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酢醤油茄子

7月21日(木)

ゆうべも、薬なしで入眠できたのだけど
ほどなくトイレに起き、おまけに母の寝室から
「ラジオの調子がおかしい」と声がかかり

ガーガーと不慣れな音を立てるラジカセを
あれこれ暗がりでいじっていたのだが
ラチがあかないので部屋の明かりをつけて
格闘していたら、(結局、電源のジャックを
入れなおしたら、すぐに直った)

すっかり覚醒してしまい、むーう
お薬一粒服用。

(そのおかげか、今朝も外がうるさかったようだが
ほとんど気にせずに眠り世界に没入できた)

そして今日も早めに起床。

午後は、きのう草むしりしたところの
マサキと、練習用の松その一と、アジサイの剪定。

201607 093  201607 101
パセリをぱくぱく食べる青虫。
えいっとアスファルトの道に放り投げたけど
歩くの早いのよね。(戻ってこないでおくれ)

晩ご飯は
スーパーのおかず(揚げ鶏の黒酢あんと、ふくらぎ刺身)と
茄子(切り込み入れて、レンジでチンして水分抜いて
酢醤油にひと晩漬け込んだ)ほか、いつもの野菜を並べる。

おしっこと睡眠

7月20日(水)

ことさら水分をとったわけじゃないのに
「お布団に入る前」と「入眠の前」と「朝」
おしっこをし
(こういうパターン、われには特に珍しくない)
その後またもよおして
「トイレ行きたい→面倒」葛藤を
繰り替しながら、眠りと覚醒を行き来して
(このパターン、ほぼ毎日かも)
ええ~いっ、と起き出し、トイレに行って
「昼近いから、このまま起きちゃおうっ」と
居間に行ったら、まだ10時半だった
(一時間勘違いしたのね)。

ゆうべは久しぶりに睡眠の薬を抜いて
それでもちゃんと眠りに入れたので
ブラボー。
(気持ちが依存しているだけで、肉体は
さほど薬を依存していないのだろう)


午後は、普段目にしない側の庭の草むしり。
(二時間余でカーゴ3箱分。ぼーぼーだったの)

201607 050

 ↑ シダの上でご休憩中の昼下がり


夜ご飯は

五穀米&カレー(どちらも冷凍してあった)
トマト・バジル・チーズ
甘酢漬け玉ねぎ(母にリクエスト)
夏野菜の炒めもの(皮むき胡瓜・茄子・ゴーヤ・
ピーマン・獅子唐・プチトマト・ベーコンだったかな。
味付けは、日本酒と鰻のタレと甘い味噌で)

うな肝(2本)

7月19日(火)

ゆうべは、いつもより早く入眠。

途中、寒いな、と目が覚めて
全開になっている窓をしめようと
ブラインドをしゃーしゃーと上げたら
まん前に、まるいお月さんがいて
驚いた。

お月さん、こんばんは。
そしておやすみなさい。と
またすぐに眠りに入る。

        *

今日は、いい天気。

洗濯などをして
蓮の花を探しに行って
そして実家に帰る支度をして
街に出ていくつか用事を済まし

市場で、桃と、うな肝(2本)を買い
駅の肉屋の量り売り惣菜を少量ずつ
色々みつくろって、帰省の途。

いっぱい歩き、マメひとつでき
夜になってから、脛(すね)にも痛み。

「のんびり」補充

7月18日(月)

ぼーっと、ひきこもっているうちに
こちらでの滞在が一週間以上になっていた。

(たぶん、このごろ「のんびり」が足りなくなっていて
「のんびり」を補充するのに日数がかかったのだな。

そろそろ満タンの、リフレッシュ)

今日も家から一歩もでず、ぼーっとして
いたのだけど、少しだけ家事頑張る。

洗濯は3回戦だし(カーペット。コースター代わりの布や
ランチョンマットや台所周りのもの。ふつうの衣服)
トイレ掃除はお香も焚いて、玄関の床は水拭きし
そのほか、ちょこっと、もやり退治もしたり。

(もやり退治 → http://picnik.blog91.fc2.com/blog-entry-4138.html

お夕飯は、カップラーメンや納豆など。

夜と昼の往復

7月17日(日)

毎日、今夜こそ早く眠ろうと思い
実際早めにお蒲団にころがるのだが
気がつくと、セミが鳴きはじめ
外も明るくなっている、朝4時台。

これは「目をつむるのがコワイ」症のせい。
(眠れないという刷り込みで・・・・・・)

ここ数日は目をつむるまでの数時間
横尾忠則さんの『千夜一夜日記』を読んでおり

夜な夜な横尾さんと戯れている気分で
ずいぶん気持ちが別世界に行ったまま
眠りの世界に移行するのだが

翌日目を覚まして
「うわっ、こっちが現実だった」と、やや驚くというか
正気に戻るという展開になっている。

(夜の横尾世界と、昼の現実世界の往復は
楽しいけれど、けっこう疲れます。
ちょっと集中して読みすぎ。と思うのだけど
なんせ5百ページ近くあるので・・・)


今日は起きたら15時をまわっておりました。
晩酌は、お刺身と、ささみフライと、サラダ。
(実家からもらってきた野菜が少なくなり
今日は久しぶりにモヤシを買ってみた)

衛生感覚

ひとつ下に、<食器洗いの際に、同じスポンジで
シンクの排水溝も洗う> 話を書いたけれど
その本のなかには、著者の知人のこんな話も
紹介されていた。

(その知人も、家事本などを出されている方だそうで
著者は、その知人の本でこのことを知ったという)

なんと

洗面台の汚れを、洗濯機に入れる前の靴下などで
ひと拭きする! という技。

ど、どうなんでしょ・・・・。

と、おそらく、著者も思ったのだろうし
わたしも「食器を洗うのと同じスポンジで排水溝を掃除する」
に負けないおののきを感じる。

でも、よくよく考えたら

毎日磨いている排水溝なら、“汚れがつく未満”の状態だろうから
食器洗いのスポンジで触れても、実はぜんぜん平気なのかも

みたいに
考え方を切り替えて

靴下といっても、足の底の部分じゃないところなら
平気かも・・・? 

い、いや、だめだ、まだわたしには受け入れられない。

(洗面台も靴下も、どっちも不憫だ)

もし靴下じゃなく、タオルなら?

ん・・・、ビミョウ。

・・・やっぱりいや。

(タオルが不憫すぎる)

(タオル > 洗面台 > 靴下か、我の衛生優位は)

しかし、普段から舐めても平気なくらい(!)
ピカピカにしている洗面台なら、大丈夫かも。


まこと、人の衛生感覚というのは、慣れが大きい。

土井 Love

7月16日(土)

台所のシンクの排水溝の掃除をしながら
考える。

「毎日、食器洗いのスポンジで(排水溝も)
洗っています」という

某、お料理をはじめ、家事あれこれ
気持ちのいいエッセイを書かれる
わたしも好きだなーと思っている方の本の
なかにあった言葉

あれを読んで、ギョっ、と思ったけれど

日課としてシンクの排水溝を磨いていたら

ウチの排水溝のように「汚れ」のつくこともなく
食器洗いのスポンジを平ちゃらで使えるほどの
ピカピカを保てるのだろうな。

             *

好きな人があまりに有名になり過ぎて
ほんのり寂しさを覚えることって
あるでしょう?

土井善晴センセイ、今やテレビでも
あっちこっちに引っ張られ

ここまで有名になる前から惚れていた我は
お姿を頻繁に拝見できて嬉しいのだけど
同時に、寂しくもある。

今夜のTV『ケータイ大喜利』の土井センセイ
共演者の方々から愛されまくっていたな~。

ちょっと寂しいけれど、そうだよね! そうだよね!
これからも土井センセイの愛されキャラを
わたしも愛し続けよう。


真夏前の一休憩

7月15日(金)

どーしてこんなにも
アンチ・すっきり!なのだろう

と、毎日、起床のたびに思う。

でも頑張って一日をはじめる。

過眠のとりこになっていた時代や
夕や夜に起床していた頃にしてみたら
今はなんと人生に愛されているのだろうと
しみじみ有り難い。

            *

なーんかね、しばらく前から感じていたのだけど
「なにか」を置き去りにしている感が付きまとっている。

今日、それをあらわす言葉を思いついた。

「自分を深く降りていない」
自分を深く降りる時間が、長らく不足していたのだ。

どうやって降りるんだっけ。

(あまり降りすぎると、変なほうに行っちゃう
可能性もあり、危険なので、注意)

まずは、なーんもしないこと。

ま、してもいいのだけど、しなくちゃいけないという
思い込みを捨てること。

ひとり、じっと過ごすこと。

ま、動いてもいいのだけど、外部の直接刺激を
受け過ぎないこと。

こういうところから始めるのだったかしら。

            *

今日は最高気温が30度いかず、かなり
過ごしやすい日でありました。

金沢は、お盆です。

(グチ反省)

こういう(↓↓↓)話を書き始めると
やや抑制の効かない(より)愚かな自分になる。

視野狭っ、だよね。

ラベル貼りされるのを嫌っているくせに
自分が他の人々をラベル貼りしている。

どこに住んでいようとも、その人には
その人の事情、人生があり
傾向で括るなど意味のないことなのに。

なにより、田舎で生まれ育ち、ずっと同じ場所で
暮らし続け死んでいく、そういう人たちの個々の気持ちを
わたしは知りようもないのだから。

ワンワンとグチを掘ってしまう
自分のコンプレックスこそが
もんだいなのだ。

幼いグチ

ラジオのゲストの人が

「地方は雇用がないから人が減る、と言われがちですが、必ずしも
そうじゃないんですよね。“思うような仕事がない”との理はあるけれど
ならば“都会では思うような仕事があるのかっ”というわけです。

雇用以上に、地方そのものに魅力がない、という問題がある。
ならば、どうすればいいか、というと、たとえばカフェをつくるとか
いいんですよね」

と話しておられ、番組の女性アシスタントが
「カフェ、いいですね~。女子はカフェ好きですから」と反応しておった。

(この切り取り方では、あまりにも唐突感があるな。
実際の話の流れはもうちょっと細部の道筋があったか)

                *

確かに、「仕事がない」ことを、地方の人口減少の原因のように
あげられることは多いと思うが、実際、地方には全国的に
知名度が低いけれど、がんばっている企業がたくさんあるし
内容さえ選ばなければ、それなりの求人数はあるのだろう。
(でもやっぱり選択の余地が少ないのは、人によっては辛いよね。
また、賃金は、都会とは比べ物にならないほど低い)

だから、わたしも思うのだ。

地方からどんどん人が減っているのは、雇用だけじゃなく
消費や文化の分野での魅力が少ない背景もあるのだと。

また、「仕事がない」という言葉の裏には
田舎特有の人間関係のしがらみや風習、そんなものから
解放されたいのじゃ、わしは!の気持ちが隠されている
場合もあるのじゃないかしら。

(「仕事がない」の一言で済ませれば、地方の魅力のなさとか
田舎の視野の狭さとか、当地の方々に失礼にもあたる
波風立てそうな言葉をいわずに済むからね)

                *

わたしが子供の時代も、消費文化はかなり均されていたと思う。
(田舎の人間にはお店や商品の選択肢は少なく、流行モノへの
圧力だけは強かった)。

今は、それがますます加速している印象。
(地方の商店街の壊滅はすごくって、子供も大人も娯楽を楽しむには
郊外の数少ないショッピングセンターに行くしかない、という具合で)

かつて東京の下町に暮らして、一番わくわくしたのは
商店街の充実だったなぁ。

(たとえば東十条。その名の商店街はもちろん
赤羽や十条などの商店街にも歩いていけて、それはそれは
にぎやかで、面白かったなー)

そして、ちょっと背伸びをした買い物をしたいときは
都心に出れば、いろんなお店があって・・・・、こんな経験は
田舎の生活者にはまずできない。

わたしは思うよ。都会と田舎の格差で一番大きいのは
暮らしの風景だ!と。

(いくら情報化社会で、地方と中央の差が縮まったとはいえ
「街を選び、道を選び、ショップを選ぶ」ような消費を楽しめる都会と
「ほんじゃ車飛ばしてショッピングセンターに行きまひょ」の田舎では
すこーしずつ、じわじわと、マインドが変わってくるのである)

自然の豊かさは代替のない価値があり、そしてまた
街の賑わいは「消費を超えた」意味をもつのだな。

                *

地方に人を集めるために「カフェ」という案は、あまりに
短絡的というか、イメージ先行のような気もするけれど

まったく否定する気にはならない。

わたし自身が、外で珈琲タイムをするのが好きだから。

前に、「田舎はいやだ。珈琲ひとつ、飲むところがない」と
ある人に言ったら、「おうちで飲めばいいじゃない」と返された。

そういう感覚の人もいるのですね。

ふーむ、なるなる。

わたしにとって、(特に窓のある)珈琲屋さんは
ひとりだけどひとりじゃない、個人の空気を守りつつ
お店の人や他のお客さんの息遣いも感じられる
屋外も店内も自身の内的世界も一緒に味わえる

いわば、時間をお金で買っている
空間をお金で買っている

実際の飲食以上の価値ある場所なのだ。

(ちなみに、わたしは、匿名性を多いに欲する。
村に一軒の珈琲屋で、身元ばればれ、なんていや)

                *
以上、幼いグチである。


続・幼いグチ。

あと、田舎と都市の違いで目立つのは
親との同居に対する感覚。

都会では、住宅事情も影響しているのだとは思うが
「通勤可能な場所に実家があっても、一人暮らしする」
人は少なくない。

片や、地方の、ましてや田舎では
わたしの知る限り、そんな人、男性も女性もおりましぇん。

(それ用の住宅もないしね)

さらには男性の場合、結婚前に、親に家を建ててもらい
・・・田舎の男性は二十代でマイホームをもつのは普通・・・

あるいは女性の場合も、跡取り娘の場合は
敷地内に家を建ててもらい

そして結婚するというケースも珍しくない。

(ま、わたしの目に見える田舎の範囲だが)

だから、なんちゅうか、みなさん

親との同居に対する違和感が低いように、わたしには見え

なかには高校卒業して就職して結婚して、その間
ずっと親元にいるなんて生き方も、ごく普通のことで

(男女とも生まれ育った家から、配偶者の家に移り住み
ひとりで暮らしたことのない人は、わたし世代くらいだと
けっこういそう)

また進学で都会に出ても、卒業を機に田舎に戻ってくる人は
ことごとく皆、親との同居生活に入り、銀行とか公務員とか
そういう分かりやすい職に就き、お見合いなどして
きちんと、万人に説明のつく生き方をされており

わたしにはそういう人たちが異界の住人に見えてしまう。

先に、街の賑わいは「消費を超えた」意味があると書いたけれど
それって、暮らしの背景が心に与える影響ともいえると思う。

ひとり暮らしをする人と、ずっと親元で暮らす人の見る
景色って、ずいぶん違うのだろうな。

わたしは、わたしのなかで勝手に築いているのだろうが
田舎の人々と、自分のなかにミゾを感じるのではある。

ま、じゃあ、自分が都市の人々と上手くやれるのか?と
いわれたら、そのほうが感覚的にはラクな印象もなくはないが
どっこいどっこいなのだろう。

どこに行っても、根無し草。

今は、田舎の根無し草。

(なお、このことを、わたしは卑下してません。
これが自分なのだな~と、漠然と思うだけ)

                *

以上、幼いグチの続編でした。

マインド閉塞

7月14日(木)

閉塞してるなぁ。

と、買い物がてらの
夜の散歩をしながら思う。

社会がではない。自分が、なのだ。

マインド閉塞ですの。

旅に出たいとも(強くは)思わない。
飲み屋に行きたいとも思わない。
(昔は一人でもバーや居酒屋に行っていた)
そういえば、映画すら、観たいとも思わない。

なんなんだ、この閉じてる感じ。

加齢、いや、円熟のせい・・・
実家と一人宅の移動を繰り返し、しぜん「旅」希求が減った・・・
金銭の節約がクセになっている・・・
のかな。

穏やかなのはいいけれど

(そうなのです。昔の自分と比べたら
今はありがたいとしかいいようがない。

厭世感がキレイにそぎ落とされて。
ゼロじゃないけど。

たぶん、逃避思考が減り、日々の着々事に
少しは興味をもつようになったからかな。

「ここではないどこか」欲が減ったのですね)

たまには遊ばなきゃね~、とは思う。

しかし、その先を考えると

なかなかアイディアがやってこない。

困ったな。


今夜も、(ここ数日、生魚を食べておらず、切望し
お刺身半額タイムになるのを待ち買い物に行った)
おいしい肴と、たらふくのサラダで、一人晩酌。

(こう暑いと、休肝日がありません)。

そんなわけで、↓↓↓

こういうことを語り合う友がいないというのは
貧しいことなのかもしれないな、と思いつつ

自分と気の合う意見の人は身近にいないかもしれないし
またなんでもかんでも同意されるばかりではつまらないし
なんでもかんでも頭ごなしに反対されるのは疲れるし

要するに、わたしは誰かと語りあうというよりは
「ただ、じっくりと一人で考えたい」のだろう。

考えるためには、ある程度アウトプットしながら進めると
はかどることがあり、まあ、そんなわけで、↓↓↓ 。

リベラル(なぜ恐れる)

リベラルを、嫌ってしまう心理って
どこから来るのだろう。

という疑問が、ここ数日、アタマに浮かぶ。

別に答えを探したいと思っているのじゃなく
ばくぜーんと疑問がやってくるのだ。

「ナニナニという方法に納得しているわけじゃなく
かといってナニナニに対峙するリベラルを強く謳う態度も好きになれない」
現象って、あると思う。

先日のチキりんさんもいっていたように

戦争がしたいわけじゃないけど、「戦争反対!」「平和を大切に!」と
大きな声をあげているヒトと、反射的に距離をとるとか

原発に賛成しているわけじゃないのに、「原発反対!」と熱く運動している
ヒトから、なんとなく後ずさりするとか

そういう心理って、どこから来るのだろ。

ほどほどのリベラルはOKなのに
かちんこちんのリベラルは「ちょっとNG」という。

かつての学生運動のような苦い思い出がDNAとなって
平成の世にも残っているというのも少しはありそうだけど

もっと肝心な根っこがありそうな気がする。

リベラルは、それが本来もつ以上の意味を
まわりの者に与えてしまっている。なぜだ。

わたしたち(の多くは。わたしにもその気はある)
どうしてリベラルをおそれるのだろう。

背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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