まあ、なんでもかんでも「書いて考える」クセが
付いてしまって、超赤面な話(エゴとかコンプレックス)も
たびたび露出してしまうのだけど

なんちゅうか、書いているときは
「日記のなかが、自分の世界」になっているので
それも、致し方ないか・・・とは思う。

世界は、内面にあり

世界は、対人にあり

世界は、日記(表現)のなかにもある

のだから。

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