ともみ@ピクニック

だるさ、まっくす

8月29日(月)

上手く眠れない、というのは
基本的に起きているあいだの有り方に
問題があるのだろうとは思う。

(ざっくりいうと、マインドフルネスから
たいへん遠ざかっているのだ)

昨夜あまりにしんどくて30分ほど仮眠をとった
というものあるけれど、それでも疲労感はたっぷり
残っていたので

たらふく寝てやるぞ~!と、お布団に入ったのにな。

27時に一粒。

いっこうに眠れる気がしなかったので、29時に一粒。

朝焼けのなかに黒い雲の浮かぶ、不気味で
うつくしい空を見て眠りについた。

そしていつものように昼に起床するも
一日中だるさ、まっくす。

更年期障害の始まりだろうか?

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えごまの葉

8月28日(日)

なかなか身体のエンジンがかからない。

栄養ドリンクを飲んで、14時半まわって
やっと畠へごお。

夏の繁りの半分くらい、後始末。

帰宅すると

なんでこんなに?と、驚くほどの疲労感。
(さほど暑くないし、畠は3時間、その後の
デイリーな庭のことなど30分、動いた程度なのに)

さっとシャワーを浴びて

めちゃこイライラしながら、夕飯の支度。

すでにメニューは決まっているのだ。

8月最後の日曜日、鉄板焼でしょ!と。

(昨夜、ニンニクの皮を大量にむいておいた自分よ、偉い。
どうせなら、昼間、ほかの下準備をしておけ、なのだけど
ひたすら「早く畠に行かなくちゃ」と焦っていたのだよな)

まあ、お肉をたっぷり食べて、イラ子はほぼ収まったのだが
疲れが半端ない。

いつもはプレートをすぐに洗うようにしているのに
あまりに疲れ果てて、真夜中の片付けになってしまった。

ところで、今年初めて種をまいた、えごま。

今日お肉と一緒に食べて思ったのだが、えごまの葉って

トルコのお酒(ラク)のような・・・
アニス酒とも通じるような・・・ 味である。

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日々、葛藤

(ひとつ下の続き)

親の老化にイライラすると
よく頭に浮かぶことがある。

これがもし、「日々成長する我が子」なら
わたしの精神状態は変わってくるのだろうか?

今日出来なかったことが、明日には出来るようになる。

今日のそそうが、来週にはウソのようになる。

こんな期待があるならば、もっと寛容な気持ちで
いられるのだろうか。

しかし、成長の有無に関わらず、親は子を愛す。

たとえば、脳の障害があり、(一般的な意味での)成長が
望めなくとも、偽りなく、わが子を愛する人々が大勢いる。

そんなことをつらつら考えていると
(老親と密接に関わっているのだから
イライラするのは仕方ない、と言い訳しながらも)
おのれの人間的なデキの悪さに、ボーゼンとなる。

親の老いゆえの現象に、わたしは未熟な態度を
(イライラして、イジワルな口調で話をするとか)
とってしまうことがしょっちゅうあるのだ。

日々、葛藤。

しかし、まあ、親の命も有限ということを忘れた
のんきな日常であることよのぉ。

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伴走

スーパーの、レジを終えてからの台のところで
五十歳くらいの男性と、その父親とおぼしき二人組が
わたしの前で、買ったものをダンボールに詰めていた。

(都会の人にはなじみ薄い光景だろうが、車社会の田舎では
けっこうみなさんダンボールに買ったものを詰めるのですな)

「なんで冷たいものと、熱っいものを、一緒にするんや!」
若いほうが年寄りにがみがみ言う。
(おそらく肉か魚の隣に、熱々の惣菜でも置いたのだろう)

「なんでいちいち、触るんや!」
(おそらく息子の詰めた品を、その都度、爺さんが動かすのだろう)

はたから見たら、おい、息子よ、もうちょっと
老父を労わってはいかが? の気持ちがわかぬではないが

なんとなく息子のイライラも分かるのだ。

これは当事者にしか理解のできぬ、親子あるある。

たまに対面する親の老化ではなく、年がら年中
付き合っている親の老い。

老いをまるごと引き受けてあげることはできないけれど
そばにいて、僅かながらの伴走をしているというか。

そういう日常の積もり。

親自身も戸惑っているのだろうし
それと密に付き合わねばならん、子供も初めての体験の連続で
相当イライラが募っているのだろう。

スーパーでたまたま我が遭遇したのは、彼らの日常の
ほんの一部に過ぎず、(たまにしか会わぬ間柄なら
息子も父親に、もっとやさしくできる可能性大だな)

おそらく、彼ら親子には、もっともっと幅広い場景での
「本人の老い」と「それに対する息子の葛藤」があるのだろうな。

ああ、いずこも、似たようなものか、と思う、我であった。


ゆうべも、母ちゃんの座椅子のカバーに謎の汚れがあって
まあズボンのお尻のところも汚れていたので、ああ、ウンコちゃんか
と、淡々と思い、淡々と洗濯した。

こういうのが老親に伴走するということなのだろう。

もはや葛藤以下の日常と捉えることも出来そうだけど
あまりにこなれたフリをすると、わたしの場合は
自覚を超える小さな怒りが積もりそう。
(なにせ度量の狭い人間なので)

もう一度いうけれど、子供だってね、親の老化に初めて
対面するんだ。


以上、半分は自分への言い訳、半分は自分への慰めでした。


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百円逡巡

8月27日(土)

今日は、買出Day。

まずは田んぼの向こうのホームセンター。
(青い稲穂が少し、大半は収穫近しの田であった)

冬野菜の種と苗を購入。

一度家に帰って荷物を降ろし、次は食糧品を求む。

さんま一尾198円。(先週末と同じ値段だ)

例年よりも百円高いだけなのに、この百円の
ハードルが高い。

「長い人生、百円なんて、つい使っちゃう額でしょ。
短い人生、いつ何があるか分からんのだから、百円ケチらんと
食べたいものを食べたほうがよろしいでしょ」という
まともな判断をする自分もいるのに・・・

目先の百円差におじけづく。

結局、「さんまは今度にしましょ」と言い聞かせ
スーパーで鮮魚は買わず、その後に寄った
ドラッグストアで(実はこちらのほうが地魚の扱いがよい
日のあることを、最近になり気づいた)サバを購入。

サバも一尾198円だけど、大きいから二人で分けて食べられるのだ。

(実際に、二日にわたり、二人で食べました。塩焼きと、〆サバで)

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届け

こういうことを、ネットの向こうの誰かさんに届け!
と思いつつシェアするのは
過去の自分に対する応援的な意味も
無意識にあるのだと思う・・・・・・。

ほんとのほんとのことをいえば、わたしは
「幼き頃の自分に」というよりは、苦しかった
二十代や三十代の頃の自分に教えたいのだと思う。

そして余力的に、十代の自分にも、こういうヒントがあれば
もっと違った人生になっただろうなぁ、という思いはある。

。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。






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だるーい

8月26日(金)

目が覚めたのが、14時44分。

(雨が降ってきて、窓を閉めるために
一度起きたのは覚えているのだが、その後
目覚ましを止めたのか…、目覚ましかけ忘れたのか…)

だるーい。

だるーい。

録画のテレビを観たり、午睡をとったりし
(けっこうな雨風で、精神的にひきこもりやすい)

夕飯は、チャーハンと味噌汁、蒸し野菜や生野菜など。
(先月と今月、ほとんどお米を食べなかったのだが
最近は少量ながらも冷凍ご飯を消費している)

明日からは、元気UPの予定(予感)。

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そうしましょっ。

8月25日(木)

夏の疲れが出ているのだろうか?

お盆を過ぎて、少し涼しくなったとホっとしたところに
また35度近く(夜は30度近く)の日がやってきて
肉体的に負担となっているのは確かだろう。

(数年前に買いなおしたエアコン、夏も冬も
まったく効かない。安いものを買ってしまったせいかと
密かに申し訳なく思っている。今夏も
老母にエアコンなし生活を送らせてしまった)

しかし、これはバイオリズム的なものもあるのかな
気持ちの上でも、くすんでいるのだ、なんとなく。

総じて、これは夏の疲れということに、しておきましょ。

そうしましょっ。

今日は、チャドクガを20匹くらい捕まえ(そして殺生)
数日前にこごみの茶色くなった葉っぱを切ったら
日当たりよくなったからか、新アスパラが、にょきっと
顔を出ているのを発見。など、庭でぶらぶら。

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小さな「くすみ」

(おまけ)

小さな「気持ちのくすみ」がやってくるのは
必ずしも、わるいことではないと思う。

小さな段階で、やや自覚して、ややメンテナンスして
あとは自然治癒におまかせするというサイクルは
むしろ大事なことなのかも。

たいがい生きるって、そういうことよね。

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ピーマンぎっしり卵焼き

8月24日(水)

きのうは早く就寝したので
いくぶんか正気もどる。

でも頑張るモードでなく
ゆるゆるの、安静モード。

夕飯も、簡単なもので済ます。

茄子煮浸し、トマト切っただけ、枝豆、黒豆煮
おじや(カレーの具を多めに煮ておいたのを味噌味で)
胡瓜とトマトとメカブの酢の物
卵焼き(ピーマンをぎっしり。あと、獅子唐と、ちりめん山椒)
冬から冷凍してあった干物(鯛、あじ)

デザートは頂戴ものの梨。

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「とりあえずすりすり」

数日前のブログに、家人を呪うような言葉を
書いたけれど

(誰かに呪いを向けたときは
イコール自分への呪いになるので
つまりは自分に可哀相なことをしているわけだ)

わたしが常に呪いを発しているのか?といえば
当然、そんなことはなくて

瞬間の呪いのような時間があったとしても
その前後(時間的にいうと、大部分の時間は)
家人を祝福しているのである。

「元気でいてね」とか「長生きしてね」とか
日々、そんな気持ちが根底にあるつもり。


家族とか、パートナーの関係って
ざっくりいえば「膿出し」したくなることをいっぱい
経験しながらも、すりすりし合うことなのだろう。

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ぽこぽこと、ぽたぽた

8月23日(火) その一

どうしたのかな、最近で一番の
カラダのしんどさ・・・。

(たぶん、就寝時間が遅かったせいだろう)

いつも寝起きはしんどくても
活動しているうちに、それなりに
しんどさが抜けていくので

今日は「廊下の床の隙間を、綿棒で掃除する」という
ホコリをぽこぽこ出して、汗もぽたぽた落として
作業していたのだけど

一向にラクにならず、一日中、しんどさ
マックスという感じであった。

夜は、いつになく、早く就寝。

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ニュース

8月23日(火) その二

今日は、驚く知らせがあった。

昔の拙著を翻訳したいとの依頼があるとは
これまで想像もしたことがなく
もちろん嬉しいお話なのであるが

これは
「次の本(わたしは手伝っただけ)を
なんとなしなければ」のサインなのだろうと

見て見ぬふりしていたプレッシャーが
顔を出す。

(これまでもサインはあって、でもそれをほったらかしに
していたのだ。今回の翻訳話は、次の本を進めるための
催促のためにやってきたのかもしれない)

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これが「すべて」じゃないよ

もうすぐ夏休みが終わる。

去年も書いたような気がするけれど
始業式のあたりは、子供の自殺が増える
そうなんだよね。

子供は、大人に比べ、どうしても
選択の少ない日常をおくらざるを得ない面があり
「今、見ている世界が、すべて」と感じやすい。

だから、大人は、君の見ているのは「たまたま」の世界なんだよ
望むならばもっともっと違った生き方ができるんだよ、ちなみに
それは責任と呼ばれます。今は仲間がいないと思っても、きっと
君の信じる世界に通じるものをもっている人たちがどこかにいる
ということを、もっともっと子供に伝えたほうがいいと思う。

「学校に行くのが嫌で、死ぬなんて、超ナンセンス。
どうせ死ぬなら、もっと別の世界を見てから死ねばいい」

わたしが億万長者なら、こんなテレビCMを打ったろか!

義務教育の義務は、大人が子供に教育を受けさせる義務であり
決して子供が「死んだほうがマシ」と思いつつ享受する義務ではない。


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「生き難さ」の消化

幼少期から身についていた「空気を読む」ことに
まつわるプレッシャーを
大人になってから告白する人は多い。

言葉や思考をより獲得したり、「自分の見ていたものは
絶対ではなかったのだ」と学んだり、様々な経験を経た大人は
ある意味、子供時代より、はるかに自由になるのだろう。


ところで、ホンモノ中年となったわたしは
かつてより生きやすくなっていると思うし

また、インターネットのある時代、たとえば
こういう(↓)意見と出会える機会もあって
自らのなかにある「生き難さ」を消化しやすくなっている。
(ざっくりいうと、孤独感が薄らぐのでしょう)



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