ともみ@ピクニック

まさかの撃沈

5月26日(金)

このダルさはどこから来るのだろう?

って、考えても仕方ないのだけどね。

最近は30度を越える日があると思えば
翌日は20度くらいだったり(最高気温)

薄着をしたり、暖房つけたり、と
カラダも忙しいのだろう。

(加えて、何度も凹み凹み凹みしても
七転び八起きよろしく、「気にしない」という努力
エキスを注入しているのだけど・・・、先の日曜も

また(日曜なのに! 日曜だから?)
「今日は仕事休みで畠を手伝いに来たの」なんて
いつも母のお世話になっている人に言われ
うむうむうむ。

…スピ的に言うと「わたしが気にするから
気にする事態がやって来る」のですな…

と、そっち方面でも、うっすら精神疲労
しているのかも)



今週は、心身が低空飛行なのだけど
なんとか不調を受け流して、ここまで来た。
(ムリをせず、でもちょっとだけ頑張る式で)。

今日もそういう感じでいくのだろなーと
思っていたら、ラジコが聞けなくなる
という、I T トラブルで、まさかの撃沈。

気持ちが不安定で
息をするのも辛いという・・・。

(うう、ラジコは我の親友なんだな)



夕飯は、母ちゃんが、カマスの干物を焼いて
豚野菜炒めを作ってくれた。
(あと、水菜のおひたしなどの副菜も)

かたじけない。

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傍観day

5月25日(木)

うーん、このところ
夕飯を6時半すぎ開始という
健康的なタイムスケジュール
なのはいいが

なぜか夜食が前倒しではなく
逆に、後ろにずれこんでいて
(日付変わる頃にお腹空く)

ここ数日、就寝時間も
ずれこんでいて

「今夜こそ、早めに夜食をとって
早く寝よう」と、目覚めの床で思う

パターンが続いている。
(そして今日も)

なんだかねー、だるい。


だるいから、気晴らしかねて
少し庭の草むしりをしてみるも
(ハマヒルガオがぽつぽつ開花し始めた)

日光バワーでは歯が立たず。

甘いもの、冷たいもの、冷たくて甘いもの
いろいろ口に入れてみるが
気すらまぎれない。

まあ、こんな日もありましょう
と、傍観しとこ。

夜は、あさり蕎麦と、玉葱マリネ。

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ひきこもり支援と悪徳ビジネス

勝ちゃんこと、ひきこもり名人さんの
憂慮を紹介しようと思っていたら
半月も過ぎてしまった。

そして、今週月曜には
TV『クローズアップ現代+』で
「トラブル続出“ 自立支援 ” ビジネス」 』
と称し

ひきこもり者とその家族をねらった
自立支援ビジネスの横行
監禁・暴力、高額請求(=ぼったくり)の
実態を紹介していて

ホラーかと思った。

  *   *   *   *   *   *   *

『鳴かず飛ばず働かず』ブログには
とある田舎のひきこもり対策への憂慮が綴られている。
http://ponchi-blog.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-8b38.html

勝っちゃんは云う
「プライバシーがないというのは、自由がないということ」

ううっ。

  *   *   *   *   *   *   *

「ひきこもり」に対する捉え方は、人によって様々だし
同じ人でもちょっとしたことで違ってくるものだけど

頑固に、「ひきこもりは悪」という見方を
崩さない人っているわよね。

「悪」だから、それをなんとかしなくちゃ
という正義感にとらわれる人。

それから、そこにつけこんで
ひきこもり支援の名のもと
悪徳ビジネスをしちゃう人。

  *   *   *   *   *   *   *

何年か前、わたしはこのブログで
藤里町のことを、(内閣府よりも
実体に即したひきこもり調査をしていると)
好意的に評価したこともあった。

(でも今回、勝っちゃんのブログを読んで
おのれの思慮浅さを知った)

また、「ひきこもり=悪」という
がんじがらめの思考に取り込まれていた頃は

わたし自身も、なんとか
(障がい者支援のようなものを利用して)
社会に出たいとまで考えた。

でも、やっぱり、今思うと
なにか、違うんだな。

  *   *   *   *   *   *   *

不本意な支援を受けてまで
社会に出なければならないとは
とうてい思えない。

「社会に出る=ゴール」と考えているうちは
本当の意味での出口はないのだと思う。

  *   *   *   *   *   *   *

ひきこもりであろうと、ひきこもりを脱しようと
どっちだっていいんだ。

肝心なのは、「どう生きれば、(本人の)
息がしやすいか」、それに尽きると思う。

  *   *   *   *   *   *   *

正義感という自己陶酔のもとに
他人のプライバシーをめちゃめちゃにして
活動することを、福祉とは思えない。

また、この日本には、自立支援と称して
異常な低賃金で弱者を労働させる組織も
山ほどある。

タチが悪いのは、そういう組織に
国がお金をばら撒くものだから(補助金)

「福祉」という仮面を被った組織が
タケノコのように出てきた、という点だ。

(組織は、障害者を集めるだけで
お金をもらえる。・・・要はそういうこと)

わたしはそういう組織で「支援者」側として
働きそうになったことがあったし、また
障害者側として自立支援を受けそうにもなった。
どちらも未遂に終ったけど。

  *   *   *   *   *   *   *

ううっ。話が、田舎のひきこもり支援と
ひきこもりを利用した悪徳ビジネスと
障害者自立支援法と、混ぜこぜになって
しまった。

(パキッ、軌道修正)

わたしはね、思うのです。

ひきこもり自体は「悪」ではなくて
ひきこもりの奥にひそむ、本人を苦しめている
ナニモノカが問題なのだと。

だから「ひきこもり」という態度というか
身体表現だけをなんとかしようとしても

ひずみが生まれやすいのじゃないかな~。


つづく

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ひきこもり、今日も生きててエライ!

ひとつ上の続きじゃ。


『クローズアップ現代+』のスタジオで
池上正樹さんがおっしゃっていた。

(アナウンサー:
どうすれば、ひきこもりに悩む方々が
安心して相談できる社会になるのでしょうか?)

ひきこもっていたとしても、生きているだけでいいんだ
という空気を、周囲とか地域でもてるかどうか
っていうのがカギを握っていて

そこで安心感につながったり
生きる意欲が本人にわいてくる。

(生きているだけでいいんだ、というのは
なかなか家族にとっては思いづらいところも
あるかと思うのですが、それが大事?)

そうですね。なかなか就労にすぐに結びつかなかった
としても、関係性、多様な関係性をどうつなげていくか
ということが、社会に出て行くための、色んなチャンスが
可能性が生まれてくるということですよね。

関係性をつくるということが大事だと思います。

(以下、略)


  *   *   *   *   *   *   *

ひきこもりを利用したビジネスって
世間で知られている以上に盛んらしい。

「我々にお子さんを預ければ、ひきこもりから
自立した大人に変身させてあげますよ」という謳い文句で。

(TVのインタビューに答えた人は
「ドル箱です」と言っていたっけ・・・)

ひきこもりの子をもつ親が、現状&将来に困って
ワラをもつかむ気持ちで、何百万という大金を払う。

「人生をお金で買えるなら」という親心であろう。

また当事者である子は、突破口がどこにも見えず
ひきこもるという心の自傷&自衛しか手段のなかったなか

やっとあらわれた救世主として
(ひきこもりビジネスの団体に)夢を見るケースもあるのだろう。

頼る側の気持ちは、わたしにだって想像がつく。

ただ、「お金で人生を買う」選択をする前に

ほかにやれることはないだろうか? という

思いはのこる。

  *   *   *   *   *   *   *

 世の中には、「ひきこもり=悪」という
ぐるぐる回路におちいって苦しんでいる
人もいると思う。

まずは、「今日も生きている自分よ、えらい!
よしよし」と褒めてみるのはいかがだろうか?

  *   *   *   *   *   *   *

総じて、表面的な話になってしまった。

まあ、ひきこもり話は、またいずれ書くだろう。

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長々日記

5月24日(水)

小雨ふったり、止んだりの日。

晴天の日は「ひきこもり」をしていることに
うっかり、罪悪方向の感情を抱いてしまう
ことがあるけれど

これくらいの天気なら、そんな
うっかりもなく、安心ひきこもり
Rainy day。

(雨や雪が何日も続くのは辛いが
毎日晴天も精神的に困るわよね)



苺の収穫率は十年前に比べて
すこぶる低いものの、それでも
今の時期は食べきれないほどあるので

(お店に並ぶ苺は、まだ赤くなる前に収穫すると
聞いたことがある。うちはそこそこ赤くなってから
収穫し、食べるまでに半日とか一日とか
常温で置きっぱなしのこともあるので
さらに熟成進み、すごく甘い)

洗って、ヘタをとって、お砂糖まぶして
(お砂糖は、粒同士がくっつくのを防ぐ)
せっせと冷凍する。



ぼんやり縁側から盆栽を見ていたら

ある盆栽のある箇所に、なにやら
小さな蜂がずっと離れずに活動しており

家のなかから追い払おうとしたが
一向にこちらの気配に気づいてくれず

わざわざ外に出て、追い払うことに。
(見ると、極小の巣ができていた)

我には蝶と蛾の区別が分からないものの
蝶であれ、蛾であれ、庭で見かけると
(きれいな羽のには、見とれそうになることもあるが)
けっこう、ひぇ~、と思う。

卵をね、庭木や盆栽に植えつけられて
孵化するのを恐れているのだ。

年間、何十匹の虫を殺生していることやら!

なので、今まで蝶とか蛾が植物にとまっているのを
見かけたら、いちいち追い払っていたのだけど

蜂は盲点だったな。

(蜂はOK扱いだった。ふーん、おるねー
と思う程度で)

油断ならん。

今度から、蜂にも気をつけよう。



夕方、盆栽パトロールなど。

(ふだん盆栽は水やりが精一杯で
十分なお世話ができていない。

枯れた枝葉を除いたり、草をとったり
・・・最低限と思われるパトロール)

ヒバの盆栽に米粒の十分の一くらいの
花が咲いていた。

そういえば、盆栽じゃないけれど
庭のアスパラも、今や2メートル半ほどになり
小さな花ざかり。

20170522 042



今宵のメインディッシュは、豚の生姜焼き。

(下味漬けを母ちゃんに頼んでおいたら
気を利かせて?、セロリのみじん切りが
混ぜ込まれており、ま、いいかと、ついでに
スティックブロッコリーと玉葱の葉も一緒に炒める)

アルブミン、ゲット。



だらだら長い日記で
日記の神様、ごめんなさい。

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一.「ふつう」が変われば障害はなくなる

最近観たテレビのメモです。

『NHKスペシャル「発達障害
~解明される未知の世界~』

●小中学生の15人に1人、発達障害の可能性あり
(文部科学省調べ)

発達障害かどうかの
大人の受診希望者も増えている

●発達障害の人は、情報処理の方法が特異。
聴覚や視覚が超過敏な人もいて、他の人々には
理解されにくい。

●大きく三つの特徴に分けられる
(複数をあわせもつ人もいる)

=ASD(自閉スペクトラム症)
コミュニケーションが苦手、こだわりが強い

=ADHD(注意欠如、多動症)
不注意、落ち着きがない

=LD(学習障害)
読み書きが苦手、計算が苦手

●感覚過敏の症状をもっている人には
そうでない人が当たり前に受け入れている世界が
すこぶる苦痛。(例えば、聴覚過敏の人にとって
スーパーマーケットの音は、そうでない人のパチンコ屋よりも
うるさく感じる。周囲の色んな音を繊細に聞き取ってしまうので
会話がむずかしいことも)

●日常生活は情報が多すぎて、脳が混乱状態。

日常を生きるだけで
エネルギーを多用する。疲れる。

「ふつう」を演じようとすると
(人の顔を見て会話するなど)
過剰な疲労におそわれる。

●脳の機能により、集中力がないのに
周囲からは「やる気のない子」とか
「だらしない子」と誤解されがち。

●文字の識別がむずかしく
「読み書き」障害のある人も。

●「世間の当たり前」と、「自分のできること」
の隔たりが大きく、それは周囲から理解されがたい。

●個性と発達障害、発達障害と性格。

多かれ少なかれ、誰にでも
発達障害的な要素はあり、程度の問題ともいえるし

周囲と自分にとって、どれくらい生活に支障があるか
ということになる。

●多数派は自分たちの価値観を
どうしても優位に見てしまう。

だから自分たちができることを
できない人がいると差別してしまいがち。

●発達障害の「障害」は
本人と、環境との関係が大きい。

●日常生活のストレスが大きく
精神疾患などの二次障害になる
発達障害者は多い。

英国では、「自閉スペクトラム症の
最大70%がウツになる」という調べあり。

●周囲が発達障害を受け入れて
くれるなら、障害は障害でなくなる。

(多数派の「ふつう」が変われば
障害は障害でなくなる)


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二.発達障害者という存在

(上記のつづき。番組メモではなく
ここからはわたしの感想)


発達障害という言葉に接するようになったのは
ほんの十数年前と記憶している。

以来、年々増加して見聞きするようになった。

ただね、わたしは

「発達障害者が増えている」わけでは
ぜんぜんなくて、それが特別視(可視化)される
ようになっただけなのでは? 

と思っている。

昔なら、「ちょっと変わったところあるね」で
おわっていたのが、今では発達障害という
障害者認定をされるというわけだ。

(本人も、親も、認定をされてホッとすることも
あるだろうし、それをきっかけに今後の生き方を
工夫して、よりよいほうに行くケースもあろう)



よく言われることだが、昔は、コミュニケーションの
ヘタな人も、その人なりの特性を活かせる職場があった。

人の顔色を伺うことはできなくても
コツコツと腕を磨き、立派な職人さんになるとか。

でもね、今の世では求められるものが
画一化され、ある型に入らないとなかなか
社会ではやっていき辛い。(という側面がある)

まわりのペースにあわせるとか、空気を読むとか
へんに目立たないとか、輪を乱さないとか、協調とか
発達障害の人たちの不得意分野こそを

皮肉にも、至上主義とするような
社会の暗黙のルールのようなものが

じわじわ閉塞感とともに、加速・拡散されて
きたような印象はある。

(昔は「お互いさま」という感覚が
もっと社会に浸透していたように思う。
今は「自己責任」音頭で・・・)

「異端が排除されやすい」というのは
昔からあったと思うのだけど、それでも
排除の網が現在よりは粗かったのでは
ないかなー、というのはノスタルジーか?

発達障害者にとって(そうでない人以上に)
生き難い世の中なのだろうなーと思う。



もともと障害者なんていなくって、社会が
日々「障害」を生み出しているだけなのだ
という視点は、忘れないほうがいい。(自戒)



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三.発達障害は先駆的?(仮説)

わたしは「なんでもかんでも発達障害にするな。
それをいうなら人類全員、障害者じゃ!」的な思考を
普段からしがちなのだけど

このTVを見て、「それでも、程度の具合により
わたしの体験したことのない不便や苦しさを伴い
生活している人たちがいるのだなぁ」と反省。

思いやりが足りんのでしょうな。

まあ、しかし、ひとことでいうと
脳の機能の働き方が少数派、というだけのこと
ともいえ

そこに差別が生まれるのは愚かしい。

(もしかしたら、発達障害的な脳こそが
この先の人類のメジャーになるかもしれないぞ!)

(しつこいが

十五人に一人が発達障害なら
その他の精神疾患、肉体的障害、肉体的病気
をあわせたら、ほんま、健常者なんているんか!
という思いは変わらない)


内田樹先生のご本のなかに

少数弱者を排除する集団は廃れる
少数弱者をケアできる集団だけが生き残れる

という趣旨の話があって、それを思い出した。


仮に、可視化による増加だけではなく
発達障害者が実際に増えているのだとしたら
これは人類への何らかのメッセージでは?


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初夏おでん

5月23日(火) その一

夜更かしのせいか
だるーい、だるーい、だるーい。

気づいたら、甘酒豆乳と
揚げぱんきなこ、だけという

超手抜き昼食を食べていた。

(一人のときなら毎度のことだが
いちを実家にいるときは、それなりに
昼ご飯も用意しているので

こんな手抜きをした自分にも驚きだが
それを半分無自覚で食べ始めている
自分に気づき、びっくり・・・)



頂きものの大根がたまっており

・・・次から次へと野菜を貰ってくる母。
苦情をいうと、(古いのは)捨てればいい
という母。まあ、あんたは貰いものを放置して
干からびさせるかどろどろに腐らせるだけで
それを捨てるのは、ワタクチなんだけど! と
毎日のように喧嘩している・・・

ありあわせの食材と一緒に
「おでん」にする。

冬の時期は、数種の練り物を冷凍庫に
ストックしておくのだけど、今はさみしい
練り物事情。

ああ、そうだ! と、法事のお裾分けで
いただいたカマボコを入れる。

(50回忌ともなると、お祝いなので
カマボコをつける家もあるのか~
へ~、と思いながら)

板コンを切らしていたのは痛恨だが
ありあわせ食材で、それなりに美味しい
おでんができました。

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人間たるゆえん

5月23日(火) その二

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(写真は最近目についた庭の隅々)


まあ、老母と喧嘩しながら

・・・正確には、ほとんど、わたしが一方的に
がみがみ怒っているだけ。彼女は「はいはい」と
受け流す術をもっているので・・・

今日も「動体視力検査」と称して
「どっちのアイス食べる?」ごっこして
一緒に遊び食べるなど

幸せといえば、幸せな日常なんだろうなー。

(人間が人間たるゆえんは
食べ物を分かち合う行為にある
と仰ったのは、ゴリラ博士← 京大学長 だっけ。

忘れがちになっているけれど、日々のご飯や
おやつを一緒に食べる人がいる、ってのは
とてもありがたいことなのだろう)



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五輪真弓を口ずさみ

5月22日(月)

きのうの疲れだろう、背中、いたい。

今日は養生日といたしましょう。

真夏日だったきのうに比べ
今日も30度近くはあるものの
涼しささえ感じる。

半日窓を開けて縁側にいたら寒くなり
夕方、日向ぼっこかねて、少し草むしり。

さぼっていたトイレ掃除して

明るいうちにお風呂。

冷蔵庫には隙間ないほど色々つまっているので
今夜は残りもの祭り。



風呂あがりの母、直行先の寝室から
なかなか出てこず、心配していたら

突如、「わかればなしが~
じょぅだんだよ~と~わらってほしい~」

ふしのあるようないような
なぞの言葉が聴こえてくる。

ん? 五輪真弓?

(ほんと、あの人の頭のなかでは
なにが再生されるか予測つかないので
いつもびっくりする)

直後、寝室から出てきた彼女に
歌のことを指摘すると
「最近流行っているじゃない?」だと。

(あれは、歌番組の録画を
再生しているだけで、今流行っているんじゃ
ありませんよっ!

しかも、最初にあの歌番組を見たとき
「こんな歌知らない」と言っていたクセに)

老母との暮らしはミラクルだ。


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カシの木(17年)

20170522 035 剪定前 
20170527 007 剪定後

20170522 046 剪定前
20170527 004 剪定後


カシの木は、いつも夏を終ってから切っていたのが
昨年は八月中に切ったら、この五月には早くも
もじゃもじゃさんになり、すっきりしたく散髪。

すっきり! はいいけれど、また夏の終わりには
もじゃもじゃさんになりそうだな。

今年の特記・・・

枝葉の伸び方を見て、根っこの力と、葉っぱの量
バランスが悪いのではないか? と推測されて
例年よりも「切らない」ようにした。あと将来的に
「洗濯物を干す時の即戦力」にもなる枝を育てたく
不規則なところから生えた新芽を一本だけ
残しておいたけれど、どうなるか?

ノコギリの出番が一箇所だけだったのは
ラクだった。ちょっとずつちょっとずつ
背丈を低くする作戦なのだ。

地下足袋をはいて作業したら、すごく
動きやすかった。(長靴だと重いし
サンダルだと空中で落とすことしばしば)

日々精進、それらの結果は年々の
剪定にも出るかもしれないなー。

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30度超え日曜

5月21日(日)の二

朝の勤労は二時間ほど。

シャワー浴びて、発泡酒飲みながら
「ご飯に、イクラ・鮭の麹漬けをのせ
海苔を巻いて食べる」至福の朝食。

昼寝、のち、素麺食べて
カシの木の剪定で、地下足袋デビュー。

夕方、ちょこっと畠。

その後、遅い時間になってしまったが
「泡の出る飲み物」在庫切れだったので
買出しに。

帰りは20時前になったものの
うっすらと日没の余韻のこる空。

夕飯は、スーパーの握り寿司など。

はふはふ、おつかれ様でした。



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役割「未分担」人生

あと、ひとつだけ。


普段から、なんでもかんでも自分でやってきて
それを当たり前にしていたけれど

大勢の家族がいるヒトは、力仕事する役
家事する役、買い物行く役、などなど

自然に分担をしているのかぁ~、と

今更ながら気づいたのであった。


わたし、18歳で一人暮らしして以来
そんな分担生活を体験していない・・・。

はふっ。

もしかして、「未分担」人生って、疲れる?

実は、前から、「なんでもかんでも
自分でやろうとするのは限界だ」とは
身にしみて感じていたのだ。


「できることは自分でする。人に頼らない」
そういう人生を否定するつもりはないが

(っていうか、否定しちゃったら
自分で自分の人生に落第点をつけることになる)

できるなら、人は役割を分担しあったほうが
生き易いのだろうなー、と

半世紀近く生きて来て
やっと気づくようになった、わたし。

(気づいても、すぐに実行できるわけではない。
長年の習慣というものがありまして・・・)


そして

人は人に頼ったほうが
まるい人間になりやすいのかも。


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勤労で思ったこと

「田舎時間」とか「田舎の掟」とか悪態つきながら
田舎のじゅうぶんな戦力になりえていない我よ。

オモテだっては人々のなかに紛れ込もうとしても
ココロのなかではおタカくとまっているのって

(おタカくとまっている、は言い過ぎか。
色々と違和を感じながら存在する、と言いなおそう)

じんわりと周りに伝わるものだろうなぁぁぁ。

その気になればこの故郷でも生きていけると
思っていたけれど、今のままの自分では
周囲から嫌われるタイプかもしれんなぁぁぁ。

( ↑ 普段は生じない視点。
「新型ネガティブ」の芽ばえか・・・)

と、あとで思った。

               *

母ちゃんは、「オトコの人たちが重労働はやってくれるから
(年寄りの自分は参加するだけで)いいの」というようなことを
事前に言っていたけれど

実際に、母の様子を見ていたら、ちょろちょろと顔を出し
おしゃべりし、・・・・・・の按配。

それでいいのだろうなっ。

わたしのように、「腕力の足りない、女手だけの参加で
地域の人々に申し訳ない」なんて、本当は思う必要ない
のだろうなっ。

「少しでも、お役に立たねば」と、ムリをして
側溝の重いフタを持ち上げる、わたしの意地なんて

気持ちの狭い人間のやることだ。

(わたしのような「人に迷惑をかけて申し訳ない」という
考えに走りやすい人間は、他方、ヒトに厳しく
ついつい、他者に対して不寛容なココロの動きを
してしまうのだろう)

器がちっちゃいから、まわりが気になる。

そんなことも感じた、村の勤労であった。

               *

あと、女の役割、男の役割、なーんていう

暗黙の了解も、やっぱり村にはまだまだあるようで

(ついでをいえば、青年団とか婦人会とかも、健在)

そういうのを自然に受け入れている周囲の状況に

わたしはまだ馴染めないのだな、とも思った。

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