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ニンニク収穫

6月11日(土)

今日も、むしむし暑い。

母ちゃんと一緒に自転車屋さんに寄り
母ちゃんの愛車の不具合を直して
もらったのち、スーパーに行き

帰宅後、魚の処理をして、畠へごお。

ニンニクの大収穫なり。

と、意気込んだものの、実は思っていたほどの
数ではなかった・・・か・・・?

去年の秋、うん千円かけて、タネ用のニンニクを
何種類も買い、けっこうな数、植えたような
記憶があるのだけど・・・。

それでも、ま、識別できる限りは、種類別に分けて収穫し
全部でバケツ一杯分くらいは収穫できたかな。

(ニンニク、一日一個・・・ひと片ではなく、一個である・・・を
食べることを目標にしたいところだが、それはちょっと
現実的ではありませんな。だから、まあ、これくらいの
収穫量でよかったのかもね)


旬の刺身の盛り合わせを買ってきたので
残りご飯をチンして、酢飯にし
今日は手巻きナイトだ。

具は、刺身ほか、納豆、しその葉
ブロッコリースプラウト、ズッキーニ。

箸休めに、赤かぶ・胡瓜・セロリの浅漬けと
うるめ鰯の子の煮付けと、真鯛の内臓の
ガーリックオイル煮など。

お味噌汁は、玉葱・キャベツ・しめじ・卵。

正義におぼれ、不寛容にひたる(1)

近年のNHKのこの手の番組は
あまり面白くないよ~、いやむしろ
イラっとくる印象があり
「観るの、よそう」とも思ったのだけど

ゲストの顔ぶれが
森さん、津田さん、宇野さんなど
「どんなこと仰るのかしら?」と
興味そそられる方たちだったので
録画して、1.3倍速で観た。

『NHKスペシャル 私たちのこれから 不寛容社会』
の話である。
         *

「自分は個人的な快感を得るためにネット上で
批判を書き込んでいるのではない。自分は
社会を正すために、世の中をよくするために
必要な意見を書き込んでいるだけなんだ」

というようなことを話すヒトがいた。

ほんとーに、その人はそう信じているのだろうなぁ。
(その人にとっては、それが事実なのだろうなぁ)

承認欲求を満たすとか、ストレス発散とか
ましてやヒマ人のヒマつぶしとか
そーゆーのと、自分の行為は全くの別物であり
自分は「純粋な正義」のためにやっているんだ
とてもとても正しくて良いことをしているんだ
そういう思いの枠のなかに住んでいるように
わたしには思えた。

         *

「不寛容というのは生存欲求なんですよね。
他者はこわいし。じゃあ、どうすればいいか?
ボクはね、もっと後ろめたさを持てばいいと
思うんです、自分に対して。
特に自分の持ってしまった正義や善意に
対して、もっともっと疑いを向けていい」
森達也さん

「残念ながら人間は不寛容な存在である
ということは否めないと思います。
わざわざ『寛容は美徳』と言わなければ
ならないほどには不寛容。
どんなに自分は寛容だ親切だと思っても
必ず誰かに対しては不寛容。
そういうことを知って行動していく以外にはない」
中野信子さん

正義におぼれ、不寛容にひたる(2)

「不寛容社会」というのは、ある種
(近年のNHKのよくやる) “釣り”
テーマだよなぁ、と、番組を観る前から
思った。

現代社会に生きていると、不寛容に
出会うことは、まあ、ある。

じっと家にいるだけでも
テレビをつければ、不寛容の嵐だしね。

ましてや人の密度の高い所で暮らしていたり
しめつけの多い組織に属していたり
不特定多数にSNSを公開する環境にいたりすると
イヤでも不寛容に接触する機会は増すだろう。

つまり、現代人の多くは
他者の不寛容な言動に、間接的であれ直接的であれ
傷ついたり、疲れたりしているのだと思う。

そんな時代だから
このテーマに一言いたい人はいるだろうし
そういうことを他者と分かち合いたい人もいるだろうし
なぜこんなことになっているのか知りたい人もいるだろうし
NHKが「おいしい」と思うテーマではあろう。

ただ、このテーマにあれこれ唾を飛ばして
意見を言って、溜飲を下げる、という姿勢が
仮に一部作る側にも見る側にもあるとしたら
それはそれでまた不寛容社会のエサになりかねない。

正義におぼれ、不寛容にひたる(3)

あの番組で、一番おっ!と思ったのは
「炎上は見ないという選択」という
デーブさんの言葉。

これって、ネット上の炎上に限らず
今の時代の必要なテクニックだと思う。

テレビのニュースやワイドショーや
ネットのそれっぽいものを遮断するとか
直接的なことでいえば悪口言っている人の
そばには近寄らないとか、日々
自らの習慣づけが、いるよね。

なんか、へんなのー。

「情報を入れる」ことじゃなく
「情報を遮る」ことに、努力をしなきゃいけない
時代だなんて。

不便で、面倒だけど、積極的に
遮ることをしていかなくちゃ、自分がおぼれてしまう。

もちろん、わたしには「えげつなさ」が多々あるので
新しい情報(誰が不倫したとか、政治家の動向とか)が
あるらしいとなると、ひととおり耳を向けるミーハーさはあり
そこで自分の黒い部分が活性化されることもあるけれど

過剰にそういうものに触れないようにしたい
とは思っている。

あとさー、これはムズカシイ問題で
どうすればいいのかいまだ分からぬのだが

例えば、舛添さんの一件が報道され始めた当初から
また甘利さんが不起訴になってからはより一段と
(舛添さん個人ではない)政治家の歪み、マスコミの歪みがきわだって
その辺のことを、あ~だ、こ~だ、と言いたいのだけど

わたしのなかには、「たしかに、おかしいものは
おかしいと声をあげるべき」派と、「それだって
所詮は自分のなかの“溜飲下げ”じゃない?」派が
せめぎあって

わたしはわたしの不寛容に対する落としどころが
わからないでいる。

ま、せっかく「舛添さん」の名前を挙げたので
彼の一連報道以来、一番ぐおっ!と思った
言葉を書いておこう。

「ボクのなかにも、舛添さんのような
せこさは、ある」

一字一句は忘れたが、吉田照美さんが
ラジオでそんなようなことを言っていたっけ。

(すごいなー、勇気あるなー、照美さん)

たしかに、舛添さんは、やっちゃいけないことを
やってしまったわけだけど、ここまで来ると

自重のし過ぎで、モノゴトをとらえる感覚の狂った
マスコミが、舛添問題でガス抜きしているように
見えなくもないし

自民党は、あきらかに舛添さんを諸々問題の
隠れみの(生贄?)にしているとしか思えないし

(ちなみに、平野さんの https://twitter.com/hiranok/status/742599293249323009
この言葉が端的に今の事態を表している)

舛添さんのことを、したり顔でコメントする
(でも他の大事な話には一言も触れない)
テレビのなかの人のほうが、わたしには
はるかにおそろしい存在だ。

あじさいの木

6月10日(金) 

「水が出ない・・・」と、朝の6時過ぎ
母ちゃんが二階まで言いにきたので
うー、と起床。

ブレーカー下げ上げしても復活せず、外に出て
コンセントはずしてみようとするも、はずれず
焦ったけれど、二度目にブレーカー入れなおしたら
なんとか復活。

今日は早起きする予定だったので
そのまま起きて、ちょこちょこ来客準備。

あじさいは、まだ蕾が大半のなか
ぽつんぽつんと色つき始める頃が
一番美しいと思う。

別の花をお供えする予定であったけれど
あじさいの木の所に行ったら、ちょうど
ぽつんぽつんと色つき始めた頃で
あまりの清清しさに魅せられて
お供えの花は、あじさいに変更。


たっぷり昼寝のあと、牛のひき肉と
冷凍の煮筍を刻んで入れた
カレーをこしらえ(隠し味は赤味噌)
そして外仕事。

今日のメインは、銀木犀の剪定。

いつものように大胆な剪定ではなく
公道に伸びたところプラスα程度にして
花芽を残す作戦に。
(今年は晩秋にもう一度剪定しよう)

早めに(18時半過ぎ)家に入り
ふ~ぅ、久しぶりの湯船につかる。

お夕飯は、筍カレー、冷奴
母ちゃんのサラダ、あさり味噌汁など。

笹ハンター

6月9日(木)

いつものささっとより少し丁寧に
仏壇や、廊下の壁を掃除していたら
雨が止んだので、外へ。

先日の花すだれの隣に、赤と白
夕顔の苗を植えたり、サギ草が
この数週間ちっとも大きくならないので
(こんなもんだっけ?)
時期はずれではあるが、母を呼んで
一緒に植え替えしたり、たまっていた
剪定後の枝木の処理をしたり
庭の隅の笹ハンターをしていたら
あっという間に日暮れなり。

お夕飯は
・酢の物(玉葱、丘ひじき、甘酢鰯)
・ホッコク赤えび(甘えび)の揚げ焼き。
残りの油で、舞茸と、ニンニクも揚げ焼き。
(えびの頭も揚げ焼して、レンジにかけて
しゃりしゃりスナック菓子のようにして)
・野菜の味噌汁

ふぁあ。

今夜思ったこと(続き)

誰もが自分の好きなように生きると
世の中はめちゃくちゃになっちゃう
という発想もありうるが

はたして、そうだろうか?

「やりたいことを押さえ込んで
立派な人間のフリをする」生き方があるとして
でも、わたしは、それって、ちっとも
社会のためにはなっていないと思う。

冒頭の発想は、「みんな自分が大切なんだから
他人に親切にするヒマがあれば、自分の利益だけを考えろ」
と陸続きみたいなことで、あまりにも自分も他人も
低く見積もり過ぎている。

実際の社会というのは
「他人を大切にすることで、自分の幸福感も増す」とか
「自分のこころがラクでいたいから、困った人を助ける」とか
そういった所に落ち着くのじゃないかなー。

つまり、みんなが好きなように生きても
世の中はめちゃくちゃにならず

仮に「めちゃくちゃになっちゃう」としたら
そういう人々によって構成される社会というのは
どんなにガチガチに縛ったって、上手くはいかない
のだと思う。

今夜思ったこと

やりたいようにやるとか、超マイペースとか
そういう生き方のほうが、当人だけでなく
まわりにいる人をも、ラクにさせることはある。

まわりに気をつかうとか、人のためとか・・・
そういう生き方ばかりしていると、当人の気づかぬままに
「我慢してる」「いいことしてる」意識が蓄積してしまい
そこに漂う空気はやわらかくない。

たぶん、世界をよくしたければ
まずは自分が好なように生きることが大切。

(ひとつ下に書いた)バラエティ番組を見て
そんなことを思った。

親太朗くん

6月8日(水)

午後、列車を乗り継いで実家へ。
車窓の緑の田んぼがきれいだった。

お夕飯は、スーパーのお寿司など。

夜、ながら見をしていたテレビで
(芸能人の男女が二泊三日同じ屋根の下で
にわかカップルとして暮らす、バラエティー)

山田親太朗くんの良さを発見。

おおらかさの中にあるやさしさ・・・
バラエティー番組の中で直接映っていた彼の良さ
とはまた別に、そんなものも感じてしまった。

これまでわたしは、何度かテレビに映る彼を見て
へらへら、ちゃらちゃらとした印象だけが焼きついて
それが彼のイーメジとして肥大固定していたのだろう。

おしゃれには関心があっても、人格的な装いへの興味の低い
(つまり人の目を気にすることの少ない)、そして欲望に忠実な彼は
「おのれの内面的なアピール」をしようという発想が乏しいのだろうな。
(それって、たぶん、すごーく、すばらしいこと)。

実際の行動は雑なくせに
頭の中がおおらかではない
目先の細かな事にとらわれがちな
わたしは、すぐに偏見の目で
人を見てしまうんだよな。

あのバラエティー番組は、わたしの偏見を
あぶりだすものだった。

ふーっ。

目の前の人や物事に
小さなジャッジを繰り返す自分の愚かさを
あらためて気づかされたなぁ。

マウスピース覚書

シリコン素材。

半透明の、軽くてコンパクト。

水洗いでよい。(お湯で洗ってはダメ)

型が崩れてきたら、指をピースの並びに向かって持ち
ドライヤーを当て、指が熱くなったところで止める。
(成型が戻る)

困ったら、歯医者に持ってきて下さい。

徐々に色や匂いがついてくる。専用の洗浄用品を
取り寄せることもできるが、そこまで来れば
新しく作りなおしたほうがよいでしょう。

使用できる長さは、人それぞれ。
一年使える人もいれば、数ケ月で擦り切れてしまう人も。

マウスピースの状態で、喰いしばりの様子を知る目安にもなる。

なお、喰いしばりの強さが、「奥歯>前歯」の人には、シリコン
喰いしばりの強さが、「前歯>奥歯」の人には、もっと堅い素材。

費用は、もろもろ入れて、6千円くらい。

以上、歯を喰いしばるクセがあり、せめて
寝ているあいだの喰いしばりによるカラダの負担を
減らしたく、このたびマウスピース・デビューした
わたくしの覚書。

(現在の自分の歯を模った型を見ながら、先生から
「いかに磨り減っているか」の説明を受けたのだが
素人目にも、こりゃ、なかなかですな! な減り具合だった。
前歯も、奥歯も、これは不自然でしょ!という角度になってて)

国谷さん

6月7日(火)

びわ、びわ、びわ。

びわが特別好きなわけじゃないけれど
先日歯医者に行く途中の道で
「わっ、たわわ。びわの木?」と一瞬目にしながら
急いでいたので、そのまま通りすぎ、それ以来

あれはびわだったのか? (そういえば
ここ数年食べてないな)、と気になっていたので
今度通るとき、注意して見てみようと思っていたのに
今日の歯医者の行き帰り、すっかり忘れていた。

          *
  
歯医者ではマウスピースが出来上がっておった。

今宵からマウスピースと一緒に寝るのじゃ。

少しでも歯の負担が減り、婆さんになっても
おいしくご飯を食べられる歯をもっていられますように。

          *

歯医者のあとは、最近運動不足だったので、散歩。

下校途中の子供たちと前になったり後になったり
しながら、川沿いを歩いて、よろよろと町にはいって
蓮畠を横目で見たりしながら、より郊外側に歩き
普段は自転車でもなかなか寄らないスーパーにまで
足をのばし、ほどよい運動になった。

ああ、暮れてゆく、今日も。

          *

今日の『徹子の部屋』のゲストは、国谷裕子さん。

たぶん、これを知らなかったのは、日本国民のなかでも
超少数派なのだろうけれど、国谷さんがこの春までやっていた
『クローズアップ現代』って、生放送だったのね。

あまりに上手く仕切られた番組だったので、あれは
収録番組なのだろうとわたしは思い込んでいたのだ。

あらためて国谷さんのスゴさを思った。

先生

このごろ、からだのゆがみを感じることが
ちょくちょくあって

(単に姿勢が悪いのだ。パソコンをパソコン向きじゃない
椅子に座って使用したり、ソファーに横になるとき、くにゃっと
首や肩や背や足を曲げ、負担のかかるポーズだったり・・・)

「先生に診てもらいたいなー」と思うのだけど

「そっか、先生、いなくなったんだ」と、すぐに思い出し
ぽわ~んとした気持ちになる。

(ここの先生 http://picnik.blog91.fc2.com/blog-entry-3739.html

これは思い過ごしかもしれないけれど、ほんの少し
わたし、目をかけてもらった患者だった? の自惚れがある。

スポーツ骨折とか、肉体疲労とか、老人のあそこ痛いここ痛い
とは違って、わたしの場合は「特別の不調はないけれど
体の総合的なメンテナンスのために診てもらいたい」という
多数派ではない(変わりものの)患者だっただろうし

最初の診察のときの紙に、「オステオパシーに興味あり。
云々かんぬん」と書き込み、それを意識して、先生は
わたしに対応して下さっているようにも勝手に感じていた。

ああ、先生の施術、受けたいな。

過去の日記を読んでみると、初めて診てもらった日は
「心身健康哲学の同志(先輩)となる先生のような予感も」
なんて書いてある。

( ↑ 生意気~。でも先生と逢えたことが嬉しかったんだ)

先ほど、「自惚れがある」と書いたけれど
その自惚れって、わたしがその分、先生に興味があった
証拠かもね。

「どうしてこの仕事を始めたの?」からはじまって
いっぱい聞いてみたいことがあったのだけどなあ。

先生と今生のお別れになったのは残念だけれど
これが先生の人生だものね。

ゆっくりと休んで下さい。

今日も、ありがとう

6月6日(月)

むむむのむっ、昼の起床。

好きなだけ眠るとか、だらだらしたいだけ
だらだらするとか、そういうのが必要だなと
思うときもあるけれど、それが過分に続くと
逆にエネルギーが欠けてきて、しんどくなる。

(正確にいうと、欠けるのではなく
どよんと停滞するというか
澱んでくるというか・・・)

自由は不自由を必ず伴う。

そして
小さな規律を守っていくことが
不自由さから身を守る。

毎日が、家庭的なものや社会的なものに
縛られない暮らしであっても
自分のなかに小さな規律を設けて
(ときに休んだり、規律の見直しをしつつも)
粛々と運営し続けることが大切よね。

え~っと、今日のわたしは

ひとまずお昼に起きられた!
ということで、なかなか素晴らしい。
(ということに、しておきましょっ)。


まだ梅雨入りせぬ北陸。

まとまった雨も久しく降っていないのだけど
曇りがちな日が続いておる。

一日くらい、ざ~っと降ってくれたら
植物も喜ぶし、水不足も少しはマシになるだろうし
農の人たちも喜ぶだろうし、そしてなにより
たまには雨の匂いをかぎたい我のような者にとって
気持ちの潤いになるのになぁ。

そんなことを思いつつ
ぼんやりと今日も終わった。

なにもしない今日も、ありがとう。

キョンキョン新刊

最近読んだ本

●●●

小泉今日子さんのエッセイ集
『黄色いマンション 黒い猫』

キョンキョンがニューヨークを旅する
テレビ番組を今年の正月に放送していたが
「かっこいい大人だなー」「かわいい大人だなー」と
多くの人から憧れ支持される彼女の魅力が
画面にあふれていたっけ。

(余談だが、わたしがその番組で一番グっときたのは
ジャズマンとなった大江千里との再会であった)

本書は、彼女の魅力がどこから来るのかを
垣間見る、ヒントとなるかもしれない。

生まれ育った厚木、亡くなった父、女度の高い母
子供時代の思い出、恋や友情、姉たちのこと
アイドルとなり若き日々を過ごした原宿
修行のように海の見える家に移り住んだ日々
そして五十代となった今の心境、などなど。

小泉今日子さんはアイドルの衣につぶされずに生き残り
今も幅広い活動をされている、希少な芸能人だろう。
それはもともとのキョンキョンの人間性はもちろん
アイドル渦中にいても、芸能界とは一線を画す空間をもち
彼女の芯の部分が守られていたこととも
無関係ではないように思う。

彼女は80年代のエピソードを披露しつつ
こんなふうに振り返っている。

原宿の街には善意が溢れていた。原宿に暮らしていた十代の頃、勤労少女だった私の心が健やかだったのは、しょっちゅうこんな出来事に遭遇していたからだ。

これまでキョンキョンに注目したことがあまりなかったので
これは俄か想像なのだけれど、キョンキョンの魅力って
「自然体でありつつ、ぴか一輝いている」ところなのかな?

ある日のキョンキョンは、渋滞の帰路を運転しながら
言葉って難しい。ましてや会話なんて難し過ぎて恐ろしく感じる時がある。自分が発した言葉に対して相手の反応が返ってきて、その反応に心を合わせてしまうと本当に言いたいことなんてほとんど言えてないような気がしてくる。無口になれたらそんなことも考えずに済むのだろうか?
なんてことを考えていたかと思えば

とりあえず今日のことから考えよう。家に戻ったら冷蔵庫の中に入っている野菜でスープでも作って、録画してある韓流ドラマを観ながら食べて、お風呂に入って、読みかけの本をベッドの中で読もう。そしたらまた明日になってるんだ。明日は必ず来るんだもんね。ただそれを繰り返して生きればいいだけなのだ。
なんてことも自分に語りかける。

ああ、キョンキョンも同じ地球上に暮らしているのね
と思わされるシーンだ。

ところで、彼女には、小手先だけで上手に立ち回ってしまっている時
いつも空から聞こえてくる言葉があるという。

「芝居でも文章でも、<巧さ>の先には、あまり広い世界はありません。
毎日、もっとびっくりしたり、ときめいたりして下さい。お元気で」
(演出家の久世光彦さんからの手紙)

そうだね、そうだね。

キョンキョン本、読んでみて、よかったな。

魔法使いのおじさんたち

●●●

桜井章一さんと甲野善紀さんの対談本
『賢い身体 バカな身体』(2008年)を読んだ。

現代人とは思えない、かっこいいお二人。

雀鬼の桜井さん、古武術の甲野さん、ともに
ふつーならありえないっしょ!? な
(魔法使いのおじさんのような )事々を
ごくごく日常の一こまとして、おやりになっている。

科学的なことしか信じない人たちには
顔面蒼白なお二人の能力ですな。

でも、たぶん、それは本来特別な能力ではなく
人間の誰しももっている&忘れちゃっていること
なのだろう。

おっほん。

日頃、わたしが思っているのと同じようなことを
仰られているシーンもあり、一部メモしておこう。

基本的には、「不調こそわが実力なり」と思ってます。みんな調子がいいときは「これぞ自分の実力」と思いたくなるものですが、調子が悪いときも、それは紛れもなくその人の実力なんです。人間はいいことがあるとついそれをモノサシにしてしまうのですが、そんなモノサシを目安にしてしまうと、しょっちゅう調子が悪い、スランプだってことになってしまう。(中略)「不調こそわが実力」と思っていれば、本当に不調のときでも平然としていられる。自分の実力はこんなものと受け入れれば、スランプなんて存在しようがないんです。(97~98頁、桜井談)

人間が変わっていく場合、考え方が変わって変わることと、もうひとつ身体が変わって変わる場合があると思います。人間というのは、精神的に頭で変わろう変わろうと思ってもなかなか変われないものですが、身体が変わると人生の風景がまったく変わるということは本当にあると思います。(166頁、甲野談)

背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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